14:RUN TO FIGHT

 僕は例の場所に辿り着くと、足を乗せていたカートから飛び降りた。

 真ん中に噴水池があり、その周りにソファーと自販機が並んだ休憩所。ここが決戦場だ。

 正面には吹き抜け。その両サイドには、テナントが並ぶ通路。それが交差する合流地点のここは見通しが良く、だだっ広くて動き回りやすい。立ち回るにはもってこいだ。

 撃退用にとある仕掛けを施してあるが、上手くいくかどうかは運次第だ。

 後方には、僕たちが侵入してきた非常口へ続くエスカレーターがある。いざとなれば、そこから外へ逃げ出せばいい。外はゾンビたちがいて危険だが、それはあの悪魔たちも同じことだ。うまく逃げ回れば閉め出すことができるかもしれない。

 戦いの時だ。ビビるな。覚悟を決めろ。

 サキナさんの釘バットを力強く握り込んだ。ポケットに手を突っ込んで、武器の手触りを確かめる。

 来い、来てみろ、返り討ちにしてやる。

 僕は闘志を燃やしながら、悪魔たちを待った。




 しばらくすると、遠くの方からジャラジャラと鎖の音が聴こえてきた。

 お出ましだ。

 額に伝う汗を拭った。気迫で負けるな。学校での戦いを思い出せ。お前は何人ものゾンビを殺したんだ。ゾンビを操る能力者との戦いにも勝ったんだ。自信を持て。

「探したよぉ、あかるーん」

 悪魔が向こうから悠々と歩いてきた。手に三本の鎖を握り、猛獣使いのようにゾンビたちを従えている。

「ヴうあっ」

「ヴがうっ」

 ゾンビたちは殺気立っているのか、身体を揺らしながら呻いていた。襲い掛かってくる気配は見せないが、あいつらは悪魔に忠実な下僕だ。お願いをされたら、すぐに向かってくるだろう。

「考えたね。この子たちの好みの曲流して逃げるなんてさぁ。あれ、止めるの大変だったんだよ?」

 悪魔は余裕の表情を浮かべている。四対一なのだから、当然だ。負けるはずがないと思っているのだろう。

 一団は、こちらから見て右側の通路をテナント沿いに歩いている。

 ここまで来るのなら通路は二つ。そのまま進んで右か、それとも回り込んで左か。さあ、どっちを選ぶ。

「あれ?真奈子、どこに行ったの?どっかに隠れてるの?」

 答えずに、精一杯の気迫を剝き出しにして、悪魔を睨む。

「フフッ、教えてくれなさそうだねぇ。じゃあ……」

 悪魔がジャラッと鎖を手放した。来るか?

「ポッちゃんはそっちから行って。アトくんとアラみーはこっちから。お願い、あの子に教えてあげたいの。リコに逆らったら、どうなるか」

 まさか、両側から挟み撃ちか?

「……捕まえてっ!」

「ヴあううっ!」

「ヴぃああっ!」

 来た。悪魔の合図を機に、両側の通路からゾンビたちが鎖を引きずってドタドタと走ってくる。

「フフッ、噛んじゃダメだよぉ。たくさん痛めつけてあげないと、気が済まないんだからっ!」

 悪魔が勝ち誇ったような表情でニタニタと笑った。

 ……でも、狙い通りだ、僕の勝ちだっ!

「ヴぅああっ!?」

「ヴがああっ!?」

 ゾンビたちが全員、ほぼ同時に派手にすっ転んだ。

「ちょっと!何してるのっ!」

 悪魔が金切り声を上げる。

「ヴうおおっ!」

「ヴあるあっ!」

 ゾンビたちは中々立ち上がれないようだった。立っては転び、立っては転びを繰り返している。

 今だっ!

 僕はソファーの影に用意しておいたスケートボードを掴むと、左側の通路へ向かった。その勢いのまま、慎重にスケボーに飛び乗り、転がりもがくポッちゃんの横を悠々と通り過ぎる。

「ヴがああっ!」

 ポッちゃんが憎らし気に呻く。ざまあみろ、もうお前はおしまいだっ!

 僕はポケットからオイルライターを取り出すと、火を着けてポッちゃんがもがく床に放り投げた。

「ヴぉがあああああっ!」

 たちまち辺りが炎に包まれた。ポッちゃんも炎に巻かれ、メラメラと燃えていく。

「ヴがああああああっ!」

「きゃあああっ!」

 悪魔が悲鳴を上げる。ようやく火が伝っていったのか、向こう側の通路も炎が上がっていた。アトくんとアラみーも炎に巻かれている。

 やったっ!うまくいったっ!

 炎が渦巻く危険領域を抜けると、スケボーから飛び降りた。もうゾンビたちは再起不能だろう。

 右側の通路も、左側の通路も、床には広範囲にたっぷりとパラフィンオイル――キャンプ用のランタンに使う油を撒いておいたのだ。油で濡れたフロアタイルは滑りやすくて、スケートリンクも同然。ましてや、足元のおぼつかないゾンビなんか絶対に立ち上がれないだろう。転んでいる内に身体は油まみれ。そこに火を投げれば、ゾンビBBQバーベキューの完成だ。

 合流地点の休憩所経由で油の道を作り、両側の通路を繋いでおいたので、例えどちらから攻めて来ようとも、僕の勝ちは決まっていたのだ。こんなに上手くいくとは思っていなかったが。

 一番心配だったのは臭いだった。プンプン漂う油の臭いで勘付かれるのではないかと不安だったが、ずっと腐りかけのゾンビたちと一緒に過ごしていたのと、触れ合う度に臭い消しとして香水を振りまいていたせいで、悪魔は鼻が麻痺していたのだろう。

 もう、ゾンビたちはこんがり焼けていくだけ。さあ、後は無力な悪魔だけだ。

 僕は釘バットを携えて走り、吹き抜け沿いに周り込んだ。炎に巻かれて呻く下僕たちを呆然と見ている悪魔の背中に、釘バットを突き付ける。

「……っ!」

 悪魔はゆっくりと振り返った。怒っているのか、きついメイクに汚れた瞼がピクピクと痙攣している。

「……僕の勝ちです。もうすぐ、あいつらは死ぬ。降参してください」

 悪魔は敗北を受け入れられないのか、唇を震わせて黙り込んだ。血走った目が、ギラギラと僕を睨んでいる。

 負けじと、睨み返した。釘バットを構えたまま、悪魔の目に食い入る。

「この……カス陰キャぁ……!」

「この、クソ悪魔!」

 言い返した瞬間に、悪魔が激昂したのを感じた。歪んだ表情から、背後で燃える炎のように、メラメラと怒りが伝わってくる。

 気迫で負けるな、この悪魔を、ここから追い出すんだ!

「出ていってください、ここからっ」

「ざっけんなよ……!」

 悪魔が、ブルブルと震えだした。

「出ていけっ!さっさと——」

「ざっけんなっ!」

 ビリビリと空気が震えた。あまりの迫力に気圧されていると、

「なんであんたみたいなカスにっ!命令されなきゃいけないのっ!ご主人様は私でしょっ!私のっ!お願いがっ!聞けないのっ!」

 ビリビリと、悪魔が絶叫した。小柄な女子から発せられたとは思えないほどのそれは、最早、咆哮に近かった。

 思わず、ゴクリと唾を飲む。

 怖じ気づくな、状況的に有利なのはこっちの方なのだ。

 構えたままの釘バットを握る手に力を込める。このまま、この悪魔を、ここから———、

「ヴぉああああああっ!」

「……え?」

 荒々しい呻き声がこだました方を見ると、火だるまのゾンビたちがヨタヨタと一カ所に集まっていた。そこから、バシャバシャと水音が———、

 水?

「みんなっ!」

 悪魔が振り返り、叫んだ。

「ヴぅうるあああっ!」

「ヴぉるああああっ!」

 噴水池の中で、ゾンビたちがのた打ち回っていた。身体の火がすっかり消えている。

 ま、まさか、噴水池で消化を?

 唖然としていると、ゾンビたちが噴水池から出て、ベチャベチャと這うようにこちらへ向かってきた。びしょ濡れなせいで平気なのか、まだメラメラと炎上している通路を、ものともせず通過してくる。

「……ねえ、さっきなんて言った?」

「……っ!」

 悪魔がゆらりとツインテールを揺らした。後ろ姿から、ヒリヒリと爆発寸前の気配が伝わってくる。

 まずい、この状況、もしかして……。

「なんか、出ていけとか言ってたっけぇ?」

「ヴぉおおっ」

「ヴぅああっ」

 悪魔が振り返ると同時に、ゾンビたちがベチャベチャと汁気の混じった音を立てて立ち上がった。革製の首輪は焼け落ちてしまったのか、全員鎖を引きずっていない。服もほとんど焼け落ちたようで、裸同然の身体は全身真っ黒焦げになっていた。特に顔は、被っていた騎士のマスクのビニールが焼け溶けてタールがへばり付いたようになっており、酷い有様だった。

 だが、そんなゾンビたちの顔が霞むほど、悪魔は醜く歪んだ表情を浮かべていた。

「もういーや、一人だけ特別扱いしてやってたけど、もうやーめたっ」

「ヴるう!?」

「ヴぉう!?」

 ゾンビたちが、なぜか困惑するように呻く。

「リコのお願いが聞けないのならぁ……」

 まずいっ!

「くっ……!」

 僕は咄嗟に踵を返すと、一目散にダッシュで逃げた。最後まで聞かなくとも分かる。悪魔を怒らせたのだ、今度は———、

「お願いっ、あの子を嚙み殺してっ!」

「ヴあうっ!」

「ヴぅあっ!」

 予想通りの絶叫と、それに応じるゾンビたちの呻き声が背後で聴こえた。

 今度は無事じゃすまないっ、逃げろ!




「くそっ……!」

 YOUトピアの中を全力疾走しながら、後悔していた。

 甘かった。上手くいったと思ったが、作戦は失敗に終わった。噴水池の近くで焼き殺すなんて、詰めが甘かった。急ごしらえしたせいか、そこまで考えが及ばなかった。

「ヴぉおあああっ!」

 背後でゾンビたちの怒りに満ちた呻き声が聴こえる。追いつかれはしないが、一向に追跡を諦める気配がない。このままじゃしつこく追い回された挙句に、追い詰められて殺される。

 どうする、どうするっ、どうするっ!

「あああっ!」

 やけ気味に叫んだ。

 どうすればいい。一人一人返り討ちにするか?武器はある。でも、多勢に無勢だ。一斉に襲われたら為す術がない。隠れるか?どこに、どうやって?そもそも隠れてどうするっ!ああ、どうすればいいっ!?

 このままじゃ……くそっ、弱音を吐くな!独りで戦うんだ、サキナさんを守るんだ!独りでだって、独りでだって……。

 一人一人?……そうだ!

 どこだ、ここまで来たら確か向こうに……あった!

 僕は停まったエスカレーターへ向かうと、飛び込むように二階へ駆け下りた。

「ヴぉああっ!」

 ゾンビたちが一呼吸遅れて、転がるように降りてくる。

 来いっ、ここまで来てみろっ……今だ!

 僕はゾンビたちが下に来る直前、見せつけるように身を翻して、反対側のエスカレーターへと向かい、一段飛ばしで駆け上がった。息を切らしながら、また三階へと辿り着く。

「ヴぉうあっ!」

 振り返ると、ほとんど一人分の幅しかない狭いエスカレーターを、ゾンビたちが我先にと駆け上がって来ていた。ごちゃごちゃと詰まるようにして、上へと向かってくる。

 今だ!

 僕はすぐ傍にズラリと並べられていたカートを一台引きずり出すと、エスカレーターへ放り込んだ。

「ヴぉがぶぁあっ!」

 ガチャガチャとけたたましい音を立てて落ちたカートは、先頭を切っていたアトくんにクリーンヒットした。が、ゾンビたちは怯むことなく、カートを押しのけるように上がってくる。

「うわあああああっ!」

 叫びながら、次々とカートを引きずり出して投下した。一つ、二つ、三つ投下したところでまどろっこしくなり、ズリズリと一気に五台ほど引きずり出して、勢いよく投下した。凄まじい音を立てて、五台連結のカート列車がエスカレーターを駆け下りていく。

「ヴぉがぁああっ!」

 けたたましい音に混じって呻き声が聴こえたと思ったら、カート列車が何もかも浚うようにエスカレーターを駆け下りていった。先に投下していたカートも、ゾンビたちも、カート列車に弾き飛ばされて派手に転がり落ちていく。

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 けたたましい音が止むと、急に辺りが静かになった。耳を澄ますと、階下から弱々しい呻き声が聴こえた。覗き込むと、ごちゃごちゃと倒れたカートの下に、ゾンビたちが絡まって倒れていた。誰かが出血したのか、血だまりがジワジワと広がっていく。

 ……やったのか?

 いつの間にか放り出していた釘バットを、恐る恐る拾い上げた。

 どうする、下に行ってとどめを刺すか?いや、あいつらは今度こそ再起不能だろう。動けないのなら、わざわざ降りる必要はない。後は———、


「フフッ」


 突然、耳元で声がしたと思ったら、ドスッという衝撃が脇腹に伝わった。目をやると、

「……え?」

 どこか見覚えのあるナイフが、脇腹に突き刺さっていた。

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