6:SEE EYE TO EYE ON THE ROCK'N'ROLL
「あ、あの……」
思わず声を掛けたが、サキナさんは黙ったままだった。膝を抱えて身を縮め、テーブルの上をじっと見つめている。
「さ、サキナさん。何か食べませんか?廊下に落ちてたお菓子、拾ってきたんですけど……」
傍に座り、おずおずと紙袋を差し出したが、サキナさんの視線は動かなかった。テーブルの上をじっと――と、そこに、小さな写真立てが置かれているのに気が付いた。
その中には、公園らしき場所を背景に、髪色こそ黒いが、サキナさんにそっくりな女の人と、がっしりとした体格の、どことなく和室にいたゾンビの面影がある男の人と、その間に挟まれて二人の手を握っている幼女という、三人の人間を写した写真が入れられていた。
それは正に、幸せな三人家族といった雰囲気の写真だった。三人とも、幸せそうに笑っている。特に、真ん中の幼女——恐らく小さな頃のサキナさんなど、眩しいほど無邪気な笑顔を浮かべていた。
反対に、それを見つめるサキナさんの顔は、まるですべての感情が渇き切ってしまったかのように無表情だった。
「……リコから、どこまで聞いた?」
「え?」
突然の問いに、硬直していると、
「……私のこと」
と、サキナさんが呟いた。サキナさんの口から、初めて〝私〟という言葉を聞いた気がした。
僕が何も言えないでいると、サキナさんは消え入りそうな掠れた声で、ポツリポツリと呟くように語り始めた。
「……幼稚園を卒業してすぐの頃、ママの故郷で新しい生活を始めようってことになって、家族で座作に引っ越してきた。後から、パパが地元でヤンチャをし過ぎたせいで、ここに引っ越すことになったんだよって、ママから聞かされた……。
ママは、パパは暴れん坊だけど根っからの悪者じゃないんだよって言って笑ってたから、恨んでたわけじゃないと思う。パパとママは、時々口喧嘩してたけど、いつも凄く仲良しだったから……。
最初は、ぴかぴかの家に住んでた。まだ通ってもないのに、買ってもらったランドセル背負って、ぴかぴかの家で、パパとママと一緒に遊んでた。三人で、かくれんぼして、追いかけっこして、昼になったら、テレビ見ながら、ママが作った焼きそば食べて、三人でお出掛けして……みんなで、笑ってた。
でも……。
小学校に入学する前に、ママが死んだ。
買い物に出掛けたまま、夜になっても帰って来なくて、パパと一緒に待ってたら、病院から電話があって……事故に遭ったって……轢き逃げで……犯人は分かんないままで……パパは……ずっと泣いてて……。
それから、パパは段々おかしくなった。仕事に行かなくなって、ずっと家でお酒を飲んでて、ぴかぴかだった家が汚くなっていって……怒鳴られたり、叩かれたりするようになったのも、その頃からだった。
その内、ぴかぴかの家にはいられなくなって、ほとんど行ってなかった小学校も転校して、ここに引っ越してきた。でも、生活は変わらなくて、それどころか、もっと酷くなっていって……酔っぱらったら、私の部屋まで来るようになった。叩かれて、殴られて、蹴られて、踏まれて、煙草を押し付けられて……。
泣いたけど、叫んだけど、誰も助けてくれなかった。ここの住人はみんな気が付いてたはずなのに、何も知らないふりして……新しく通い始めた小学校でも、汚い格好してたせいで、変な目で見られて、いじめられて……どこにも居場所が無くて……。
サキナだけが、私の支えだった。ママが好きだった漫画……。読んでるだけで、ママみたいに強くなれる気がしたから……。
だから、小学校を卒業して、中学生になる日が来た時、変わろうって思った。髪染めて、ママが昔着てた真っ赤な特攻服着て、釘バット作って、学校に行った。それで、変われると思ってた。ママみたいに、誰にも負けない、強い人になれると思ってた。
……誰も話しかけてくれなかったけど、リコだけが話しかけてきてくれた。産まれて初めて、バカみたいに笑い合える親友ができて、凄く嬉しかった。
でも……。
リコに言いふらされた日に、パパが学校に怒鳴り込んできた。先生たちの前で、違うって言えって、嘘ついてごめんなさいって言えって怒鳴られて……家に連れ戻されて……ママの特攻服も取り上げられて……捨てられて……。
その日の夜……パパが部屋に来て……酔っぱらってて……いつもみたいに殴られて、蹴られて、煙草を押し付けられて……それで終わりだと思ったら……。
次の日から、学校に行かなくなった。
家にいるのも嫌だったから、ここの駐輪場に、ずっと置きっぱなしになってた誰かのバイク盗んで、毎日逃げ出して……でも、結局家に連れ戻されて……それでも、また逃げ出して……それの繰り返しで……独りぼっちになって……。
結局、何にも変われなかった。私は…………」
サキナさんは絞り出すように話し終えると、また写真をじっと見つめたまま動かなくなった。僕は何も言えなかった。部屋には、微かに窓の外から聴こえるヒグラシの声だけが響いていた。
掛ける言葉なんて、どれだけ探しても見つからなかった。いや、何を言おうと無力なのだ。それは、僕自身が誰よりも理解していた。
こんなにも孤独に沈んでいる時に、他人から何を言われようと、響くことは無いのだ。
僕だって、孤独に沈み切っていた頃に、他人から何か励ましのような言葉を掛けられていたとしても、何とも思わなかっただろう。
孤独とは、そういうものだ。
どうせ、誰にも分かってもらえない。みんな死ねばいい。世界なんて、消えてなくなればいい。
そんな呪いのような感情が、ずっと頭の中に、背中に、影のように付きまとう。それが孤独なのだ。
だから、僕にできることなんて———、
「…………」
僕は震える手で、ポケットからウォークマンを取り出した。イヤホンを差したまま、テーブルの上に差し出す。
馬鹿げていると、分かっていた。でも、僕にはこれしか思いつかなかった。
僕は孤独から、こうやって逃げていたから。
俯いていると、カチャリと音がした。顔を上げると、サキナさんがイヤホンを片方、耳に押し込んでいた。
恐る恐る、再生ボタンを押した。テーブルの上に放り出されているもう片方のイヤホンから、僕の好きなロックバンド、〝Hump Back〟の曲が小さく聴こえた。
サキナさんは頬杖を突いて、無表情でロックを聴いていた。じっと、写真立てを見つめたまま。
不意に、サキナさんがもう片方のイヤホンを手に取り、僕の耳に押し込んだ。頭の中に、ロックが流れ込んでくる。
いつしか、YOUトピアで同じようなことをしたな、と思い出した。まだ、二人きりで過ごしていた頃だ。あの時は眺めの良いテラス席だった。今は薄暗くて狭い六畳の部屋の中だ。
それでも、あの時と同じように、僕はずっとこうしていたいと思った。
崩壊した世界も、ゾンビも、過去の傷も、過去の過ちも、僕たちを虐げてきた現実も、何もかも忘れて、ずっとこの時間に囚われていたいと。
僕は何も言わずに、黙っていた、サキナさんも、何も言わなかった。無表情が崩れることもなかった。二人だけで、ずっとウォークマンから流れるロックを聴き続けた。
小さな窓から僅かに差し込んでくる夕焼けが、部屋の中をゆっくりとオレンジ色に染め上げていった。
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