10:LIVE IN MEMORIES
僕が意識を取り戻したのは、次の日のことだった。
目覚めると、保健室のベッドに寝かせられていた。激痛で身体はほとんど動かせなかったが、どうにか頭を捻って辺りを見渡すと、サキナさんがベッドに突っ伏して、すうすうと寝息を立てていた。
それを見るなり、また意識が途切れ、本格的に目覚めたのは昼過ぎになってからだった。
起き抜けにサキナさんから大丈夫なのか、という旨の質問攻めを喰らったが、動かしにくい口で、とりあえずは大丈夫だと伝えて、痛む身体を起こした。
身体中には、湿布や絆創膏がめちゃくちゃに貼られていた。特に脇腹には、過剰なほど包帯が巻かれていた。左目が完全に塞がっていたので、鏡を見せてもらうと、顔も凄いことになっていた。左目には大きなガーゼの絆創膏が眼帯のように貼られていて、鼻と頬には湿布、口元は絆創膏だらけだった。どうりで口が動かしにくかったわけだった。
身体中の傷を確認した途端に感じていた痛みが倍増したが、歩けないほどではなかった為、トイレに立とうとしたが、サキナさんから、
「絶対に動くんじゃねえっ!」
と、絶対安静を命じられてしまった。勘弁してください、漏らしそうです、と必死に弁明して、どうにかトイレだけは行かせてもらえた。それでも、男子トイレの前までサキナさんは護衛のようについてきた。
それから保健室に戻り、傷だらけの口の中が沁みるのを我慢しながら、ちびちびと水を飲んだ後、サキナさんから話を聞いた。
あれから、気絶した僕を抱えて保健室まで運んだこと。制服を脱がせ、手当てに奔走してベッドに寝かせた後、体育館に戻って置き去りにしていた荷物を運んだこと。それから、ずっとベッドの傍で僕が目覚めるのを待っていたこと。
「死ぬんじゃねえかと思った。心配させやがって……」
「死ぬって……あっ、サキナさん。首の——」
そう訊くなり、サキナさんは髪を掻き上げて首元を晒した。そこには、絆創膏が二枚貼られていた。
「それ、噛まれたんじゃ……」
「ああ。でも……よく分かんねえけど、大丈夫だったんだ」
怪訝な表情を浮かべるサキナさんを見た。その眼はやはり白く濁っておらず、いつもの凛としたサキナさんの眼だった。
「もしかして、サキナさんも耐性が……」
「知らねえよ。そもそも、あいつはゾンビだったのか?」
「……え?」
「ゾンビが、あんなにまともに喋れるもんなのか?それに、あの馬鹿力だって……。あんなことが、ゾンビにできるもんなのか?」
「……あっ」
僕は、合人が掲げた右腕のことを思い出した。
手の甲に付いていた歯形の傷。
合人は極度に緊張すると、握り拳の甲を口に押し当てる癖があった。
……もしかして、ゾンビ・パンデミックが起きて、教室の掃除用具入れの中に隠れていた時、合人は無意識に手の甲を自分で噛んでいた?
でも、なぜ身体がゾンビのように?
……いや、違う。間近に見て、触れて感じたが、合人の身体はゾンビのように腐ってなどいなかった。長いこと洗っていないような酸っぱい臭いこそしていたものの、腐臭は漂わせていなかった。
それに、ゾンビは髪まで白くならない。合人は肌や眼だけでなく、髪まで真っ白になっていた。
〝みんなの輪の中に入るには、みんなと同じことやればよかったんだ〟
合人の言葉を思い出す。
……まさか、合人はみんなに合わせようとするあまりに、造り変えてしまったのか?自分の身体を、ゾンビのように。
でも、そんなことが可能なのだろうか?身体の細胞の色素を造り変えるなんて。
それに、あの怪力は……。
傷だらけの拳を見る。僕は合人と戦った時、自分でも信じられないくらいの力を発揮した。身も心も、極限まで追い詰められていたせいだ。それこそ、死の間際まで。
「……火事場の馬鹿力?」
ゾンビ……生きているかも死んでいるかも分からない身体……死の間際……。
合人も、その極限状態に陥っていたとしたら?
まさか、そんなの、まるでフィクションの世界だ。極限まで追い詰められた人間が身体を変化させ、超常的な力を発揮するなんて。
それこそ、映画や漫画に出てくる超人——アンデッドマンのようじゃないか。
だとすると……。
合人は本物の、現実に存在する、特殊な能力を持つ、選ばれし者だったのか……?
いくら考えても、答えは出なかった。体育館に行ってみませんか、と提案しようとしたが、サキナさんから絶対安静だと怒鳴られるのが目に見えていたので、やめておいた。
その日は、結局保健室から出ることなく、ベッドの上で過ごした。口の中が傷だらけな上に、上手く動かすこともできなかったので、砕いて水でふやかしたカロリーバーくらいしか喉を通らなかった。サキナさんは、ずっとベッドの傍の椅子に座って、離れようとしなかった。
そうこうしている内に、あっという間に夜が来て眠りに落ち、目覚めると朝になっていた。
身体はまだ痛んでいたが、大分楽になっていたので、全身の湿布と絆創膏、包帯を取り去り、顔と脇腹だけ新しいものに取り換えてから、行動することにした。
サキナさんに過剰に護衛されながら、ふらふらと体育館に向かうと、僕たちが殺したゾンビたちの死体が腐り始めていて、凄まじい臭いを放っていた。
そして、割れた鏡の前に、合人の亡骸が横たわっていた。
不思議なことに、合人の身体はまったく腐り始めていなかった。夥しい量のハエがたかっていた他のゾンビたちの死体と違い、まるでたった今死んだかのような、綺麗な亡骸だった。
目の前にすると、また涙が溢れ、しばらくの間、啜り泣いた。サキナさんは、ずっと黙って後ろに立っていた。
ひとしきり泣いた後、すぐ傍に落ちていたナイフを拾い上げた。どうしようか迷ったが、悩んだ末にリュックのサイドポケットにしまい直した。
その後、腐臭を堪え、寄ってくるハエを振り払いながら、最初に生徒のゾンビが現れたステージ横の放送設備室に向かった。
扉を開けると、中には放送設備の機材が並ぶデスクとパイプ椅子、ホワイトボード、システムラックなどがあった。左側に、キャットウォークへと続くのであろう階段があり、その手前に、開き戸があった。
開けてみると、中は真っ暗だった。ランタンライトで照らしてみると、狭苦しい部屋の中に、ロッカーや衣装ケース、ハンガーラックなどが並んでいた。どうやら、文化祭などの演劇で使う衣装の類を収めておく倉庫のようだった。壁や床に血が付いていたので、恐らくここが合人の仄めかしていた第一食糧庫——生徒のゾンビを閉じ込めておいた場所だと思われた。
それ以外には特に何も無かったので、出て行こうとした時、階段の上の、キャットウォークへと続く扉が僅かに開いているのに気が付いた。
階段を上がり、扉を開けてみると、中は真っ暗だった。どうやら、キャットウォークではなく、もうひとつ、前室のような部屋があるようだった。が、窓が黒いカーテンで閉め切られていて、陽の光がほとんど差していなかった。
それを開け放してみると―――、
「……林田さん?」
割と広めの、物がほとんど置かれていない無機質な部屋の中央。肘掛け付きのデスクチェアに、ゆったりと座り込んでいる林田さんの姿があった。
呼びかけたが、反応が無く、恐る恐る近付くと、
「……!」
林田さんは、こと切れていた。
目を閉じ、椅子の背もたれと肩に力なく頭を預けていて、まるでぐっすりと眠り込んでいるかのようだったが、よく見ると、あり得ない角度で首が曲がっていた。素人目に見ても、首の骨が折れているのは明らかだった。
他にも、手足がビニール紐で椅子に縛り付けられていて、白い肌には拘束を解こうと足掻いたのであろう痕跡が残っていた。恐らく、ゾンビ状態の林田さんを、誰かが無理矢理椅子に縛り付けたのだろうと思われた。
その割に、林田さんの身体は腐っていないどころか、ハエの一匹もたかっておらず、まるでつい最近死んだかのような印象を受けた。
さらに、部屋の隅には、誰かが生活していたであろう痕跡が残されていた。
体育で使う体操用のマットが三枚重ねられていて、その上にブランケットや座布団が置かれており、簡易的なベッドのようなものが設けられていた。その傍にはダンボール箱があり、中には血の付いた制服や、見覚えのあるリュックが押し込められていた。他にも、大量の包帯やメッシュテープ、ハサミ、ビニール紐の束、水の入ったペットボトル、タオルやハンカチなどが入れられていて、ここで誰が生活していたのか、はっきりと分かった。
そして、林田さんが座るデスクチェアの前に、パイプ椅子が向かい合わせで置かれていた。その横には小さな机があり、上には美術の授業で使ったことがあるスケッチ用のボード画板と、たくさんの短い鉛筆、鉛筆削り、小さくなった消しゴムに、〝迎 合人〟と書かれたスケッチブックが一冊、置かれていた。
表紙を捲ると、そこには林田さんの似顔絵が描かれていた。
それを捲ると、裏にも林田さんの似顔絵が描かれていた。二枚目のページにも同じように、林田さんの似顔絵が描かれていた。
何度も捲ったが、すべてのページに林田さんの似顔絵が描かれていた。そのほとんどが、肩から上をスケッチしたものだったが、時折、お行儀よく椅子に座っている全身像をスケッチしたものもあった。
だが、どの絵の中の林田さんも、無機質な表情を浮かべているのは変わらなかった。どれも感心してしまうほど上手い出来栄えだったのに、まるで、生気の無い、血の通っていない、感情が欠如した作り物のような人間を、機械的に写しているかのようだった。
ただ——最後のページだけは違った。
最後のページだけは横向きに、三人の人間の肩から上をスケッチした絵が描かれていた。
中央にいるのは林田さんで、柔らかい表情で口元に手を当て、クスクスと微笑んでいた。
その左側で、合人がとても楽しそうに、でも、どこかぎくしゃくとした、ぎこちない笑みを浮かべていた。
そして右側には、二人を見つめながら困ったような顔で微笑む僕が描かれていた。
よく見ると、合人の視線は林田さんの方を見つめながらも、僕の目を射抜いていた。僕の視線も、林田さんの方を見つめながらも、合人の目を射抜いていた。
二人とも笑顔で林田さんを見つめているようにも、二人で視線を交わし合い、示し合わせて――言葉の要らない親友同士が、目だけで通じ合っているようにも映った。
他の絵と違って、その絵だけは段違いに丁寧に、そして、全員が今にも動き出しそうなほど、ぎこちなくも楽しそうに笑い合う声が聴こえてきそうなほど、生き生きと描き込まれていた。
もし、あの日、三人で写真を撮っていたのならば———。
その絵は、まるでそんな風に思い描きながら、描かれたように見えた。
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