8:ZOMBIE COMMANDER

 身体が硬直した。

 探していた林田さんが、ついに目の前に現れた。よりにもよって、同じクラスの忌み嫌っていた連中に囲まれて。その上、そいつらと同じようにゾンビに成り果てて。

 不自然なほど白い肌に、血で汚れた口元、白く濁った眼。

 なんで、どうして、遅かった、もっと早く、いや、でも、とっくに、治るのか?噛まれても、見た目はそのままなのに、白くて虚ろな目をしているだけで、いや、無理だ、もうゾンビになっているから、死んでいるから、そんな、ああ、どうして、そんな―――。

 頭の中が、失意と、絶望と、喪失感で真っ白になっていった。

 淡い希望を抱いていた。きっと、林田さんはどこかで生きているはずだって。

 僕には夢も希望も無かった。それは世界が崩壊した後も変わらなかった。そんな僕に生きる希望を与えてくれた存在、それが林田さんだった。

 キモい考えだけど、僕の似顔絵を描いてくれたことが、みんなから無視されている僕のことを認識してくれたことが、たまらなく嬉しかった。だから、生き延びてやろうと、探しに行こうと、会って想いを伝えようと、決意した。

 なのに、なのに、どうして———。

「よく分かんねえけどよお、なんか俺、ゾンビに命令できるみたいなんだよなあ。例えば……おい、杉原ぁ!ボール取って来い!」

「ヴうぅ」

 井之内くんが怒鳴ると、杉原くんゾンビは返事をするように呻いてドタドタとステージを下り、バスケットボールの方に駆けていった。おぼつかない手つきで拾い上げると、再びこちらに駆けてくる。

「おっと、臭えからそれ以上寄るんじゃねえ!投げてこっちに寄越せ!」

「ヴあぅ」

 目の前の光景が、さらに追い打ちをかける。

 ゾンビに襲われないのは、僕だけに授けられた特殊な能力じゃなかったってことなのか?

 僕はゾンビに無視される存在。

 井之内くんはゾンビに命令できる存在。

 並べてみると、随分と僕の能力がしょぼくみえる。

 僕は、特別な存在じゃなかったってことなのか?

 この世界に選ばれた、生きる資格を与えられた、無敵の能力を持つヒーローじゃなかったってことなのか?

「どうだ?スゲーだろ?こいつら、ゾンビになっても俺への忠誠心を忘れてねえんだよ。林田はどうだか知らねえけど、クラスで浮いてた暗い奴だったしな。俺の言う事聞かねえとどういう目に遭うか、ちゃんと分かってんだろ。へへっ、イタズラでもしてやろうかと思ったけど、さすがにゾンビとはヤりたくねえしなあ!ハハハッ!」


 ——―プツン


 と、頭の後ろの方で、何かが切れる音がした。

「……どうして……どうして」

 息が、荒くなっていく。

「ああ?」

 真っ白だった頭の中で、真っ赤な怒りが爆発して―――、

「どうしてお前みたいなゲス野郎が生き残ったんだっ!」

 気が付くと、僕は絶叫していた。




「おい、今なんつった?」

 井之内くんはバスケットボールを手で弄びながら、僕をギロリと睨みつけてきた。

「お前、この状況が分かってねえみてえだな」

 状況?そんなの知るか。

 よくも、よくも林田さんを。それだけじゃない。このゲス野郎は、今までに何人もの女子を食いものにして、

「俺はこいつらに命令できるんだぜ。例えば——」

 そして、なによりも―――、

「おい、そのクソ陰キャを喰い殺せっ!」

 お前みたいなクソ野郎が選ばれた存在なんて許さない!

「ヴぁああぅ!」

 井之内くんの命令にゾンビたちが応え、全員がこっちに向かってきた。

「うああああっ!」

 一目散に、体育館の扉へ向かってダッシュした。背後から、ドタドタと足音が追ってくる。

 叫んだが、怖くて悲鳴を上げたわけじゃない。怒りのあまりに、僕は吠えたのだ。全身に漲っているのは、恐怖ではなく怒りと闘志だ。

 リュックを置き去りにしてしまったが、その分さっきよりも身軽だった。入り口の扉に猛ダッシュで張り付くと、重い扉をこじ開けてするりと外に出る。ダメ押しに、マスターキーで鍵を閉めていると、


 ——―バガンッ!


 と、駆け寄ってきたゾンビたちが扉にぶち当たってきた。が、命令されたと言えど、鍵を開ける知能は持ち合わせていないのか、向こう側で闇雲にもがいているようだった。

「おいっ!何やってんだっ!鍵を開けて追いかけろっ!」

 くぐもった井之内くんの声が扉越しに聴こえる。咄嗟に身を翻して外へと飛び出した。背後で、跳ね飛ばした扉がギシギシと軋む音と、ゴリゴリと重い扉をこじ開ける音が聴こえた。

 急げ、あのゲス野郎をぶち殺してやりたいが、今は逃げるのが先決だ。

 渡り廊下を、来た時よりもずっと早いダッシュで駆け抜けた。切らした息で喉がカラカラに渇くのを感じながら、元いた棟の玄関へと向かう。

 学校の外へ逃げ出すのは危険だ。何が待ち受けているか分からない。とりあえず、安全だと分かっている場所へ―――、

「待てっ!」

 井之内くんの怒鳴り声が鮮明に聴こえた。構わずに、玄関の扉まで辿り着くと、急いで中に入り込んで鍵を掛けた。


 ―――バンッ!


 と、扉に張り付いたのは、木村くんゾンビだった。間一髪で閉め出すことができたようだ。他のゾンビたちも、同じように扉に張り付いていく。

 そんな中、林田さんゾンビだけが、なぜか渡り廊下の中腹でヨタヨタと歩いていた。

「おい、林田ぁ!お前も走って追いかけろよっ!」

 その背後で井之内くんが怒鳴った。林田さんゾンビは返事をせずに、渋々といった様子でこっちに駆けてきた。

「ふん、閉じ籠りやがったのか」

 堂々とした足取りで、井之内くんがこちらへ向かってくる。外に出たというのに、怖くないのだろうかと思ったが、よく見ると、片手に僕から奪った――いや、奪い返された方か?——金属バットを握っていた。

「おい、どけよ」

 命令に従って、ゾンビたちが扉から離れた。

「お前さあ、俺に逆らっていいと思ってんの?」

 僕の武器だった金属バットをクルクルと回しながら、井之内くんは睨みつけてきた。負けじと、精一杯の眼光で睨み返す。

「なんだ、そのツラ。クソ陰キャがイキりやがって。ムカつくんだよなあ。よりにもよって、お前みたいな奴が生き残ってやがるのが……さあ!」


 ―――バキンッ!


 と、井之内くんは金属バットを扉のガラスに叩きつけた。が、強化ガラスなのか、ビシッとひびが入っただけで、派手に割れることはなかった。

「クソがっ!オラァ!」

 井之内くんは尚も、金属バットを振るった。蜘蛛の巣状にひびが広がっていき、フレームがメキメキと音をたてて軋む。

 本気だ、このゲス野郎は、僕を殺す気だ……!

 殺されてたまるかっ。こんな、こんなゲス野郎にっ!

 でも、どうすればいい?武器の金属バットは奪われた。今装備している武器じゃ分が悪いし、なにより井之内くんが命令したゾンビは僕のことを無視しないで襲ってくる。

 どうすれば――こうしている間にも、扉のガラスはバキバキに割られていく。


 ―――バギャンッ!


 という音と共に、とうとう扉のガラスが割れて、歪な星形の穴が空いた。その隙間から、井之内くんの気味の悪い笑顔が覗く。

「……待ってろクソ陰キャ」

 穴からぬらりと手が伸びて、内側の鍵に―――、

「うああああっ!」

 僕は咄嗟に足に仕込んでいた果物ナイフを引き抜くと、その手に向かって突き立てた。

「うぎゃあああああっ!」

 突き刺さりこそしなかったが、井之内くんの手は血で真っ赤に染まった。

 初めてゾンビではない、生きた人間を傷付けたという事実に動揺していると、井之内くんはひびだらけのガラス越しに僕を睨みつけてきた。その目には、凄まじい怒気と、殺気が宿っていた。

「いてぇ!いてえぞ、クソがぁっ!……もう許さねえ。絶対にぶっ殺してやるっ!」

 まずい、このままじゃ―――。

 僕は校舎の中へ、一目散に逃げ出した。

 背後で、ガチャガチャと扉をこじ開ける音と、ガラスを踏みしめる音が聴こえた。




 廊下を走り抜け、階段を駆け上がりながら、必死に考える。

 一体どうすればいい?

 井之内くんはゾンビに命令することができる。命令されたゾンビは僕のことを無視せずに襲ってくる。

 つまり、僕の能力、陰VISIBLEは、呆気なく打ち破られたということだ。

「ヴぅあうぅ」

 踊り場をうろついていた男子生徒のゾンビがすれ違いざまに呻き、ビクッと身体が跳ねた。走りながら振り返ると、ゾンビはそっぽを向いていた。

 大丈夫だ。井之内くんから命令をされない限り、僕はゾンビから無視される。その事実に安堵しながら、二階の廊下に飛び出した。僕が最初に殺したゾンビたちの死体が、凄まじい悪臭を放ちながら転がっている。

「待てコラァ!うおっ!杉原、千葉!そいつを殺せっ!」

「ヴがうがっ」

「ヴがああっ」

 階段の方から、声が聴こえてきた。多分、さっきすれ違った踊り場のゾンビを取り巻きに殺させているんだろう。

 ありがたい足止めだと思いながら、咄嗟に死体を避けて飛び跳ねるように廊下を駆け抜け、二年一組の教室に逃げ込んだ。

「はあっ、はあっ……」

 ああ、どうしよう。慌てた挙句に何も考えず、ここに来てしまった。隠れるか?でも、見つかるのは時間の問題だ。鍵を掛けて立て籠もっても、さっきみたいにぶち破られるに決まっている。戦うか?いや、武器が無いし、あったとしても多勢に無勢だ。やっぱり、逃げるしか―――、

「どこに行きやがったコラァ!うおっ!何だ、こいつら、みんな死んでんのか。チッ、くっせえな」

 廊下から、ドタドタという足音が近付いてくる。

 まずい、このままじゃ見つかってしまう。どうしたら……。

「……っ!」

 教室の中のとある場所が目に付き、僕は音を立てないように、こっそりとそこへ隠れた。


「あのクソ陰キャ、どこ行きやがった」

「ヴううぅ」

「おい、お前ら、もしまた他のゾンビが襲ってきたら俺を守れよ、いいなっ」

「ヴぁい」

「ヴあぅ」

「ヴうい」

「それにしても臭えな。誰も生き残ってねえのかよ。ケッ、クソ共が」


 一団が教室の中へと入ってきたようで、心臓がバクバクと高鳴った。

 もし見つかったら一巻の終わりだが……まさか、ここに隠れてるなんて思わないだろう。

 ゾンビ特有の不安定なドタドタという足音があちこちで聴こえる。

 頼む、ここに目を付けないでくれ。早くどこかに行ってくれ……!


「おい、ちょっと待て。そこを開けろ」


 ゴクリと唾を飲んだ。まさか―――、


「教室の中で隠れる場所なんて、ここしかねえよなあ?……クソ陰キャあ!」


 ―――バタンッ!


「……クソッ、なんだお前ら、ボーっとしてねえで、さっさと探せよボケ!」

「ヴぅううい」

「ヴぁいうう」

「ヴうううっ」


 足音が遠ざかっていく。どうやら切り抜けられたようだ。

 開けたのは恐らく、掃除用具入れだろう。

 ここに隠れて良かったと思いながら、教卓の下でほっと息を吐いた。自分の身体が小柄だったことに、こんなにも感謝したことはない。まさかこんな狭いところで身を丸めているとは思わないだろう。

 静かになったが、もういなくなっただろうか?

 恐る恐る教卓から出た。音を立てないように、こっそりと立ち上がって振り返ると―――、


「ヴぅう……」


 林田さんゾンビが、教室の真ん中に突っ立っていた。


「うわあああっ!」


 驚いて叫んだが、林田さんゾンビはなぜか微動だにしなかった。が、ヤバいと思った瞬間に、僕の身体は勝手に教室の外へと走り出していた。

「うあっ!」

 慌て過ぎたせいなのか、廊下に転がっていた死体に躓いて転んだ。四肢はカチカチに固まっているのに、表面だけがブヨブヨとしている嫌な感触が伝わってくる。

 こうはなりたくない、死にたくない、死ぬわけにはいかないっ。

「おい」

 ドスの効いた声がした。へたり込んだまま振り返ると、取り巻きのゾンビを引き連れた井之内くんが金属バットを振り回しながら立っていた。

「どこに隠れてやがった?クソ陰キャ」

 立ち上がろうとしたが、身体が震えて力が入らない。圧倒的な強者という概念を前に、僕は動けないでいた。

「お前さあ、なんか勘違いしてるんじゃねえの?お前みたいな奴がさあ、俺に逆らっていいと思ってんのかよ、ああ?」

 立て、立ち上がらないと、このままじゃ、

「ハッ、ビビってんじゃねえよ。クソ陰キャ。先生でも呼ぶか?ああ、お前、なんか知らねえけど教師からも無視されてたよなあ?」

 悔しくないのか。こんなゲス野郎にやられて、悔しくないのか。

「お前みてえな奴、いてもいなくても別に変わらねえし、ぶっ殺してやるよ。便利な世界になったよなあ?何をやっても許されるんだからよぉ」

 勇気を、勇気を振り絞れ―――、

「……君に殺せるの?」

「ああ?」

「僕は殺したよ。ここに転がってる人たちは、みんな僕が殺したんだ。君の持ってる金属バットで。人を殺すって、どういうことか分かる?ゾンビっていったって、元は生きてた人間なんだよ。僕は、僕は殺したよ」

「何言ってんだ、てめえ?」

「殺してみなよ。できるもんなら」

 精一杯の眼光で、ゲス野郎を睨んだ。自信を持て。僕は、たくさんのゾンビを殺したんだ。こんな他人に命令することしかできないような、半端な奴とは違う。

「……やってやるよ」

 井之内くんの声がほんの少し震えているのを、僕は見逃さなかった。

「やってみろよ……!」

 僕が啖呵を切ると、場に静寂が訪れた。ゾンビたちの荒い呼吸音しか聴こえない中、闘志を剥き出しにして井之内くんを睨む。井之内くんは金属バットを握る手を、僅かに震えさせていた。

 負けるな、睨み続けろ、ここで引いたら終わりだ。ここで引いたら――……ん?

 あ、あれはっ―――、

「う、後ろっ!」

 咄嗟に、井之内くんたちの背後を指差しながら叫んだ。ビクッと井之内くんの身体が跳ね、慌てた様子で振り返る。

「ヴぉあおおおおおっ!」

 廊下の向こうから僕たちに向かって全力疾走してきたのは、生徒会長ゾンビだった。呻き声を上げながら、生前とまったく同じ爽やかな笑顔でこっちに走ってくる。違うのは白い眼をしていることと、全裸ということだけだ。

「な、なんだ、あいつっ!?おいっ!こっちに来るなっ!やめろっ!」

「ヴぉあおおおおおおおっ!」

 生徒会長ゾンビは返事をするように笑顔で呻いた。今までに見てきたゾンビの中で、一番怖かった。

「うわあああっ!」

 僕はどさくさに紛れて立ち上がり、一目散に逃げだした。あんなのが向かってきたら、例えゾンビじゃなくたって怖い。

「おいっ!やめろっ!コラ!言う事聞けコラッ!お前らっ!俺を守れ!こいつを殺せ!」

 背中越しに井之内くんの怒鳴り声が聴こえてきた。走りながら振り返ると、生徒会長ゾンビが歯を剥き出しにしながら金属バットに齧りついて、井之内くんの手から奪っている最中だった。そこへ取り巻きゾンビたちが生徒会長ゾンビを取り押さえるように縋りついていて、まるで要人を守るSPたちが暴漢と揉み合うような展開になっている。

 ……あれ?

 ふと、脳裏に疑問がよぎった。

 生徒会長ゾンビは、井之内くんの命令に従わない……?

 井之内くんは取り巻きゾンビたちに守られながら、生徒会長ゾンビに対して何度も「やめろ」と命令を下しているのに、言う事を聞く様子はなく、暴れ回って――そうだ。考えてみれば、そもそも、なぜ井之内くんは取り巻きゾンビに命令できる?

 ゾンビは生前の行動を繰り返す。生前の習性を残している。そう、だから僕はみんなから無視されているのだ。


「こいつら、ゾンビになっても俺への忠誠心を忘れてねえんだよ」


 他でもない、井之内くんの言葉——と、その時、林田さんゾンビが揉み合っている一団の後ろで、ぼーっと突っ立っていることに気が付いた。


「林田はどうだか知らねえけど」


 そういえば、林田さんは井之内くんの命令に渋々といった感じで従っていた。渡り廊下で逃げている時も、他の取り巻きたちと違って、やる気が無さそうに僕を追いかけていた。まるで、周りに合わせているかのように……。

 生前の習性。立場。権力。忠誠心。僕を無視するという、みんなのルール。

 もしかして、ゾンビたちは、だとしたら―――、

「クソがっ!逆らうんじゃねえよっ、ボケがっ!」

 取り巻きゾンビたちがとうとう生徒会長ゾンビを制圧し終えて、井之内くんが一息ついていた。生徒会長ゾンビは、まるでトウモロコシを食べるかのように金属バットに齧りついたまま、首をあらぬ方向に曲げてこと切れていた。

「ケッ、変態野郎が。なんで全裸なんだ、こいつ。いけすかねえマジメ野郎だったくせに。ゾンビ風情が逆らってんじゃねえよ、クソッ……あっ」

 立ち尽くしていたせいで、井之内くんと目が合ってしまった。

「おい!待てコラァ!」

 可能性に賭けよう。

 僕は前に向き直ると、とある場所を目指して全力で走り出した。

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