5:MAKE A MISTAKE

 次の日から、僕たちは本格的に拠点を充実させていった。

 割り箸に紙皿、紙コップなどの食器類に、お湯を沸かすコンロ用のガス缶やランタンライト用の乾電池、ティッシュやふきん、洗顔シートなどの日用品を、あちこちから持ってきて取り揃えた。それぞれ、生活用品、キッチン用品、資源と、きちんとジャンル毎に収納ケースやバスケットへと分別した。

 衣類も同様に、シャツや下着、靴下、寝間着用の服やバスタオルなどの他に、消臭スプレーなんかも持ってきて、それぞれの衣装ケースに詰め込んだ。

 狭いバックヤードには蓋付きのポリバケツを並べて、ゴミ捨て場として使用することにした。別に分別する必要はなかったが、一応、燃やせるものと、缶やペットボトルなどの燃やせないものの、二種類に分けて捨てることにした。

 僕の提案した通りに、近くのトイレの洗面台をお風呂、もとい身体の洗い場にすることにした。もちろん水は出ないので、身体は薬局にあった介護用の身体拭きシートで拭くことにして、髪はペットボトルの飲料水で洗うことに決めた。毎日洗っていてはもったいないので、身体や髪の臭いが限界を迎えたら水を節約しながら洗うというルールも作った。その分、シャンプーやボディーソープ、歯ブラシや歯磨き粉は、無駄に値段の高い高級品を持ってきた。

 トイレはタンクに水を溜めれば流すことができたので、噴水池の水をポリタンクで運んで常備することにした。排水管が詰まったりしないのか心配だったが、今のところは問題なく使えそうだったので安心した。

 他にも、漫画やスケートボード、携帯ゲーム機や弾けもしないギターなど、たくさんの娯楽品をいたずらに持ち込んだ。家電品店で、缶電池とハンドル回転で充電することができる多機能防災ラジオを見つけたので、それを使って携帯ゲーム機やウォークマンを充電した。

 日々を暮らしていく内に、拠点には物が溢れていった。必要なものも不必要なものも関係なく、僕たちの生活がそこにできあがっていった。

 最初に来た時とは違い、殺風景なキャンプ用品店だった拠点は、すっかり手垢にまみれた何不自由ない生活空間と化し、僕たちはとうとう安全な日常というものを手に入れた。

 とはいえ、不安が完全に消え去ったわけではなかった。頭の片隅には常に、この理想郷はいつか必ず終わりを迎えてしまうという恐怖が居座っていた。

 物資はいずれ無くなってしまうだろうし、もし強めの地震が来たら、ここは文字通り崩壊してしまうのだから。

 でも、僕もサキナさんも、わざわざそれを口にすることは無かった。そんなことを考えたって、無意味だからだ。

 いつ来るかも分からない終わりのことを考えるのなんて、無駄な行為としか思えなかった。まるで、隕石が降ってきやしないかと怯えて暮らすようなもの。正に、杞憂だった。

 だから、毎日を楽しく暮らすことだけを考えて過ごした。問題は先延ばしにして、ただひたすらに楽しいことだけをやった。

 何なら、地震が来ても良いとさえ思っていた。楽しいまま、一瞬で死ねるのなら最高じゃないかと考えていた。

 サキナさんはどう思っているのかは知らないが、僕は別にそうなってもいいと思っていた。

 それほどに、僕を見て、僕の名前を呼んでくれる人——サキナさんと一緒にYOUトピアで暮らすのは、楽しかった―――。




「メシが無くなってきたな。取りに行くか」

 サキナさんがお気に入りのヒョウ柄のクッションを放り出し、髪をヘアゴムでまとめながら呟いた。

 僕は切り終えた爪のくずをティッシュで包みながら、物資カゴの方を見た。確かに、最初に持ってきておいた食料が大分減っている。ここへ来てもう一週間は経っているだろうから、当然と言えば当然だ。

「僕が行ってきます。えっと、いつものカップ焼きそばでいいですか?」

「よく分かってんじゃねえか。あと、水も無くなりそうだな。俺が水を持ってくるから、あかるはメシを頼むぞ」

「それなら、僕が水を持ってきますよ。重いだろうし」

「大丈夫か?昨日、スケボーでコケてから肩が痛いって言ってただろ」

「あ、あれはサキナさんがジャンプしてみろって囃し立てるから……」

「お前が下手だからコケたんだろ」

「そんな無茶苦茶な……」

「なんだ、口答えしやがって。くらえっ!」

「わあっ!もう、ヘアゴムパッチンは禁止って言ったじゃないですか」

「うるせえ。ほら、とっとと行くぞ」

 僕たちは身のない会話をしながら、一階へ降りた。結局ジャンケンで負けた方が水を運ぶことになり、あっさりと負けた僕は食品売り場の飲料コーナーへ、サキナさんは別の区画の食品売り場へ、それぞれ目的の物を調達しに向かった。

 飲料コーナーに辿り着くと、水のボトルを目一杯カゴに詰め込んだ。入るだけ詰め込んでも、まだまだ在庫には余裕があった。無駄使いしたとしても、ざっと半年は持ちそうだ。

 胸を撫で下ろしながらカゴを持ち上げると、持ち手が歪むほどずっしりと重かった。抱えているだけで肩がギシギシ軋み、昨日転んで痛めたところが、じわじわと悲鳴を上げる。

 これくらいなんだ、またサキナさんにからかわれてもいいのかと、自分に檄を飛ばしながらカゴを運んだ。へこたれる姿を見られないように、棚の影で小休憩してから階段に戻ると、まだサキナさんは戻ってきていなかった。

 辺りはシンとしている。先に帰ったのだろうか?いや、サキナさんはそういう人じゃない。

 暇つぶしに辺りをふらふらしながら待っていると、とあるテナントが目に付いた。遠目からでもどういう店か分かるほど、分かりやすい内装をしていた。

 ……あれ、持ってきてみようかな。

 僕は不純な高揚感を胸に秘め、そのテナントに向かった。




「十分だな。これだけありゃ当分足りるだろ」

「ふう、ふう、よいしょっと……」

「どうした、あかる。顔色悪いぞ」

「へ、平気ですよ。これくらい……」

 僕たちは、大量の水と大量の食料品をカゴに詰めて拠点に帰ってきた。目一杯詰め込んだ僕のカゴが可愛く見えるほど、サキナさんのカゴには山のように食料品が詰め込まれていた。一体どういう詰め込み方をしたらこんな風になるのだろう。

 しゃがみ込むと、無作為に詰め込まれた食料たちを、きちんと分けていった。

「何やってんだ、あかる。そんなの適当に詰めときゃいいだろ」

「僕、こういうの気になっちゃうんです。きちんと分けておきたくて」

「几帳面な奴だな。まあいいよ、好きにしろ」

 お湯が必要なもの、そうでない主食、お菓子類、缶詰類と、それぞれ分別しながら食料品の山を崩していった。サキナさんの言う通り、これだけあれば当分は持ちそうだ。

 これは主食、これも主食、これは缶詰、これはお菓子、これもお菓子……。

「おい、なんだこれ」

 振り返ると、サキナさんが僕のカゴからチューハイの缶を取り出していた。

「あっ、それ、さっき、お酒屋から持ってきたんです。その……飲んでみようかなって。あの、サキナさんも――」

「戻してこい」

「え?」

「俺はこんなもの飲まねえ。いいから戻してこい」

 サキナさんのその声は、今までに聞いたことがないほど冷たく、刺々しかった。

「で、でも――」

「戻してこいっつってんだろ。こんなもん飲むんじゃねえ」

「……サキナさん、ビビってるんですか?」

 言った瞬間に、しまったと思った。が、後悔する間もなく、サキナさんが、

「ああ?」

 と、詰め寄ってきた。

「お前、今なんつった?」

「いっ、いや、その――」

「いいからさっさと戻してこいっ!」

 真正面から空気がビリビリ震えるほどの怒声を浴びて、僕は縮こまった。張り詰めた沈黙が続いて、キリキリと耳が痛んだ。

 俯いて黙りこくっていると、サキナさんが無言で僕にチューハイの缶を差し出してきた。

「…………っ」

 僕は奪うようにサキナさんの手から缶を取ると、逃げるように拠点を出た。




 下を向いて、当てもなくYOUトピアの中を彷徨った。頭の中では、後悔と邪念がグルグルと果てしなく渦巻いていた。

 ———サキナさん、ビビってるんですか?

 なんであんなことを言ってしまったんだろう。嫌われてしまっただろうか。ああ、僕はどうしようもない馬鹿だ。どうして、でも……。

 あんな言い方しなくたっていいのに。

 何を言ってるんだ。悪いのはふざけてお酒なんか持ってきた僕の方だ。全部僕が悪いんだ。

 でも、それにしたってあの言い方はないだろ。

 大体なんだ。めちゃくちゃヤンキーみたいなのに、お酒を飲むってことに関しては優等生なのか。

 ふざけるな。何、サキナさんのせいにしてるんだ、馬鹿。お前のせいだ。お前がヘラヘラと軽率な行動をしたせいで嫌われたんだ。

 だからって、あんな言い方される筋合いはないだろ。大体、普段から僕のことを馬鹿にしやがって。ガキ扱いしやがって。

 何開き直ってるんだ。お前は中学生のガキなんだ。酒なんか飲めないだろ。

 ふん、世界はとっくに崩壊してるんだぞ。酒を飲むくらいなんだっていうんだ。

 うるさい、お前のせいだ。

 別にいいだろ、それくらい。誰も何も言わないんだから。

 うるさい、黙れ。

 飲んじまえよ、その酒。

 うるさい、うるさい、黙れ。

 ———お前、ビビってんのか?


「うるさいっ!」


 自意識に詰られて、独り、叫んだ。誰もいないYOUトピアの通路に、僕の声が虚しく響いた。

 ……ビビってるもんか。

 手の中の缶を見つめた。ジュースみたいなパッケージだが、はっきり〝お酒〟と印字してある。

 プルタブに爪を立てて、缶を開けた。プシュッと音がして、鼻先に未知の匂いが漂った。甘い香りの中に、微かに後ろ暗いものが潜んでいる気がした。

 世界が崩壊してるんだ。

 秩序なんて、法律なんて、もう存在してない。

 僕は、ガキじゃない。

 僕は、

 僕は、

 僕だって―――、


「…………」


 缶に唇を付けた途端に、背筋にゾワリと悪寒が走った。

 これを飲んでしまったら、僕は———、

「……っ!」

 何もかも嫌になり、全力で缶をぶん投げた。缶は飛沫を撒き散らしながら紳士服店のテナントの壁に当たり、床に転がってシュワシュワと中身を吐き出した。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」 

 急に息苦しくなり、膝に手をついた。視界がグラグラと歪んで、首筋がジンジンと唸りだす。

 あれ、どうしたんだ、身体が……。

 フラフラと歩くと、心臓がバクバクと音を立てて、冷たい汗が額に滲んだ。身体の表面は熱いのに、芯の辺りが酷く寒い。

 立っていられなくなり、ヘナヘナと通路の真ん中にくずおれた。床に手を付くと、ずっと身に着けているアンデッドマンの指輪がカチリと音を立てた。冷たいフロアタイルに体温を奪われていくようで、気持ち悪い。

 立ち上がらないと、ダメだ、どうにかしないと、戻らないと。

 戻る?

 拠点に?

 サキナさんがいる拠点に?

 怒られたのに?

 嫌われたのに?

 ぐらつく頭を上げると、各フロアを一望できる吹き抜けの景色がグニャリと揺れた。まるでYOUトピアが僕を呑み込もうとしているようだった。

 あれ?

 これって、ヤバくないか?

 僕は……死ぬのか?

 ここで?

 独りで?

 そんな、

 嫌だ―――、

 身体がグラリと後ろに倒れていくのを感じながら、僕の意識はブツリと途切れた。

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