2:I AM INVISIBLE

「きっかけは、小学六年生の夏休みが明けた頃でした。

 中学生の兄が、英語のリスニングの勉強に使いたいからって言って、ウォークマンを両親にねだって買ってもらってたんです。

 僕は、羨ましくなりました。それまでも、兄が両親にねだって物を買ってもらって、僕は買ってもらえない、我儘を聞いてもらえないなんてことはたくさんあったから慣れっこでしたけど、その時はなぜか無性に兄だけが贔屓されてるのが気に入らなくて、悔しくなったんです。

 それで、僕もウォークマンが欲しいって同じようにねだったんですけど、両親は取り合ってくれなくて、買ってもらえませんでした。僕は優秀な兄と違って、成績も普通くらいだったし、運動も大して得意じゃなかったし、何の取り柄も無かったから、しょうがないことだと思いますけど。

 でも、どうしてもウォークマンが欲しかった僕は、ある日、兄の部屋に忍び込んで、ウォークマンを持って行ったんです。

 盗んだつもりはありませんでした。ただ、ちょっと、ウォークマンを使って音楽を聴いてみたかっただけなんです。借りたら、すぐに返すつもりでした。

 家族の共用のパソコンを使って、音楽の入れ方を調べて、兄が持っていたロックバンドのアルバムを一枚だけ借りて入れて、外に出掛けて、散歩しながらウォークマンで音楽を聴いて、こんな感じなんだって感動してたら、夕方になってて、家に帰りました。

 玄関を開けたら、兄が立ってました。兄は今までに見たことがないくらい怒ってました。兄から優しくされたことなんて一度も無かったけど、怒られたことも無かったから、僕は凄く驚きました。

 兄に引きずられて中に入ると、父と母が無表情でリビングにいました。僕は真ん中に放り出されて、兄から質問攻めに遭いました。どうして自分の物を盗んだのか、どうしてそんなに我慢ができないんだ、どうしてそんな犯罪者みたいなことをしたんだ、って。僕はまくしたてる兄に反論できなくて、ずっと俯いたまま怒られ続けました。その間、父と母はずっと無表情でした。

 延々と怒られた後、兄は父と母に向かって、こう言いました。

 〝こいつなんか、もう家族とは認めない。今日から、見えない者として扱う〟

 父と母は、ずっと無言のままでした。僕はその場にいるのが怖くなって、自分の部屋に逃げ込みました。なぜか、家族のことが急に怖くなったんです。まるで、知らない人たちに囲まれているみたいに思えて。

 ベッドで震えていたら、そのまま眠ってしまって、気が付いたら朝になってました。朝ご飯を食べにリビングに行こうとしたけど、なんだか家族と顔を合わせるのが怖くて、こっそり逃げるみたいに家を出ました。

 その日、学校から帰ってくると、なぜか僕の部屋は空っぽになってました。

 ベッドも、勉強机も、本棚も、服も、オモチャも、ゲーム機も、カーペットも、何もかも綺麗さっぱり無くなってました。教科書とか、リコーダーとか、バッグとか、学校で必要なものだけが、なぜか廊下のクローゼットの前に置かれてました。

 僕はわけが分からなくて、呆然としました。家族に何があったのか訊こうとしたけど、家には誰もいませんでした。

 まさか、全部捨てられてしまったのかと思って、慌てて外に行きました。ゴミ捨て場に、まだ僕の物が残ってるかもしれないと思って。でも、出掛けようとしたら、自転車も無くなってました。よく見たら、靴も、傘も、僕の物だけ無くなってました。仕方ないから、走ってゴミ捨て場まで行ったけど、僕の物はありませんでした。念の為に、街中のゴミ捨て場を探して回ったけど、やっぱり僕の物はありませんでした。

 いつの間にか夕方になってて、諦めて家に帰ると、父と母と兄がご飯を食べてました。でも、なぜか僕の椅子が無くなってて、ご飯も僕の分は用意されてませんでした。

 どうしてって、家族全員に訊きました。でも、誰も答えてくれませんでした。みんな、僕の声が聴こえてないみたいに、三人で話をして、笑ってました。肩を揺すって話しかけたけど、誰も僕に反応してくれませんでした。

 僕は諦めて部屋に戻りました。何も無くなってたから、その日は床で寝ました。

 その時は、家族みんなで、僕にドッキリを仕掛けているんだろうって思ってました。これはきっと、罰ゲームなんだろうって。家族の反応も、僕の部屋の物も、明日になったら、きっと元通りになるんだろうって。

 でも、次の日も、家族は僕に反応してくれませんでした。朝ご飯は僕の分だけ用意されてなかったし、僕の服は洗濯されてませんでした。

 いい加減にしてよって僕は怒りました。どうしてなのって、僕はウォークマンを盗んだわけじゃないって怒ったけど、父も、母も、兄も、誰も答えてくれませんでした。

 僕は拗ねて、洗濯されてない服を着て学校に行きました。でも、なんだか友達の何人かが妙に余所余所しくて、不思議に思いました。

 帰ってくると、家は何も変わってませんでした。僕の物は戻って来てなかったし、家族の反応もそのままでした。

 僕は凄く怒って、家族の前で喚き散らしました。その辺の物を投げて、ひっくり返したりしたけど、家族は誰も反応してくれませんでした。まるで、僕も、僕のやることも、見えていないみたいでした。それでも、暴れるだけ暴れて、また自分の部屋に籠りました。

 また床で寝て、次の日の朝起きてくると、まるで何も無かったみたいに家の中は元通りになってました。やっぱり、僕の朝ご飯は用意されてませんでした。

 その日の夜、僕は家族の前で土下座して謝りました。ウォークマンを差し出して、ごめんなさい、僕が悪かったです、許してくださいって、泣きながら謝りました。何回も、何回も。声が枯れるまで、ずっと、ずっと。

 でも、やっぱり家族は誰も僕に反応してくれませんでした。まるで、僕のことが見えていないみたいに。

 それは何日経っても同じでした。僕のご飯は用意されないし、服は洗濯されないし、お風呂も父と母と兄が入ったら、すぐにお湯を抜かれるようになりました。

 その内、僕の部屋は物置として使われることになったのか、たくさんの物やダンボール箱で埋め尽くされていきました。まともに寝る場所も無くなって、部屋から追い出された僕は、廊下のクローゼットの中で寝るようになりました。

 そんな生活をしてても、ちゃんと学校には行ってました。でも、なぜか僕は友達からも段々と無視されるようになっていきました。

 元々友達が多い方じゃなかったけど、なぜかみんなが段々と素っ気なくなっていって、しばらくすると、話をしてくれる友達がいなくなりました。

 みんなに、どうして僕のことを無視するのって訊きました。でも、ほとんどの友達は知らんぷりをしました。答えてくれた何人かからは、悪口を言われました。

 〝お前のこと、無視することになったから〟

 〝なんでって、お前キモいし、別に構っても楽しくないし〟

 〝キモいから話しかけないでくれない?〟

 〝こっちくんなよ陰キャ〟

 〝無視しなきゃいけないんだから、話しかけんなよな〟

 みんな、それだけ言うと、僕のことを無視して消えていきました。

 でも、一人だけ、僕と話をしてくれる友達がいました。低学年の頃からずっとクラスが一緒で仲が良かった、クラスに一人はいるガキ大将って感じの友達です。

 〝なんか、みんなから色々言われるけど、お前が俺の友達であることに変わりはないよ〟

 その友達は、そう言って笑ってくれました。僕はそれが嬉しくて、何をするにしても、その友達と一緒にいました。その友達さえいれば、他の人たちからは無視されてても別にいいやって思ってました。

 でも、ある日突然その友達から、こう言われました。

 〝今日からお前のことは見えないから〟

 友達は、片方の目を怪我したみたいで、眼帯をしてました。何かがあったんだろうって思ったけど、ショックで訊くことはできませんでしたし、後から話しかけても、言われた通りに、僕のことが見えていないみたいに無視をされました。

 なんで眼帯をしてるの、って訊いている人が他に一人もいなかったから、みんなは何があったのか、知ってたんだと思います。その友達も、凄く元気で活発なガキ大将って感じだったのに、眼帯をしてきてからは、凄く物静かで大人しい人になりました。周りからも白い目で見られてて、距離を置かれてるみたいでした。眼帯が取れてからも、それは変わりませんでした。

 しばらくして、その友達は転校することになりました。親の仕事の都合で遠くに引っ越すことになったって聞かされたけど、本当かどうかは分かりません。

 僕は最後くらい話がしたくて、引っ越しをする日の直前に、その友達の家に行きました。その友達の両親は、なぜか僕を見るなり、帰ってくれって言いました。それでも、最後に会わせてくださいって粘ってたら、奥から暗い顔をした友達が出てきました。

 僕はとりあえず謝って、一体何があったのって訊きました。友達は、ずっと黙り込んでたけど、しばらくして、ボソッとこう言いました。

 〝お前の兄ちゃんが、みんなに言って回ってるんだよ。お前に話しかけるな。徹底的に無視しろ。じゃないと酷い目に遭わせるってさ〟

 信じられませんでした。兄は中学生だったのに。一体どうやったのか、見当もつきませんでした。

 でも、兄はみんなの人気者だったから、きっと権力を持ってたんだと思います。兄も同じ小学校に通ってたし、僕と三つしか歳が違わなかったし、色んな賞を獲ってはみんなの前で表彰されてたし、児童会長もやってたから顔も広く知られてたし、スポーツ万能で格好良くて、頭も凄く良くて有名人だったから、みんな言う事を聞いたんでしょう。僕と違って早くから携帯を持たされてたから、それを使って連絡網を回したのかもしれません。弟を徹底的に無視しろって。兄は何かをしようと思ったら、徹底的にやる人間だったから、他にも色んな方法を使ったのかもしれませんけど。

 〝俺は見せしめにされた。お前のせいで転校することになった。もう顔なんか見たくない〟

 最後に、友達からそう言われました。友達の両親からも、何か言われたような気がするけど、ショックでよく覚えてません。

 結局、僕は友達を一人残らず失くして、完全に独りぼっちになりました。しばらくは堪えてましたけど、ずっと誰とも話せないのは凄く辛くて……それで、思い詰めた末に、担任の先生に相談することにしました。先生たちは、僕のことを無視してなかったからです。

 自分のことを話すのは怖かったけど、担任の先生は僕の話をきちんと聞いてくれました。そして、クラスの人たちもそうだけど、何よりも僕の両親が許せない。直接会って話をしてやるって、そんな親許せないって言って、怒ってくれました。

 僕は泣くほど嬉しかったです。人と会話するのも久しぶりでしたから。

 それから、先生は両親に電話してくれました。話がしたいから学校に来るようにって。職員室で待ってたら、父と母が来ました。先生は、どうにかしてやるからなって息巻いて、教頭先生と一緒に、校長室に消えていきました。

 僕は外で待ちながら、これでみんなから無視される生活も終わりだって、先生が言ってくれたら、家族も、クラスの人たちも、僕と話をしてくれる、向き合ってくれるはずだって思ってました。

 しばらくすると、みんなが校長室から出てきました。なぜか先生は浮かない顔をしてました。校長先生と教頭先生は、わざとらしくニコニコしてました。両親は、無表情でした。

 無言で帰っていく両親を見ながら、先生に訊きました。どうだったんですかって。

 でも、先生は、僕のことを無視して、職員室に入っていきました。

 次の日から、僕は先生たちからも無視されるようになりました。挨拶をしても、話しかけても、相手にされなくて、朝の会の出席を取る時も、僕の名前は飛ばされるようになりました。

 何が起きているのか、わけが分かりませんでした。でも、僕にはその扱いを受け入れることしかできませんでした。誰に何を言っても、何をやっても、ずっと無視され続けましたから。

 結局、僕はみんなから無視されたまま、小学校を卒業しました。卒業式には父も母も来なくて、みんなで書き合うアルバムの寄せ書きのページが真っ白のまま、一人で家に帰りました。

 中学校が始まるまでの間も、家族からはずっと無視されたままでした。

 でも、僕は少しだけ期待してました。中学校に入ったら、この生活が終わるかもしれないって。新しい生活が始まったら、新しい友達を作れたら、変わるかもしれないって思ってました。

 でも、僕は入学式の時点で、みんなから無視されました。

 僕のことを知ってる人も、初対面でまったく知らないはずの人も、僕のことを無視しました。

 クラスメート、他のクラスの人たち、上級生たち、先生たち。誰に話しかけても、まるで僕のことが見えていないみたいでした。

 僕は絶望しました。ああ、もう、ここまで手が回っていたんだなって。結局、中学生になっても、この生活は変わらないんだなって。僕はずっと、孤独なままなんだなって。

 でも……。

 一人だけ……友達ができました。

 みんなから無視されてた僕に、唯一話しかけてきてくれたそいつは、話が合って、趣味が合って、一緒にいるだけで楽しくて……。

 僕に初めてできた……親友でした。

 ……でも、その親友も結局、僕のことを無視するようになりました。ある日突然、僕のことが見えなくなってしまって……。僕はまた、独りぼっちになりました。

 それからずっと、僕は独りぼっちでした。ずっと、ずっと。

 サキナさんに初めて会った時に、死のうとしてたって言ったのは嘘じゃありません。本当に死のうとしてました。

 信じられないと思いますけど、ゾンビになった学校中の人間から、僕は無視されたんです。ゾンビになる前と同じように、みんなが僕のことを見えない者として扱ったんです。

 学校でゾンビ騒ぎが起きて、みんながゾンビになったのに、僕はみんなと違って、ゾンビにすらなれないままだったんです。

 それで、全部どうでもよくなって、独りでいるのが嫌になって、学校から出て行って……でも、家に帰ろうなんて思いませんでした。

 もし、無事だったとしても、家族はどうせ僕のことなんか見えないだろうって思ったからです。父も母も兄も、どうせ僕のことを家族として認めてくれないだろうって。助けてなんかくれないだろうって。

 それで、もういいやって思って、学校の外のゾンビに襲われて死のうとしてたところに、サキナさんが来てくれて、助けてくれて……。

 ……僕は、真奈子なんて人、知りません。

 死のうとしてた僕を助けてくれたのは、サキナさんです。みんなから無視されてた僕を見つけてくれたのは、サキナさんです。生きる希望をくれたのも、サキナさんです。

 こんな、何の取り柄もない、弱くて、惨めで、見栄っ張りで……嘘をついて、普通のふりをして、調子に乗ってヒーローを気取って、そのくせ何もできなかった僕なんかより、サキナさんは、ずっと、ずっと……。

 僕にとって、サキナさんは……」


 そこまで言うと、言葉に詰まった。

 こんなに長々と話をしたのは、多分初めてのことだった。舌も、喉も、肺も、息切れを起こしたように強張っていた。

 喋っている間、物音はひとつもしなかった。僕の声だけが、静かに拠点に響いていた。

 サキナさんは、ソファーの上で動かないままだった。僕の言葉が届いているのかは、分からなかった。

「……っ」

 僕は言葉に詰まったまま、黙りこくった。

 お前にそんなことを言う資格はない。だから何だというんだ。

 頭の中で、そんな言葉がグルグルと渦巻いていた。

 長い長い沈黙が続いた後、僕は諦めて座り込んだ。気が付いたら、辺りはもう暗くなっていた。

 僕は拠点の戸締りをして、テントの中に入りこんだ。

 いつものように眠りにつこうとしたが、なかなか寝付くことができなかった。

 どうしてなのかは分かっていた。

 真実を――僕の本当の姿を、サキナさんに話したからだ。

 でも、後悔はしていなかった。

 サキナさんがどう思おうと、僕は自分の本当の姿を話さなければならなかったからだ。

 今、僕がサキナさんにできることは、それだけだから———。




 目覚めると、テントの外が明るくなっていた。

 もしやと思い、慌てて飛び出すと、戸締りしたはずのシャッターが全開になっていた。

「……サキナさん?」

 サキナさんの姿が見えない。ソファーがもぬけの殻になっている。まさか……。

 僕は慌てて外に飛び出した。

 最悪の想像をしながら、YOUトピアの中を走った。脇腹の傷口が痛んだが、それどころではなかった。

 まさか、そんな……嫌だっ!

 息を切らして通路を駆け巡っていると、テラス席のドアが開いていることに気が付いた。慌てて駆け寄ると、そこには―――、

 薄暗い朝日を浴びながら佇む、サキナさんの姿があった。

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