第3章 —家—
1:TELL THE TRUTH
僕たちは拠点に戻ってきた。
あれから僕は、放心状態のサキナさんを連れて拠点に戻り、脇腹の傷口を大きめの絆創膏で無理矢理塞いだ後、ひとり、荒れ放題にしたYOUトピアの後片付けをする為に出掛けた。
とりあえず休憩所に行って、消火活動を行った。テナントの中まで火が伝わらないように慎重に油を撒いておいたので、火事にはなっていなかった。むしろ、油が燃え尽きてしまったのか、火はすっかり小さくなっていた。そこへ、予めバケツに汲んで物陰に隠しておいた噴水池の水を撒き散らすと、火はあっけなく鎮火した。
その後、リコさんら四人のゾンビの死体の処理をした。処理といっても、サキナさんを匿っていた長机の垂れ幕を、申し訳程度に死体の山に被せただけだったが。
そこまですると、意識が朦朧としてきたので、一旦拠点に戻ることにした。
帰ってくると、サキナさんは下着姿のまま、ソファーの上でうずくまっていた。
僕は血でグズグズになった絆創膏を剥いで、激痛を堪えながら傷口を消毒し、新しい絆創膏に取り換えた。それでも血が溢れてきたので、包帯とテープで腹をグルグル巻きにしていると、とうとう限界を迎えてしまい、気絶するように眠りに落ちた。
気が付くと、朝になっていた。傷口は血こそ止まっていたものの、まだくっついていないのか、動く度にグジュグジュと痛んだ。
サキナさんは相変わらずソファーの上でうずくまっていた。僕が気絶している間にある程度の身支度はしたようで、切られた手には包帯が巻かれており、返り血が拭われた身体にはタオルケットを掛けていた。が、起き上がろうとはせず、背もたれの方に顔をうずめたまま、まるで電池が切れてしまったかのように、ピクリとも動かなかった。
「……サキナさん、何か食べないと」
何度も声を掛けたが、サキナさんは無反応だった。ただ、ソファーの上で、ゆっくりと息をするだけだった。
見かねて、栄養ドリンクや水、サキナさんの好物だったカップ焼きそばを作って傍に置いた。僕がいると食べ辛いのかと思い、拠点を出て調達に出掛けたが、帰ってくると空になっていたのは栄養ドリンクの瓶だけだった。
僕を看病してくれた時のように、インスタントのおかゆを作って置いてみたが、やっぱりサキナさんが手を付けるのは栄養ドリンクだけだった。
おかゆを作って栄養ドリンクと水を添え、拠点を出る。しばらく経って戻ると、栄養ドリンクの瓶だけが空になっている。
そんな起伏のない日々が続いた。
「サキナさん、おかゆ、置いておきますね」
「サキナさん、タオルケット、取り替えておきますね」
「サキナさん、何か、必要なものはありますか?」
何と呼びかけようと、サキナさんは、ずっと無言のままだった。
栄養ドリンクの空き瓶が一桁を超えた頃、僕はいつものように、おかゆと栄養ドリンクと水をテーブルの上に置き、薬局へ物資調達に出向いた。
切らした包帯やメッシュテープの他に、栄養ドリンク、ビタミン剤なんかをカゴに入れながら、棚の上にある消毒薬を取ろうと背伸びをした瞬間、ズキリと脇腹が痛んだ。
「くうっ……」
シャツを捲り、傷口を確認する。どうやら刺された時、ナイフの刃は身体の内側ではなく外側——皮膚と肉の隙間を抉るようにして滑り込んだらしく、思っていたよりも大事にはならずに済んでいた。が、塞がりこそしたものの、中がまだ完全にくっついていないのか、力を込めると痛みが走った。皮膚もまだ完全に元通りにはなっておらず、突っ張るとキリリと痛む。
痛み止めの薬はないのだろうかと、棚を物色していると、それらしき薬剤のコーナーを見つけた。ひとつひとつ手に取り、症状に合う塗り薬をカゴに入れていると、ふと目に付くものがあった。
〝その痛み、本当に身体の痛み?〟
そんな手書きのポップが、棚に貼り付けられていた。横には、チラシらしきものが平積みにされている。
ひとつ手に取って見てみると、どうやら市内にある心療内科のパンフレットのようだった。
〝心のケア〟
〝笑顔を取り戻せるように〟
〝一人で悩まずに、まずはご相談を〟
そんな文言が並んでいる。
不意に、その中の一文に目が留まった。
〝あなたは一人じゃない〟
「…………」
僕はしばらく考え込んだ後、カゴを抱えて拠点に戻った。
拠点に帰ってくると、やはり栄養ドリンクの瓶だけが空になっていた。
いつものように空き瓶を片付けて、手の付けられていないおかゆを黙々と食べた後、持ってきた痛み止めの薬を傷口に塗って一息ついた。
———僕に何ができるのだろうか。
そんな言葉が頭に浮かんだが、考えれば考えるほど、むしゃくしゃするばかりだった。
僕にできることなど、何もないのではないか。いや、そもそも何かをする資格なんて、ないのではないか。
だって、僕は、サキナさんの目の前で、リコさんを、この手で……。
掌を見る。さっき塗った痛み止めの薬がまだ指先に残っていたのか、テカテカと光っていた。擦り合わせると、ぬるりとした感触と同時に、背筋に冷たい感覚が蘇った。
あの時の血も、これくらいぬるりとしていて———、
「……っ」
じっとしていられなくなり、立ち上がってそわそわとしていると、コツンと何かをつま先で蹴飛ばした。それはスルスルと床を滑り、サキナさんのテントの方へと向かっていく。
何を蹴飛ばしてしまったのだろうと近寄ると、それはチェック柄のポーチだった。
「確か、チェックのポーチもあったでしょ?」
脳裏に、リコさんの言葉が蘇る。
これは、リコさんのものだ。確か、ここに来た時から持っていたはずの。
そういえば、持ってきてと言われていた。何が入っているのだろう。
拾い上げ、開けようとして、ふと躊躇った。女子の持ち物、ましてや故人の遺物を漁るなんて、最低が過ぎやしないだろうか。
「…………」
しばらく手に取ったまま悩んでいたが、思い切ってポーチを開けた。
中には、折り畳み財布とリップクリーム、ヘアゴム、くし、手鏡と、化粧品らしきものがいくつか入っていた。
……折り畳み財布?
まさかと思い、手に取って眺める。黒いエナメル製で、留め金の部分にリボンとハートの装飾があしらわれている、いかにもゴスロリといった趣の財布だ。
パチンと開くと、ひらひらと中から何かが落ちた。床に落ちたそれを見ると、二枚の絆創膏だった。どうして絆創膏なんか持ち歩いているんだろう。
気を取り直して中を見たが、パスケースらしき部分は無かった。中には千円札が何枚かと、ぎっしりとカードが詰まっているだけだった。
そんなわけなかったかと閉じようとした時、千円札の裏に白い紙が挟まっているのに気が付いた。擦り切れて丸くなった角の部分が覗いている。
「……!」
恐る恐る取り出すと、それは、サキナさんの財布に入っていたものとまったく同じ写真だった。裏面に書かれているメッセージも、一語一句そのままだった。それぞれ二人で分けて書いたのであろう、荒っぽくてかっこいい筆跡と、丸っこくて可愛らしい筆跡も、判で押したように同じだった。
唯一、サキナさんが持っていた写真と違う点は、角が擦り切れてこそいたものの、皴ひとつない綺麗な状態であるということだけだった。
ひらりと、手から写真を落とした。同時に、持っていた財布とポーチも、床にストンと落としていた。いや、落としたのではない。落ちたのだ。
手が震えているせいで———。
「………ぁ」
声にならない声が漏れ、全身から力が抜けていき、膝が折れた。
……僕は。
急に心臓がバクバクと脈打ち出し、慌ててポーチの中身を元に戻した。財布に、絆創膏に……写真はどこだ、写真は、写真はっ。
目を泳がせていると、サキナさんのテントの入り口が半開きになっているのに気が付いた。
女子のテントの中を勝手に、などと躊躇っている余裕はなかった。慌てて覗き込むと、やはり写真は中に入りこんでいた。乱雑に積まれた本の上に落ちている。
震える手で写真を取り、引っ込めようとして、ふと積まれた本の表紙に目がいった。
それは、漫画本だった。表紙には、〝ヤンキーガール・サキナ〟と、荒々しい派手なフォントでタイトルが記されていた。
僕はテラス席に来ていた。
読み終えたヤンキーガール・サキナの五巻を、テーブルの上に置いて一息つく。
あれから、僕はいたたまれなくなり、急いで拠点を出た。なぜか、あの写真と、テントの中の漫画本を持って。
そして、当てもなく逃げるようにYOUトピアの中を彷徨っていると、なぜかここに辿り着いていた。
どうしてかは分からなかった。ただ、サキナさんと一緒の空間にいると、僕は得体の知れない何かに圧し潰されてしまうような気がした。もしかしたら、そんな閉塞感から脱したくて、屋外であるここに来てしまったのかもしれない。
外の空気を吸えば落ち着くかと思ったが、どれだけ深呼吸しても心は一向に落ち着かなかった。そこで、何かに没頭していれば落ち着くかもしれないと思い、持ってきてしまったヤンキーガール・サキナを読むことにしたのである。
僕の脳味噌は単純な構造のようで、読んでいる内に心は落ち着きを取り戻していた。いや、ヤンキーガール・サキナが凄く面白い漫画だったから、没頭することで一時的に嫌な気分を忘れられただけだろうか。
絵柄こそ、いつの時代なんだろうと思うほど古かったが、ヤンキーガール・サキナは、迫力のある絵に、魅力的なキャラクターに、熱いストーリーと、本当に面白い漫画だった。拠点で読み耽っていた最近の漫画よりも、ずっと。全五巻と短いが、唐突に打ち切られた様子は無く、物語は綺麗に完結している。
一巻を手に取り、パラパラと捲った。表紙は擦り切れて日焼けしているし、中のページも皴やシミが目立った。他の巻からも、何度も何度も読み込まれた手触りを感じる。
見開きページでポーズを決める主人公を眺めていると、サキナさんが憧れていたキャラクターというのも分かる気がした。
この漫画の主人公、ヤンキーガール・サキナは、かつてのサキナさんそのものだ。真っ直ぐで、あっけからんとしていて、破天荒だけど頼りがいがあり、思い切った行動で人を助けていく。
格好もそうだ。オレンジ色の髪で真っ赤な特攻服を身にまとい、バイクを駆って釘バットを振り回すその立ち振る舞いはまるで、僕を助けてくれた時のサキナさんそのものだ。もし、この漫画が実写化されるのならば、主演は絶対にサキナさんがキャスティングされるべきだ。そう思えるほど、ヤンキーガール・サキナは、サキナさんだった。正に、正義のヒーローで……。
ポケットに手を突っ込んだ。アンデッドマンの指輪を取り出し、眺める。
こんなオモチャを身に着けて、いい気になっていた僕なんかよりも、サキナさんは、ずっとずっとヒーローだ。例え、自分を偽っていたとしても、サキナさんは僕にとってヒーローだ。本当の姿が例え……。
本当の姿。
僕の、本当の、姿は———。
僕は拠点に戻ってきた。
とりあえず、ヤンキーガール・サキナをサキナさんのテントに戻した。次に、テーブルの上に置いていたサキナさんの財布に、あの写真を入れた。まるで、元からそれが入っていたかのように。どうするか迷ったが、それが最良の選択だと思った。
それを置くと、ソファーにいるサキナさんの下へ向かった。
「……サキナさん」
声を掛けたが、返事は無かった。サキナさんは相変わらず、ソファーの背もたれの方に顔をうずめたまま、ゆっくりと息をしているだけだった。
「…………」
目を閉じ、深く息を吸った。バクバクと音を立てる心臓を落ち着かせ、震えそうになる舌を必死に抑えて、恐る恐る口を開く。
「……サキナさん。僕、サキナさんに嘘をついてました。
いつか、学校でみんながゾンビになったのを目の当たりにして辛かったって言いましたよね。クラスメートも、仲の良かった友達も、大切な人たちが、大好きだった人たちが、みんながゾンビになってしまって、辛かったって、悲しかったって。
あれは、嘘です。
僕に、友達なんて一人もいませんでした。学校で、みんなから無視されるいじめを受けてたからです。僕はクラスメートからも、上級生からも、下級生からも、先生からも、見えない者として扱われてました。誰も僕と話をしてくれなかったし、名前を呼んでくれなかったし、構ってくれませんでした。だから、学校のみんながゾンビになったって、別に辛くも悲しくもありませんでした。
それと……。
もし、家族がみんなゾンビになってたら、それを目の当りにしたら、もう生きていけない気がするから、家に帰りたくないって言いましたよね。
あれも、嘘です。
一番最初にここに来た時、父がこのYOUトピアのことを教えてくれたって言いましたよね。
あれも、嘘です。
父と会話なんて、一年以上してません。
父だけじゃなくて、母も、兄とも、もう長いこと会話なんてしてません。
僕は、みんなから無視をされていた人間でした。学校の人たちだけじゃなくて、家族からも。
信じられないと思いますけど、僕はありとあらゆる人間から無視されていたんです。もう、一年以上も―――」
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