9:WINNER ON STAGE

「待てコラァ!」

 後ろから複数人の足音と、怒鳴り声が聴こえてくる。

 振り向かずに、ただひたすら廊下を走った。転がる死体を飛び越え、時に踏み潰して駆けていく。

「クソ陰キャあ!ぶち殺すぞ!」

 陰キャ陰キャと、うるさい奴だ。語弊力が無いのか、馬鹿め。

 苛立ちを抑えながら、必死に走る。

 もうすぐだ、あの突き当たりの扉をっ———、

 バンッと目的の扉にぶち当たるようにして身体を止めた。急いでポケットの中からマスターキーを取り出し、鍵穴に差し込もうとしたが、焦っているせいか上手く入らない。

 まずい、急げっ!早く、中にっ!

 振り返ると、井之内くんたちがすぐ後ろまで迫って来ていた。

 ヤバいヤバいヤバい!早くっ!

 マスターキーがようやくジリリと鍵穴に入った。が、捻って、中に入ろうと開けかけたところで、

「ヴぁあああっ!」

 先頭の木村くんゾンビが背後に迫って―――、

「くっ!」

 咄嗟に身を縮めて躱した。バガンッ!と音がして振り返ると、木村くんゾンビが中途半端に開いた扉に張り付いていた。が、安心したのも束の間、反対側からは残りの面々が勢いよく迫って来る。

 くそっ、こうなったらっ―――、

「追いついてみろバーカ!」

 精一杯の大声で、目の前に迫る井之内くんたちを煽った。瞬間、身を翻して廊下から右手の階段の方へと飛び込んだ。

「んだとコラァ!おい!早くあいつを喰い殺せっ!」

 真後ろから罵声を浴びせられながら、階段を二段飛ばしで駆け下りていく。挑発は随分と効いたようだ。さっきよりも声が怒気に満ちている。

 いいぞ、もっと大声で喚け!

 計画は思い通りにいかなかったが、扉は開いた。後は、逃げながら待つだけだ。

 全力疾走中に大声を出したせいか、肺がキリキリと痛んだが、構わずに走り続けた。飛び降りるように一階に辿り着くと、廊下を走って、もう一度正面玄関の方へ向かう。

 途中、咄嗟に目に付いた掃除用具入れを開いて、中のほうきやモップを障害物のように廊下にぶちまけた。

 気休めでもいい。時間稼ぎをしながら逃げれば、決着の時は早まる。隠れられれば一番いいが、そんな余裕は無い。

「逃げんなクソ陰キャあ!」

 取り巻きゾンビたちを引き連れた井之内くんが降りてくる。まずい、追いつかれてしまう。

 最後の力を振り絞って、玄関に向かって全力疾走した。外へ出るか、もう一度反対側の廊下から二階へ向かうか迷ったが、階段を駆け上がる体力が残されていないと判断して、咄嗟にバキバキに壊れた玄関の扉を弾き飛ばし、渡り廊下を駆け抜けて――体育館へと向かった。

 学校の外に逃げるのは危険過ぎる。それに、この状況を利用するのなら、学校の中でないと意味が無い。

 頼む、頼むぞ、と祈りながら走った。

 振り返る暇も余裕も無い。渇いた喉から、ヒューヒューと音がする。肺が痛い。立ち止まりたい。もう休みたい。でも、止まるわけにはいかない。命が懸かっているんだ。

「うあっ!」

 慌てていたせいか、急に躓いて転んでしまった。

 ああっ、もう、くそっ、こんな暇ないのにっ。

 立ち上がろうとした瞬間——目の前に、ヒラヒラと何かが飛んできた。

 ———これは!

 飛んできた物を引っ掴むと、強引に丸めてポケットに入れた。

「待てコラァ!殺すぞ!」

 振り返ると、井之内くんが玄関の扉から出てきている最中だった。

 まずい、急げ、追いつかれる前にっ!

 立ち上がって走り出すと、体育館の玄関扉を弾き飛ばして、転がるように中へ入った。そのまま、中途半端に開いた中の扉をするりと抜けて、とりあえずステージの方へと向かう。

「はあっ、はあっ、はあっ」

 ここまで来れば、後は待つだけだ。逃げ回って時間稼ぎをすればいい。でも、もう追いつかれて———、


 ―――バシュンッ!


 と、音がして背中にズキンと鋭い痛みが走った。振り返ると、体育館の真ん中辺りで井之内くんが――拳銃を握りしめていた。

「……え?」




 まさか、なんで、そんな、撃たれた?血が、濡れて、痛い、どうして?

 狼狽えながら後ずさりしていると、ステージへ上がる階段に躓いて尻もちをついた。

「はっ、はっ……。やっと追いついたぜ。チョコマカ逃げ回りやがって……」

 井之内くんが肩で息をしながら言った。煙草で肺が弱っているのか、随分と苦しそうだ。

「ううっ……」

 苦しいのは僕だって同じだ。全力疾走してきたんだし、今まさに撃たれて……?

 痛む背中をさすったが、血は出ていなかった。濡れていたのは、びっしょりと掻いている汗のせいだ。

「へっ、痛えだろ?千葉の改造ガスガンさ。空き缶に穴が開くほど強いからな」

 井之内くんはニヤニヤと笑いながら、引き金を引いた。バシュンと音がして、顔の横をBB弾がかすめた。ステージに弾かれたそれが、テンテンと軽い音を立てて床に転がる。慌てて立ち上がろうとすると、

「動くんじゃねえ!」

 また、BB弾が飛んできた。今度は肩に命中して、ズキンと鋭い痛みが走る。

「うっ……!」

「逃げるなよ。お前は許さねえ。クソ陰キャのくせに俺をバカにしやがって。もういい。お前みてえな奴、生かしておいても何の役にも立たねえから、あいつらにグッチャグチャに喰い殺させてやる。おい!」

 井之内くんの命令に、後ろにいた取り巻きゾンビたちが反応する。

 まずい、もう少し時間を稼がないと―――、

「いっ、井之内くんってさ。そういう風に人に命令するのが好きだよね」

「ああ?」

「普段からさ、命令ばっかりしてたでしょ?そこの木村くんたちだけじゃない。クラスの他の人たちにも命令ばっかりしてたじゃないか。金寄越せとか、宿題見せろとか、ジュース買って来いとかさ」

「何が言いてえんだよ」

「教室の隅っこで見てて、思ってたよ。君ってさ、人を選んでるんだよね。気が弱そうな人とか、言う事を聞きそうな大人しい人を選んで命令してるんだ。自分には逆らえないような、立場の弱い人たちをさ」

「だから何が言いてえんだよ、クソ陰キャっ」

「でも、君は絶対に自分より立場が上の人には命令できないんだ。人気者の高橋たかはしくんとか、川尻かわじりくんには絶対に逆らわなかったよね。嫌われたくなかったんでしょ?君みたいなヤンキーグループのボスでも、クラスの全員から支持されてる有力者に逆らったら、一気にハブられて落ちぶれちゃうもんね」

「うるせえっ!」

 顔の横を、またBB弾がかすめた。

「だから何だってんだ。それがどうしたってんだ。お前よりはずっとマシな立場にいたぜ俺は!学校中から無視されてる、クソ陰キャのお前なんかよりはな!」


 ———ああ、やっと来た。遅いよ、ずっと待ってたのに。


「……今でも、そうかな?」

 中途半端に開いていた体育館の扉がゴリゴリと音を立てて全開になった。そこからなだれ込んできたのは、

「ヴぁあああああっ!」

「ヴおおおおおおっ!」

「ヴがあああああっ!」

 数えきれないほどの、ゾンビたち。

「なっ、なんだ、こいつらっ!」

 井之内くんが、驚愕の声を上げる。

 このゾンビたちは、の向こう——理科室の中にいた連中だ。各学年の教室や廊下に、あまりに溢れていたので、連中。

「君が連れて来たんだよ。言ったじゃないか、ゾンビは音に反応するって」

 狙い通りだった。挑発して、怒鳴らせた甲斐があった。

「君が派手に喚きながら走り回ったから、ここまで追いかけてきたんだよ」

 最初は、理科室の中に逃げ込もうと思った。僕を無視するゾンビの群れの中という、僕だけに対して絶対に安全な領域へと。

 でも、それは間一髪で叶わなかった。が、鍵は、扉は開けられた。

 だから、わざと井之内くんを煽り、大声を上げさせたのだ。理科室の中にいるゾンビたちに、ここに獲物がいるぞ、生きている奴がいるぞ、と気付かせるために。

 もし、僕が声を張り上げても、ゾンビたちは見向きもしなかっただろう。でも、それが僕以外の生きた人間となれば、話は違う。

 そして親切にも、井之内くんはゾンビたちを誘導するかのように、喚きながら追いかけて来てくれた。

 さて、ここまではいいが、後は―――、

「どうする?命令して言う事を聞かせる?」

 ゾンビたちは井之内くんたちを囲い込むかのように、わらわらと散らばっていく。

「おいっ!やめろっ!近付くなっ!俺に近寄るんじゃねえっ!」

 井之内くんが怒鳴った――が、ゾンビたちは動きを止めなかった。

 やっぱり、思った通り……!

「あ、あれ、言う事を聞かないね。やっぱり、君の言う事なんて、木村くんたちくらいしか聞かないんだね」

 震え声で、言い返してやった。どうやら、僕の推測は当たっていたようだ。

 いや、考えてみれば、当然の事だろうか。

 同じクラスの連中ならまだしも、この群衆は色んな学年が入り乱れているのだ。たかが二年一組のヤンキーグループのボスのことなど知らないだろうし、知っていたとしても大人しく言う事を聞くようないわれはない。井之内くんの権力、もとい能力なんて、所詮そんなものだ。

 、取り巻きくらいしか命令を聞かせられない、範囲が限定された、ちっぽけな能力。

 でも、僕の能力は違う。

 僕の陰VISIBLEは、学校中の人間に通用するのだ。だから、こうして襲われることは無い。

 つまり、僕こそが、勝者だ……!

 よろよろと立ち上がり、後ずさりするようにステージの上へと上がった。体育館は扉からなだれ込んできたゾンビの大群でいっぱいになっていく。ステージ上から見たら、まるで全校集会のようだった。校長先生って、こんな感じで僕たちを眺めていたんだろうか。

「おいっ!やめろっ!き、木村っ!千葉!杉原っ!俺を守れっ!おいコラ!聴こえてんのか!」

 井之内くんは、あっという間にゾンビの大群に取り囲まれてしまった。辛うじて取り巻きゾンビたちに守られてはいるが、凄まじい四面楚歌状態になっている。

「おいっ!お前らっ!おい!……お前ら?」

 それまで井之内くんの命令に忠実だった取り巻きゾンビたちが、なぜか急にくるりと向き直った。木村くんゾンビも、千葉くんゾンビも、杉原くんゾンビも、井之内くんにジリジリとにじり寄っていく。まるで、状況を察したかのように、場の空気を読んだかのように。

「お、おいっ!よせっ!やめろっ!来るなっ!」

 井之内くんがエアガンを乱射したが、ゾンビたちはBB弾が当たっても、怯む様子はなかった。パシュパシュと間抜けな音を立てながら、BB弾が辺りに散らばっていく。

 やがて、弾切れを起こしたのか、エアガンは引き金がカチャカチャと鳴るだけのオモチャと化した。

「やめろっ!来るなっ!くっ、来るんじゃねえ!」

 さっきまでの勢いはどこへやら、井之内くんはまるで追い詰められた子羊のように狼狽えていた。

「……諦めなよ。君は、選ばれなかったんだよ。この世界に」

 僕はボソリと呟いた。溜まりに溜まった溜飲が、スッと下がっていくのを感じた。

「あ……ああっ……」

 味方を失くした井之内くんが、ゾンビの群れの中に消えていき―――、


「うぎゃあああああああああああああっ!」


 断末魔の叫びが、体育館に響き渡った。それはどんどん小さくなっていき、ついに途絶え、代わりにブチブチグチャグチャという不快な音がした後、ゾンビたちは急に興味を失くしたように辺りに散らばっていった。

 その中央に、倒れていた人影があった。身体中をまんべんなく齧られて血だらけの井之内くんが、ビクビクと痙攣しながら床に横たわっている。

 僕はステージから降りると、置き去りにしていたリュックを拾い上げて背負い直し、ゾンビたちをひらひらと躱しながら、井之内くんの元へと向かった。

「……僕だよ、井之内くん」

「ヴあぅ?」

 井之内くんゾンビがむくりと起き上がった。ヨタヨタと立ち上がると、生気のない真っ白な眼で、こっちを見てくる。

「……君は、僕のことが見えるの?」

「…………ヴぅん」

 ダメ元で聞いてみたが、井之内くんゾンビはきょろきょろと辺りを見渡した後、僕のことを無視してどこかへ行ってしまった。

 どうやら、僕の陰VISIBLEが井之内くんにも通用したらしい。さっきまで僕のことを殺したがっていたというのに、ゾンビになったら忘れてしまったのだろうか。

 ……いや、まさか、ゾンビたちは場の空気を読むことができるのか?

 さっき、取り巻きゾンビたちは、急に井之内くんを裏切って襲い掛かった。まるで、周りに合わせるかのように。

 井之内くんゾンビも場の空気を読んだのだろうか?みんなが僕を無視しているから、自分も無視しなければと。生前と同じように。

 思わず、自嘲的な笑みがこぼれた。悲しいけど、ともかく僕の勝ちだ。僕は、勝負に勝ったんだ。陰VISIBLEを駆使して、井之内くんというゾンビを操る能力者に勝ったんだ。

「……ふふっ、ははっ、ははははははははっ!」

 今までにないくらい、大声で笑った。

「はははははっ!ははっ……はは……」

 ひとしきり笑った後、我に返った。

 ああ、また孤独になってしまった。

 まあ、いいさ。僕だけの世界だ。ここは、僕だけの無敵の世界だ。

 独りでだって、別に……。

「ヴうぅ」

 呼び掛けられた気がして振り返ると――後ろに、林田さんゾンビが立っていた。

「……林田さん?僕のことが分かるの?」

 林田さんゾンビの目は、僕を真っ直ぐに見つめていた。白く濁っていて分かりにくかったが、その眼は確かに僕を射抜いていた。

「……林田さん。これ、林田さんが描いてくれたんだよね?」

 ポケットから、さっき渡り廊下で偶然拾った物を取り出した。クシャクシャに丸まったそれを丁寧に引き延ばすと、僕の似顔絵が現れた。

 屋上で風に飛ばされてしまった、僕が好きな人から存在を認識されているという確かな証拠。水で滲んだせいで、ピントが合っていないかのようにぼんやりとした僕が、クシャクシャになった画用紙の中に描かれている。

「……林田さん、僕のことが見えるんだよね?見てくれたから、認識してくれたから、これを描いてくれたんだよね?」

 林田さんは動かない。でも、僕の方を見ている。

「……林田さん。林田さんは、僕のことを……無視しないよね?」

 林田さんは動かない。でも、でも、僕の方を見ている。

「……林田さん?」

 林田さんは———、


「……ヴぅう」


 僕のことを無視して、どこかへ行ってしまった。

 他のゾンビたちと、同じように。

「…………」

 僕はポツンと独り、体育館の真ん中に立ち尽くした。

 たくさんのゾンビがそこら中にいるのに、誰も僕のことが見えていないかのようだった。

 そんな……なんで……。

 僕は……僕は……。

 誰にも、見てもらえないのか?

 そう絶望した瞬間、

 急に、

 目の前が、

 意識が、

 世界が、

 真っ白になって―――――。

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