終章
EPILOGUE
「ふうっ……こんなもんか?」
「……すいません。ほとんど手伝えなくて」
学校に来てから四日目の朝、僕たちは校庭の隅で穴を掘っていた。といっても、僕は腕が痛んでスコップが使えず、ほとんどサキナさんに掘ってもらう形になってしまった。
「いいよ、まだ痛いんだろ。ほら、そっち持て」
サキナさんに言われて、保健室のベッドのシーツで包んでいた合人の亡骸を抱えた。二人で穴の中へ運び込むと、深さ五十センチほどの縦長の穴の中に、合人の華奢な亡骸は綺麗に収まった。
シーツを開いて、合人の姿を検める。
合人には死装束として、あの黒いコートを着せていた。真っ白い肌にこびり付いていた血も、濡らしたタオルを使ってできる限り落とし、身体に巻かれていた血だらけの包帯も、新しいものに取り換えた。できるだけ綺麗に葬ってやりたいという僕の願いを無下にせず、手伝ってくれたサキナさんに感謝しながら、傍の地面に置いておいた帽子を拾い上げる。
裏地のタグには、〝演劇用〟の文字があった。この帽子も、黒いコートも、腰布も、恐らく放送設備室の倉庫にあった衣装なのだろう。
付着していた砂粒を掃って、合人の頭にかぶせた。顔にも包帯を巻いていた為、表情は分からなかったが、唯一覗いている、瞼が閉じられた二つの目からは、安らかに眠っているような穏やかさが見て取れた。
〝俺は……アンデッドマンだ〟
合人の言葉が思い浮かぶ。この格好をしていたということは、合人は僕の勧めたアンデッドマンの映画を観て、そのかっこよさに熱狂してくれたのだろうか。
「…………」
僕は制服のポケットから、ある物を取り出し、合人の右手の中指にはめた。
「それ、いいのか?」
「……はい」
銀色の指輪をはめた合人は、アンデッドマンそのものだった。僕にとっての永遠のヒーロー、アンデッドマンが、そこにいた。
「でも、それ、一個しか持ってねえんだろ?」
「……いいんです。僕は、ヒーローなんかじゃないですから」
合人の右手を元に戻すと、穴の中から出た。
これで、最後になる———。
完全なヒーローになった合人の姿を、目にしっかりと焼きつけた。
「……もう、大丈夫です」
そう告げると、合人の亡骸をシーツで包み直し、サキナさんと一緒に土をかぶせていった。掘る時は時間がかかったのに、埋めるのは早かった。あっという間に合人の亡骸は見えなくなり、校庭に埋まってしまった。
「これで、いいか?」
掘る前よりも、こんもりと盛り上がった地面をスコップで固めながら、サキナさんが言う。
「はい」
埋葬を終えると、スコップをやや離れた地面に突き刺し、顔を上げた。
墓標は、この桜の木だ。
校庭の隅にひっそりと植えられているヤマザクラ。これが、合人の墓標になる。
合人の亡骸はいずれ、この木の養分となるだろう。合人は、このヤマザクラとして、そして何より、僕の記憶の中で、ずっと生き続ける。
「……あ」
僕は近くに置いていたリュックから、バディチョコの最後の一本を取り出した。
これは、サキナさんの家で拾った紙袋のお菓子の中に紛れていたものだ。大して食べ応えもないくせに、無駄に大きくて、安くて、不味い。
包装を剥き、パキッと二つに折った。片方を合人に供え、もう片方を一口、齧った。チープな甘さが口の中に広がる。
「……ううっ」
もう枯れ果てて出ないと思っていた涙が、ツウッと右目から垂れた。ガーゼの絆創膏で塞がれている左目にも、熱い涙が滲む。
鼻を啜り、バディチョコと一緒に呑み込むと、涙を拭った。いつまでも、メソメソと泣いていられない。
———泣くなよ。
そう言われたばかりなのだから。
バディチョコを包装の中に収めて、ポケットに入れた。
俯くのをやめて向き直ると、サキナさんがスクーターに荷物を括り付けながら、僕を待っていた。
「もう、いいのか?」
「はい。……あの、サキナさん」
「あ?」
「……その、サキナさんの財布に今入ってる写真は、元々リコさんが持ってたものです。リコさんも、同じ写真を、ずっと財布に入れてたみたいです」
ずっと言い出せなかったことを、ようやく口にした。
「……知ってたよ」
「えっ?」
「俺の写真は、あんなに綺麗じゃなかったからな」
そういえばと、サキナさんの写真には折り目と皴が無数に付いていたことを思い出す。まるで、一度クシャクシャに丸めたかのように。
「気にすんな。あんな風になっちまったけど……リコが本当はどういう奴だったかは、俺が一番よく知ってる。だから、もういい」
サキナさんは吹っ切れたような顔をしていたが、その目は、ほんの少しだけ、寂し気に見えた。
「……あ、あと、サキナさん。サキナさんのお母さんって、座作市が故郷だったって言ってましたよね?もしかして、第二中の出身だったんじゃないですか?」
「はあ?」
「もしかしたら、その長ラン……」
スクーターに掛けられていた長ランの〝愛〟の刺繍を見つめながら、僕は砂井田第二中の体育祭応援団の説明をした。もしかしたら、紅組の初代応援団長はサキナさんのお母さん――
「……そうか」
説明を終えると、サキナさんは目を細めて、長ランを見つめた。
「お袋が第二中の出身だったかは知らねえ。でも……」
サキナさんはおもむろに長ランを掴むと、バサッと勢いよく羽織った。
「そうだったとしても、そうじゃなかったとしても、俺はこれを着るぜ。気に入ったし、それに……あかるが選んでくれたからな」
袖と襟を正しながら、サキナさんは少し気恥ずかしそうに言った。
「それより、これからどうする?」
取り繕うように渇いた口調で言うと、サキナさんは遠くを見つめた。
「待ってたって助けなんか来ねえだろうし、目指すようなとこも見当たらねえし」
確かに、その通りだ。でも———、
「サキナさん」
サキナさんがこっちを向く。僕は、その眼を真っ直ぐに見据えて、
「……僕は、サキナさんと一緒なら、どこへでも行きます。サキナさんは僕にとって……大切な人ですから」
もうひとつの、ずっと言えなかったことを口にした。
そのまま、じっとサキナさんの眼を、想いを込めて見つめた。僕の顔は熱を帯びていたが、赤くなってはいない気がした。
「…………」
サキナさんはしばらく無表情で僕を見つめていたが、なぜか急に顔を真っ赤にして詰め寄ってくると、ゴンと僕の頭を小突いた。
「わっ、いたっ!何するんですかっ!」
逃がすまいと肩を引っ掴まれ、何度もゴンゴンと小突かれる。
「うるせえっ!変なこと言いやがってっ!」
「へ、変なことなんか言ってないのにっ!それに、まだ怪我がっ――」
「口答えすんなっ!もう治ってるだろっ!」
ベリッ!と、左目のガーゼの絆創膏を勢いよく引っぺがされた。
「あーっ!」
目の周りがヒリヒリと痛んだ。手を当てていると、指の隙間から眩い朝の陽射しが差し込んできた。ゆっくりと手をどけて左目を光に慣らすと、両目で捉えていた視界が徐々に戻ってくる。
「見えるか?」
「はい、それはもうはっきりと」
「そうか、良かったな」
「あ、あの、眉毛抜けてませんよね?めちゃくちゃ痛いんですけど……」
「いいだろ、別に」
「答えになってませんけど、抜けてないですよね?」
「どうせすぐ生えるからいいだろ」
「抜けてるんですか!?そ、そんなっ」
「眉毛くらいで騒ぐなバカ!」
「ひ、酷い!無理矢理剥がしたのはサキナさんなのにっ!」
「うるせえなっ!ほらっ、行くぞ」
サキナさんが長ランを翻しながら、颯爽とスクーターに跨った。慌てて置いていたリュックを背負い、〝愛〟と掲げられたサキナさんの背中にしがみつくと、ブロロンとエンジンが唸った。
「じゃあ、とりあえずこの街を出てみるか。こいつの燃料をどっかで補給して……行けるとこまで行ってみるか」
「はいっ」
ジリリッと地面を切りつけて、スクーターが走り出した。校庭を一直線に突き抜けて道路に躍り出ると、何もかもが崩壊したゾンビだらけの終末世界が僕たちを出迎える。
サキナさんがエンジンをふかし、スクーターのスピードが上がっていった。取り縋ろうとするゾンビたちを、ボロボロの湿気た街並みを置き去りにするように、僕たちは風を切って前に進んでいく。
その最中、ふと思い出した。
世界が崩壊した時も、自分がゾンビに無視される人間だと理解した時も、生き残った他の誰かに会った時も、僕はうじうじと考えていた。世界に選ばれた者だの、選ばれなかった者だのと。
今は、そんなことは思わない。
世界がどうだこうだなんて、くだらない考え方だった。世界に選ばれようと、選ばれなかろうと、どうだっていい。
僕は、ヒーローなんかじゃない。能力者なんかじゃない。そんな者になんか、ならなくたっていい。
ましてや、僕は普通なのか、異常なのかなんて、知ったこっちゃない。そんなの、どうだっていい。
世界がどうであろうと、自分以外の誰が何と言おうと、僕は―――、
この世界にたった一人の、透野明なんだ。
今、ここに生きている。この現実に、存在している。それだけで、世界が在る。
だから、世界が選ぶんじゃない。僕が、選ぶんだ。
この世界に在り続けること――生きることを。
そして、そんな僕を見てくれる人がいた。
ただ、それだけでいい。
それだけで、僕はこれからも生きていける。
背中のリュックに手を当てた。中には、証が入っている。
かけがえのない親友が描いてくれた、僕が世界に存在していたという証が。
そして今も、僕は世界に存在している。
僕を見てくれる人と一緒に。
僕たちを乗せて走るスクーターが、とうとう街並みを突っ切って、勢いよく座作市から抜け出た。スピードをそのままに、広々と切り開かれた高台の緑地の、どこに繋がっているのかも分からない未開の幹線道路へ繰り出していく。
この先に、何が待ち受けているだろうか。
未来は誰にも分からない。でも、
真っ青な空の向こうに、入道雲が立ち上っている。太陽が、ジリジリと熱く照り付けている。遠くの方で、セミがけたたましく鳴いている。
とりあえず、夏はまだ終わりそうにない―――――。
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