8:COME TO MY HOUSE

 僕たちは次の目的地を目指して走り出した。

 来た時と同じように、平坦な町を突っ切って、吊り橋を渡り、長く真っ暗なトンネルに入り込んでいく。

 サキナさんの後ろで風を浴びながら、僕は身体が冷えていくのを感じた。

 風のせいではなかった。むしろ、風は真夏の空気を帯びていて、身体の表面を仄かに熱くした。それでも、芯の辺りは冷えていくばかりだった。

「どっちに行けばいい?」

「えっと、まっすぐです」

「まだか?」

「えっと、次の信号を左です」

 サキナさんをきちんとナビゲートしたが、僕は目的地に着いてほしくはなかった。

 できることなら、このままどこか別の場所へ行ってしまいたかった。心の中で何度も、なぜあんなことを言ってしまったんだ、と後悔していた。

「……僕も、やります」

 そう告げた時、サキナさんは、

「……そうか」

 とだけ言い、エンジンをふかした。

 それ以降、特に詮索しようとしてこないサキナさんには、感謝していた。

 サキナさんには、僕の家族のことを話している。話す、というよりは、あれは僕にとって懺悔のようなものだったが。

 思い出すだけで、喉の奥がキュッと痛む。あそこまで鮮明に、心の傷口を他人に見せたのは初めてのことだった。

 世界が崩壊してから、過去なんて何の意味も成さなくなった。僕にとって、それは都合が良いことだった。

 誰にも話したくはなかった。兄の言葉をきっかけに家族から無視されていたことも、友達が一人もおらず、学校中の人間から無視されていたことも、親友だと思っていた人間から裏切られたことも。

 もし、孤独で惨めだった過去を知られたら。そう思うと、怖かった。心の傷口を曝け出すなんて、僕にとっては心臓を差し出すも同然だった。

 でも、傷口を曝け出したおかげで、サキナさんは立ち直ってくれた。自分を虐げてきた者たちにケリをつけて、清算するまでに至った。忌まわしい過去を。自分の家族と真っ向から向き合って。

 脳裏に、殺した父親の亡骸を前に泣き崩れるサキナさんの姿が浮かぶ。

 僕は、どうなってしまうのだろう。

 父と、母と、そして兄。

 そもそも、まだ生きているのだろうか。とっくにどこかへ逃げおおせているのではないだろうか。あの人たちは、頭が良くて機転も利くし。家にいないかもしれない。

 でも、もし、サキナさんの父親と同じように、家で三人ともゾンビになっていたとしたら。

 ゾンビになった家族を前にしたら、僕は一体、どうなってしまうのだろう。




「……そこです。その、白い車が停まってる家」

 その言葉を最後に、ナビゲートは終了した。

 サキナさんが辺りを警戒しながら、スクーターのエンジンを切った。スルスルと、余力だけで敷地に入り込んでいく。そのまま、スクーターはカーポートの空きスペースに停車した。

 ゆっくりスクーターから降りると、サキナさんは音を立てないよう、慎重にスタンドを立てて身をかがめた。僕もそれに倣い、身をかがめる。

 耳を澄ましてみたが、住宅街のど真ん中とは思えないほど、辺りは静かだった。不気味なくらいに物音ひとつしない。遠くでセミが鳴いているだけで、ゾンビの気配は微塵も感じられなかった。道中、ちらほらと目にはしたが、ここら辺にはうろついていないようだ。

 YOUトピアを出る際に、身に着けておいた腕時計を見る。ズレていないのならば、今は午前十時過ぎだ。確かに、この時間帯に住宅街をうろつく人間はあまりいないだろう。ゾンビが今もきっちりと、生前通りの営みを繰り返していたらの話だが。

 サキナさんと目配せしながら、金属バットを構えた。そのまま、辺りを警戒しながら玄関の方へ向かっていると、

「……お前んち、金持ちなんだな」

 と、サキナさんが呟いた。

「え?」

「これ、外車だろ。それに、こんなでっけえ家……」

 サキナさんはカーポートの車をしげしげと眺めた後、僕の家を見上げた。

 経済事情は知らないが、確かに僕の家は他の家に比べて、少しだけ裕福だったのかもしれない。

 産まれた時からこの二階建ての家に住んでいたし、物心がついた頃から海外メーカーの車がここに停まっていた。今まで二回ほど家の車は買い替えられていたが、どれも海外メーカーのものだった。まあ、僕は今ここに停まっている車に乗せてもらったことはないのだが。

 思い返せば、家族に無視されるまでは、別に生活に不自由したことはなかった。兄と比べて扱いが違ったのは確かだが、まともに生活品や娯楽品を買い与えられていたし。

「……こっちです」

 サキナさんを先導する。気恥ずかしいような、それでいて、ほんの少しだけ誇らしいような、奇妙な感覚が胸に湧いていた。

 思えば、人を家に招くなんて、初めてのことだった。まだ、みんなから無視される前、少なからずも友達がいた小学生の頃も、自分の家に招いたことは一度も無い。

 どうしてだろう。別に禁じられていたわけではないし、兄は普通に友人を家に呼んでいた。でも、僕は自分から招いたことも、行ってもいい?と問われたことも、一度も無い。

 もしかしたら、あの頃から既に、僕の孤独な人生の筋書きは決まっていたのだろうか?

 だとしたら、それは台無しに終わったな、と無気力にほくそ笑んだ。僕は今、サキナさんを家に招いているのだから。ほんの僅かな高揚感を胸に、玄関へ向かう。

 だが、それは玄関の扉にこびりつく血を前にして、瞬く間に消え失せた。代わりに、息が止まり、冷たい感覚が心臓からジワジワと全身に広がっていった。

 ……誰の血だ?取っ手にも、血が。母だろうか?母は専業主婦だ。昔は建築デザイナーの仕事をしていたが、兄が高校生になってからは引退して専業主婦になった。日中は大体家にいる。

 父の血?そういえば、車が停まっている。ゾンビ・パンデミックが起きたあの日は、平日だったはずだが、車があるということは、父は混乱の最中、家に帰ってきたのだろうか。

 ……兄は?

 あの日の朝は、普通通り高校に行ったはずだ。その後は予備校に。いや、昼間にゾンビ・パンデミックが起きたから、予備校には行っていないはずだ。だとしたら……。

「……あかる?」

 サキナさんに声を掛けられ、我に返った。止まっていた息が、ドッと口から漏れ出る。

「大丈夫か?」

「……はい」

 心配してくれたサキナさんに弱々しく返事をすると、息を深く吸い、玄関の取っ手を掴んだ。こびりついていた血は渇き切っていて、錆びた鉄棒を掴んだような感触が手に伝わった。ゴクリと唾を呑んで、扉を引く。

 ガチャリと、容易く扉は開いた。中から、むわりと熱を帯びた空気が吹いて、顔を撫ぜた。久しく嗅いでいなかった〝自分の家の臭い〟という概念が、鼻から脳に突き抜けて、厭な懐かしさを感じさせる。

「……っ!」

 玄関タイルに放り出されている靴を見て、一瞬で理解した。

 ———みんな、家にいる。

 心臓がドクンと脈打った。口の中が、カラカラに渇いていく。

 落ち着けと、ぎこちなく息をすると、腐臭が鼻に付いた。リビングに続く扉は閉められていたが、直感でその向こうから漂ってきているのだと分かった。

 扉のドアノブと明かり窓に、塗りたくったように血が付いていたからだ。

「うっ……」

 思わず、扉を閉めた。シャツの襟をギュッと掴んで、玄関に背中を向ける。

「あかる。大丈夫か?別に、無理しなくても……」

「大丈夫です」

 俯いたまま、答えた。別に、怖くなって扉を閉めたわけじゃない。

 思い出したのだ。家の臭いを嗅いだせいで。

 ここで、どんな扱いを受けていたかを。

 顔を上げた。サキナさんは心配そうに覗き込んでいたが、僕の顔を見るなり、なぜか困惑したような表情を浮かべた。

「……大丈夫ですから」

 それだけ言うと、玄関に向き直った。金属バットを握りしめ、もう一度扉を開ける。また、家の臭いがむわっと顔を撫ぜる。

 覚悟を決めて、中へ踏み込んだ。散乱している靴を踏みつけて、土足のまま上がりこむ。サキナさんも後に続いたのか、ガチャリと玄関の扉が閉まる音がした。

 そのまま、リビングへ続く扉の前に立つ。よく見ると、明かり窓の血は、磨りガラスの向こう側に付いていた。

 つまり、この扉の先に———。

「サキナさん、ここで待っててください」

「……え?」

 手汗をズボンで拭った。リュックのサイドポケットに入れたナイフの手触りを確かめる。

「お、おい。ちょっと待て、あかる。大丈夫なのか?俺も——」

「大丈夫です。……独りで」

 背中を向けたまま、サキナさんの言葉を遮ると、ドアノブに手を掛けた。

 さっきまでザワついていた頭の中は、なぜか酷く冷静になっていた。呼吸も、脈も、いつの間にか落ち着いている。

 僕は目を閉じると、家族の顔を思い浮かべた。父と、母と、兄の顔を。

 ———ただいま。

 そう心の中で呟くと、僕は扉を開き、中へ入った。

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