5:WHO ARE YOU?

 ———パチパチパチパチパチ……


「……オイ」

 サキナさんが怒気のこもった声で切り出すと、アンデッドマンは拍手するのをやめた。

「何なんだよ、てめえっ」

 喧嘩腰の尖った声が、静かな体育館を切り裂くように響いた。返事を待たずに、サキナさんはツカツカとアンデッドマンの方へ歩いていく。僕も金属バットを握りしめて、その後に続いた。

「答えろ、てめえ、何モンだ」

 アンデッドマンは拍手こそ止めたが、まるで動じていなかった。また、さっきまでのように、手を顎の下で組み、帽子を目深に傾けている。

「……訊いてんだろっ!何モンだ、てめえっ!」


「うるさいな」


 小さく、だが、はっきりと輪郭を保った声が響いた。

 サキナさんの鋭い声とは対照的な、生気が無く、それでいて、ぬらりと首元に纏わりつくような妖しさを感じる声だった。

「……なんだと?」

 サキナさんが、気圧されずに言い返す。

 とうとうステージの前まで来たが、アンデッドマンは座り込んだままだった。

「……誰だと思う?」

 アンデッドマンが、ぬらりと呟く。

 間近で聴くと中性的な声色だったが、反ってそれが、得体の知れなさを高めた。まるで、人ではない何かと対話しているような——ただ、黒いコートから覗く手足は、華奢な印象を感じさせた。足にも、包帯を巻いているようだった。

「知るかよ」

 啖呵を切るように、サキナさんが釘バットを突き付けた。

 ヒリヒリとした沈黙が流れる。

「……お前なんかには、分からないよ」

 スッと、アンデッドマンが立ち上がった。咄嗟に僕も金属バットを構えると、アンデッドマンはペタリ、ペタリと、階段を下りてきた。同じ目線に立って分かったが、サキナさんよりも背が低く、僕よりも背が高かった。

「答えろ。お前、ゾンビか?それとも、人間か?」

 物怖じせずに、サキナさんが釘バットを突き付けたまま、質問した。

 アンデッドマンは沈黙していたが、不意に足元に転がる諏訪ゾンビの生首に、ペチャッと片足を置いた。

 目が離せないでいると、グググ……と裸足の足が諏訪ゾンビのこめかみに沈んでいった。まるで、柔らかいゴムボールのように生首が楕円型に変形していき、白く濁った眼球がブチュチュと零れ出て、割れた銀縁眼鏡のフレームに引っ掛かったかと思ったら、


 ———バヅン!


 と、諏訪ゾンビの頭が踏み潰され、弾け飛んだ。

「……っ!」

 息を呑んでいると、

 アンデッドマンが足にへばり付いた肉片を振るい落としながら、こっちに向かって歩いてきた。

「チッ!」

 サキナさんが突き出していた釘バットを振るおうと、後ろに引いた。瞬間、


 ———タンッ

 

 と、音がして、サキナさんの姿が横から消えた。

「……え?」

 咄嗟に振り返ると、サキナさんがゴロゴロと床を転がっていた。まるで、吹き飛ばされたかのように。

 ……何が、起きた?

「よそ見してていいの?」

 向き直ると、アンデッドマンが目の前に立っていた。

 ……こいつが、一瞬の内に、サキナさんを突き飛ばしたのか?

「……っ!」


 ———ガィン!


 と、反射的に振るった金属バットが、アンデッドマンの手に握られていた。

 受け止められた、と理解した瞬間、下腹部に異物がめり込む感触と鈍痛が走り、身体が後ろに吹き飛ばされた。

「があっ……!」

 縦に横に回転し、ゴロゴロと転がった身体は、ようやく床に突っ伏す格好で止まった。

 息が、できない。身体中を強かに打ちつけたようだったが、どんな痛みよりも腹に重く響く鈍痛の方が、ずっと痛かった。

 制服を見ると、腹の辺りに真っ赤な足の跡がじわりと付いていた。

 蹴りを入れられたのか―――、

「あ、あかるっ……!」

 声のする方を見ると、サキナさんが真横で釘バットを床に突き立てながら、よろよろと立ち上がっていた。

「大丈夫かっ?」

 はい、と答えようとして、口からパクパクと息が漏れた。

 声が、出ない。

「……っ……はいっ」

 喉から必死に返事を絞り出した。痛みを堪えて、立ち上がる。

 アンデッドマンは、僕から奪った金属バットを手に取ってしげしげと眺めていた。

「何なんだ、あいつっ……!」

 サキナさんが肩を押さえながら呻いた。

「わ、分かりませんっ……でもっ……!」

 とにかく、僕たちに敵意があることと、とんでもなく力が強いということだけが、身に染みて理解できていた。

 二人して呆然と立ち尽くしていると、アンデッドマンはゆらゆらとこっちに向かって歩いてきた。

「お前っ、何なんだよっ!」

 サキナさんが僕を庇うように前に立ち、釘バットを構えた。押さえていた肩が、小さく震えている。

「お前、何なんだよぉ?」

 アンデッドマンが、わざとらしく首を傾げて繰り返した。

「それはさあ……」

 化物に睨まれたかのような緊迫感が漂う。

「こっちのセリフなんだよねえっ!」

 アンデッドマンが襲い来る。と同時に、サキナさんが前に踏み出した。


 ———ガキンッ!


 と、釘バットと金属バットがぶつかり合い、渇いた金属音が響く。

「ぐうっ!」

 力負けしたのか、釘バットが弾かれたが、サキナさんは手放さずに、もう一度アンデッドマン目掛けて振るった。ガギッ!と音がして、今度は弾かれずに、鍔迫り合いのような膠着状態に陥った。

「ぐうっ……くそがぁっ!」

 押し負けそうになったサキナさんが、アンデッドマンに蹴りを入れた——はずが、アンデッドマンはそれを片手で容易く受け止めると、まるで猫でも扱うかのように、サキナさんを振り回した。

「がああっ!」

 投げ飛ばされたサキナさんが、釘バットと共に転がっていく。僕は、その光景を呆然と見ていることしかできなかった。

「……来ないの?」

 アンデッドマンは飄々と僕に近付いてきた。蛇に睨まれた蛙のように動けないでいると、

「ああ、怖いの?じゃあ、これ」

 金属バットをひょいと投げられ、慌てて受け取った。

 ……僕は今、ハンデを与えられたのか?

「……っ!うあああああっ!」

 やけくそ気味に駆け出し、金属バットのフルスイングをっ!

「……っ!?」

 金属バットが空を切り、身体が勢いに躍らされる。

 避けられたと、理解する間もなく、

「がぁっ!」

 脇腹に衝撃が走り、膝を突いて倒れた。内側から、ジュクジュクとした痛みが広がっていく。

「あれ?怪我してるんだ。そこ」

 後ずさるように振り返ると、アンデッドマンが血の付いた拳を掲げながら、僕を見下ろしていた。脇腹を見ると、傷口が開いたのか、制服にじんわり血が滲んでいた。

「くうっ……!」

 いつの間にか落としていた金属バットを拾い、どうにか立ち上がった。

 痛い、痛い、息ができない、でも、どうにか、こいつをっ!

「あああっ!」

 一直線に振り下ろした金属バットが、ゴンッ!と床を叩いた。ビリビリと手に衝撃が伝わったかと思うと、

「そんなんじゃ当たんないよ」

 耳元で声がした。瞬間、ドンッと突き飛ばされ、勢いよく横向きに倒れ込んだ。

「ぐぁあっ!」

 金属バットが、カラカラと明後日の方向に転がっていく。打ちつけた肩の痛みに喘いでいると、

「ここ?ここが痛いの?」

 アンデッドマンが裸足の足で、僕の脇腹をグリグリと踏みにじった。

「ぐああああっ!」

 あまりの痛みに、悲鳴を上げた。逃れようと必死に身をよじったが、アンデッドマンは逃すまいと、より一層力強く傷口を踏みつけた。

「ぁぐっ、げほっ、かはっ……!」

 喉から悲鳴が枯れて、声にならない声が漏れる。足を除けようと手を振り回したが、振り払うことはできなかった。

 アンデッドマンはそんな無力な僕を、ニヤニヤと見下げていた。顔にも包帯をグルグルと巻いていて、二つの白い目だけがその隙間から覗いていたが、それは明らかに僕を嬲ることを楽しんでいた。

「あっ……!」

 とうとう吐く息を失い、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてきた瞬間、

「うオラあああっ!」

 怒声と共に、突如としてアンデッドマンが吹き飛んだ。

「うえっ、げほっ!はっ、はあっ、はあっ……」

 必死に息をして、唾を呑み込んでいると、サキナさんが、

「大丈夫かっ!あかるっ!」

 と、僕を抱き起した。

「げほっ、だ、大丈夫ですっ」

 遠くの方で倒れるアンデッドマンを見て、何が起きたのかを理解した。サキナさんが跳び蹴りを喰らわせたのだ。

 痛みを堪えて立ち上がると、目の前をひらひらと落ちるものがあった。

 黒いソフト帽——これは、アンデッドマンが被っていたもの。

 アンデッドマンの方を見ると、倒れたままピクリとも動いていなかった。羽織っている黒いコートが、まるで応急的に死体にかぶせる布のようになっている。

「何なんだよ、あいつっ……」

 サキナさんがよろよろと、釘バットを構えながら近付いていく。僕も、痛む脇腹を押さえながら続いた。

 死んだのだろうか?

 黒いコートのふくらみは、微動だにしていなかった。呼吸をしていないように見えるが……。

「……っ」

 サキナさんが恐る恐るといった様子で、すぐ傍まで近付くと、構えていた釘バットを振り上げた。

 その一瞬の内に、光速で思考が駆け巡る。

 こいつは、人間なのだろうか?それとも、ゾンビなのだろうか?もし、人間だったとしたら、サキナさんを止めないと。でも、こいつの目は白く濁っていた。だとしたら……。でも、こいつは確かに自分の口で言った。〝どっちでもないよ〟と。ならば、こいつは何だ?いや、でも、何であろうと、僕たちを殺そうとしているのは確かで、だったら止める必要は———、


 ———バサッ! 


 突如として視界が黒に覆われた。

 何が起きたか理解する間もなく、

「ぐぁっ!」

 サキナさんの声が聴こえ、ドン!と何かが身体にぶつかり、後ろ向きに倒れ込んだ。

「うあっ!」

 床に転がったまま、黒い視界から逃れようともがくと、それが布であることが分かった。顔に纏わりつくそれをようやく振り払うと、横にサキナさんが倒れていた。黒い布に、釘バットが絡まっている。

 これは、あいつのコート?

 コートを目くらましにして、サキナさんを突き飛ばしたのか?

「ううっ……」

「さ、サキナさんっ!」

 サキナさんが頭を押さえて呻いていた。倒れた時に打ったのか、辛そうに身を震わせている。

「いい気味だね」

 ニヤついた声が背後で聴こえた瞬間、頭が煮えくり返り、反射的に飛び跳ねるように立ち上がった。すぐ後ろにいるであろうあいつに、飛び掛かって———、

「ぐぁっ!」

 振り向きざまに首を掴まれ、身体が止められた。勢いを殺され、喉が衝撃で潰れそうになる。

「ぐぇっ……かっ……!」

 上半身すべてに包帯をグルグルに巻いたミイラのような人間が、僕の首を締め上げていた。逃れようと必死に腕を掴んでもがいたが、それをせせら笑うかのように、ギリギリと首を絞める力が強くなっていく。

「がっ、かはっ……!」

 諦めることなく、もがき続けていると、不意に、アンデッドマンの頭の包帯がはらはらと緩み、解けそうになっているのに気が付いた。無我夢中で、必死にそれに手を伸ばし、掴んだ瞬間、アンデッドマンが突如として僕を突き放した。

 手に、ブチブチと何かが裂けていく感触が伝わり、僕は後ろにのけぞるようによろめいた。どうにか体勢を立て直して踏ん張ると、手に引き千切れて伸びた包帯が握られていた。

 まさか―――。

 顔を上げると、アンデッドマンの顔に巻かれていた包帯が、はらりはらりと解けている最中だった。頭頂部から真っ白い髪が覗き、緩んだ包帯がずれて、顔からずり落ちていく。

「お、お前っ、誰だっ!」

「…………」

 アンデッドマンは突然、こっちに向かってゆっくりと歩いてきた。足元の釘バットを取るべきだったが、今にも露わになりそうな素顔に目を離せないでいると、とうとう目の前まで来たアンデッドマンが、手で顔を覆った。

「誰だ?……酷いなあ。忘れたの?俺のこと」

 顔を覆っていた手が包帯を掴み、するすると取り去った。すっかり緩んだ包帯が、首元に落ちていく。

「……俺だよ」

 その、

「あかる」

 素顔は———、

「…………あ……合人あうと?」

 息を呑んだ。瞬間、蹴りを入れられ、僕の身体は再び後ろに吹き飛ばされた。

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