第2章 —ショッピングモール—

1:BOY MEETS BAD GIRL

 ——―気が付くと、僕は校庭に突っ立っていた。

 意識が、ぼんやりとしている。何が起きたのだろう。記憶が無い。今まで、どこで何をしていたんだっけ。

 ……ああ、そうだ。

 体育館で、井之内くんをやっつけたんだ。陰VISIBLEを駆使して。

 そしたら、後ろに林田さんがいて、似顔絵を見せて、僕のことが分かるのって、無視しないよねって訊いたら……目の前が真っ白になって……それからのことは覚えてない。

 パニックを起こしたような気もするし、叫んだような気もするし、走り回ったような気もするし、隠れていたような気もするし、何かから逃げていたような気もするし、怖かったような気もする。どれくらいの時間が経ったのかも分からない。

 気が付いたら、ここにいて……。

「ヴあああ」

「ヴあうう」

 顔を上げると、周りにゾンビがたくさんいた。体育館にいた、生徒のゾンビたちだ。フラフラと、校庭中を彷徨っている。登下校をしているつもりなのだろうか。

 僕はしばらくの間、それをぼーっと眺めていたが、やがて、ゾンビたちに混じるようにして、トボトボと校門を目指して歩き始めた。

 あんなにも外に出るのが怖かったのに、今となっては、もう何とも思わなかった。

 理由は単純。どうでもよくなってしまったからだ。生きる目的を、見失ってしまったからだ。

 淡い希望を抱いていた。今にして思えば本当に馬鹿馬鹿しい希望を。

 林田さんを助けようと思っていた。生き延びていた林田さんを華麗にゾンビから救い出して、目を見て、認識されて、想いを伝えて。

 それが僕の思い描いていたシナリオだった。シナリオなんて言い方は違う。こうなったらいいな、という僕のキモい妄想だ。

 でも、それは粉々に砕け散った。

 林田さんは、とっくにゾンビになっていたし、

 林田さんも、僕のことを無視した―――。

 なんだか、何もかもが馬鹿馬鹿しくなってきた。装備していた手甲や武器を剥ぎ取っては、その辺に放り捨てていく。

 もう、どうなったっていい。

 僕はどうせ、孤独から逃げられないのだ。誰からも無視され、見てもらえず、認識されない日陰者、陰キャラ。

 自分のことを、選ばれた者だと思っていた。この崩壊した世界で生き延びる資格を得た者だと、特別な存在だと、ヒーローだと思っていた。

 でも、それは間違っていた。

 僕は、この崩壊した世界にすら選ばれなかったのだ。

 みんながゾンビになれるのに、僕はゾンビになれない。みんなと同じように、ゾンビになることすら叶わなかったのだ。

 こんな崩壊した世界にすら無視される存在。それが僕だったのだ。




 フラフラと校門に辿り着くと、体育教師の渡辺ゾンビがいた。誰もいない虚空に向かって、せわしなく呻いている。

 目の前を通り過ぎたが、やはり無視された。僕は毎日買い食いしてイヤホンを付けたまま登校していたのに、一度も注意されたことがない。熱血教師が聞いて呆れる。

 校門の外に出ると、荒れ放題の街が僕を出迎えた。

 いつも缶を捨てていたバス停のゴミ箱が倒れて、中身をぶちまけている。通りの向こうで車が電柱にぶつかって、ひしゃげている。傍のガードレールに渇いた血の手形が付いている。道路のあちこちに、鞄や紙切れ、ガラス片が落ちている。シトシトと音がすると思ったら、すぐ傍の電柱の下に赤黒い血だまりができていた。上を見ると、電線に人がぶら下がっていた。あの感電死した人だ。汁っぽく朽ち果てた身体から、腐った体液が垂れている。

 どこかへ行く気力なんてなかった。僕はただ、ぼーっと突っ立っていた。

 どうせ独りで生き残れはしない。このままこうしていれば、いずれゾンビに見つかるだろう。

 僕の能力、陰VISIBLEは学校外部のゾンビにも通用するのだろうか。いや、そんなことは、もうどうでもいい。

 いっそのこと、僕もゾンビになってしまいたい。

 別にゾンビになったって、今の僕とたいして変わらない。ボソボソ呻きながら、その辺をウロウロするだけだ。何も考えないで済むのなら、そっちの方が楽かもしれない。

 僕は……僕はどうせ日陰者で、影の薄い陰キャラで、みんなから無視される存在で、いてもいなくてもいいような存在で、生きていても死んでいても、誰も気に留めないような存在で———、


「ヴあぅっ!」


 声のする方を見た。遠くの方から、ゾンビが向かってくる。ヨレヨレのスーツを着た、サラリーマンらしきゾンビだ。白いシャツに血が浮いている。標的は、明らかに僕。

 ああ、やっぱり僕の陰VISIBLEは、学校外部のゾンビには通用しないらしい。

 はは、そんなもんさ。そうだろうよ。どうせ僕なんて、どうせ。


「ヴぁあああっ!」


 いいさ、僕を噛み殺せよ。もう生きていたって意味がない。


「ヴぁうあああああっ!」


 ゾンビが目の前に迫る。さっさと噛み殺せよ。早く、早く僕を———、


 ———ブロロロンッ!


「うおおおおおっ!オラぁっ!」


 襲われる寸前、怒号とエンジン音を引き連れた何かが、目の前を猛スピードで通り過ぎた。瞬間、突如として目の前に迫っていたサラリーマンゾンビの頭が弾け飛び、顔いっぱいに、ビチャッ!と血が飛んできた。

 突然の出来事だったが、僕は驚かなかった。無表情のまま、頭が弾け飛んだサラリーマンゾンビの首無し死体が、目の前でヨタヨタと力なく崩れ落ちるのを、黙って見つめていた。


「オイ」


 声のする方を見た。スクーターに乗った人が、僕に呼びかけている。

 返事をしないでいると、その人はスクーターのエンジンをブロロンッとふかしながら近付いてきた。

「お前、ゾンビじゃねえよな?大丈夫か?」

 心配されているようだったが、僕は反応できなかった。ただ、ぼーっとその人の方を見ていた。

「眼が白くない……。大丈夫そうだな。お前、名前は?」

 その人の顔を見ようとしたが、なぜかピントが合っていないように、ぼやけていた。ぼんやりと輪郭だけが浮かんでいるように見える。

「オイッ!」

 パンパンッ!と、顔の前で手を叩かれ、ようやく弛緩していた僕の意識は輪郭を取り戻した。慌てて血だらけの顔を袖で拭うと、視界が鮮明に戻り――目の前の人が、随分とおかしな格好をしているのが分かった。

 ヘルメットをかぶり、風防ゴーグルを着けているのはスクーターに乗っているからだろうが、真夏だというのに、なぜか真っ赤なレインコートを着込んでいる。その裾から覗く足はサンダルを履いていて、それがドカッと乗っけられているワインレッドのスクーターには、時代遅れのヤンキーが好みそうな、ギラギラした品の無いステッカーがベタベタと貼り付けられていた。後部には、パンパンに膨れたセカンドバッグが乱暴に縛り付けられている。

 そして、何よりも奇抜さが際立っていたのは、手に握られた血だらけの釘バットだった。

 さっき、あれでサラリーマンゾンビの頭を……?

「訊いてるだろ。お前、名前は?」

 名前?僕は、僕の、僕の名前は……。

「あ……あかる、透野明」

「あかる?変わった名前だな。お前、噛まれてねえよな?」

「う、うん」

「ヴぅあああああっ!」

 僕たちの会話を遮るように、校門にいた渡辺ゾンビが吠えた。ラグビー選手みたいな巨体を揺らしながら、ドタドタとこっちに近付いてくる。

「チッ……。オイ、下がってろ」

 その人はスクーターから降りると、手に持っていた釘バットをくるりと回した。自分よりも遥かに体格のいい渡辺ゾンビに、臆することなくツカツカと近付いていく。

「ヴううああああっ!」

 そのまま、釘バットを思いっきり振りかぶって―――、

「うるせえ……なあっ!」

 バギャンッ!と生々しい音がして、渡辺ゾンビの首が捻じれた。クリーンヒットした釘バットから、血飛沫が飛び散る。

「オラッ!オラあっ!」

 その人は執拗に渡辺ゾンビの頭を殴り続けた。渡辺ゾンビはしばらく持ちこたえていたが、やがて為す術無く、後ろ向きにドチャッと倒れ込んだ。

「ヴぎゅ……」

「ハッ、しつけえな。さっさと……死ねコラァ!」

 一直線に振り下ろされた釘バットがとうとう脳天を打ち抜き、渡辺ゾンビの頭は大成功したスイカ割りのように粉々に砕け散った。

「ふう……、ったく。なあ、お前以外に生きてる奴はいねえのか?」

 釘バットにへばりついた肉片を振るい落としながら、その人はまた僕に話しかけてきた。

「う、うん」

「ヴぁあああああっ!」

 二人揃って振り返ると、物音に反応したのか、校庭のゾンビたちがわらわらとこっちに押し寄せて来ていた。

「ヤベッ!おい、逃げるぞ!乗れ!」

 その人は慌ててスクーターに跨ると、エンジンをふかした。

「えっ、あっ、えっと……」

「何やってんだ!早く逃げるぞ!ほらっ、乗れよ!」

「は、はいっ」

 僕は慌てて、スクーターの後ろに飛び乗った。

「掴まってろっ、行くぞっ」

 振り落とされないように、その人の腰に手をまわしてしがみつくと、ブロロンとエンジンが唸り、スクーターが走り出した。ゾンビたちの呻き声を置き去りにして、道路のど真ん中へ躍り出ると、また勢いよくエンジンが唸り、みるみるうちにスピードが上がっていった。

 前髪がはためき、風を切っていく。初めて乗るスクーターは、自転車よりもずっと早い速度で街を走っていた。

 次々に移り変わっていく終末に呑み込まれた街の景色を眺めながら、僕はぼんやりと考えていた。

 ———ああ、どうして生き延びてしまったんだろう。




「ここなら大丈夫だろ。おい、そこを開けろ」

 ひとしきり走った後、スクーターは街中にある公園の多目的トイレの前で停まった。

「早く開けろよ、奴らに見つかる。ほら」

 慌ててスクーターから降りると、言われた通りに扉を開けた。何をするのだろうと思っていると、スクーターが唸りながら中に乗り上げた。綺麗な床のタイルに、タイヤの跡がジリジリとこびりついていく。

 スクーターが完全に中へ入り込むと、ステテンと音がしてエンジンが止まった。乗っていた人は降りるや否や、周囲にゾンビがいないか確認すると、すばやく扉を閉めて鍵を掛けた。

「あ、あの……」

「ああ?」

「え、えっと……その――」

 僕がモゴモゴと口籠っていると、その人がヘルメットを外した——瞬間、僕は釘付けになった。

 色鮮やかなオレンジがかった茶髪がヘルメットから零れるようにはためき、返り血の付いた風防ゴーグルが取り去られたその顔は、凛とした表情をした——女の人だった。

「なんだよ?」

「……っ!?」

 衝撃で、言葉を失った。

 な、なんで、どうして、女の人!?だって、言葉遣いが、男みたいで、ヤンキーだから?あれ?そういえば、さっきまで、この人の背中にしがみついてて、じょ、女子に触った!?抱き着いてた!?ヤバイ!嫌われる!嫌われた!?で、でも、この人、凄く、綺麗で……。

「だから、何だっての」

「あ、あっ、えっと、いや、あの、その……あ、ありがとうございます。助けてくれて」

 ようやくまともな言葉が口から出てきた。最高にキモくなっているであろう顔を見られたくなくて背けると、手洗い場の鏡があった。映り込んでいる僕の顔は、こびりついている血に負けないくらい真っ赤だった。

「ああ、そんなことより、顔拭けよ、ほら」

 女の人はスクーターに縛り付けられているセカンドバッグの中から、水の入ったペットボトルとタオルを取り出して僕に投げた。慌てて落とさないようにキャッチする。

「あ、ありがとうございます」

 丁度いい。汚れごとキモい表情を洗い流そう。

 手洗い場でバシャバシャと顔をすすいだ。血を洗い落とした後、タオルで顔をぐしゃぐしゃと拭いながら、どうにかまともな表情を作ろうとしたが、鏡に映った顔はまだ血が付いているんじゃないかと思うほど赤かった。

「お前さ」

「ハイッ」

 急に話しかけられて、変な声が出た。慌てて振り返ると、女の人がスクーターにもたれてレインコートを脱いでいた。下には、黒地に金の刺繍があしらわれた長袖のジャージを着ていたようで、暑そうに手で顔を扇いでいる。その度に、肩まである髪が、はらりと揺れていた。

「あかるっつったっけ。あんなとこでぼーっとしてたけど、何してたんだ?」

「え……えっと……」

 そういえば、僕はあそこで何をしていたんだっけ。

 学校で、ゾンビだらけになって、閉じ込められてて、どうにか脱出して、ゾンビに無視されて、楽しかったけど、独りぼっちだってことに気が付いて、すぐに怖くなって、それから……そうだ。井之内くんがいて、林田さんがいて……僕は……。

「……死のうとしてたんだ」

 そう言った瞬間、女の人の手が止まった。

 しまった、とは思わなかった。僕は本当のことを言っただけだ。

「……ふーん。だからって、ゾンビに殺されるこたねえだろ」

 女の人はあっけからんとして答えた。

「変な奴だな、お前」

 その歯に衣着せぬ物言いに、僕はなぜか安心感を覚えた。さっきまで、自暴自棄になってぼんやりしていたというのに、不意に人から「アホか」と頭を叩かれて諭されたような、そんな気分だった。

「ま、いいや。お前、腹減ってるか?」

 女の人はまたバッグを漁ると、今度はガスコンロと小鍋に、水のペットボトルと、いくつかのカップ麺を取り出した。

「好きなの選べよ。こんなとこじゃ食欲湧かねえだろうけど」

 女の人は床にドカッと胡坐をかいて座ると、ガスコンロに小鍋をセットして水を入れ、豚骨味のカップ麺のビニールをビリビリと破き始めた。

「あ、あの」

「なんだよ、豚骨はやらねえぞ」

「ち、違います。えっと、その……あなたの名前は?」

「あ?ああ、そういや言ってなかったっけ。俺は……」

 女の人は、ふと手を止めると、

「サキナ、樫見かしみサキナだ。サキナって呼べよ」

 その横顔に、僕はしばらく見とれていた。




 その後、塩味のカップ麺をもらってモソモソと食べながら、サキナさんの話を聞いた。

 サキナさんは隣町の人で、ゾンビ・パンデミックが起きた日は、いつものように愛車のスクーターで町外れの峠を攻めていたのだという。ひとしきり走り、満足して町に帰ってくると、なぜかそこら中が荒れ放題になっており、何が起きたのか理解できないでいると、ゾンビたちに見つかって襲われてしまった。

 偶然持っていた釘バットでどうにか身を守り、なんとか逃げ切って、困惑しながら町中を疾走していると、どこもかしこもゾンビだらけで、世界に何が起きたのかをなんとなく理解した。

 その後、誰もいなくなったコンビニやスーパーで食料と物資を集めながら、隣町から脱出し、安全な場所を求めて、この街を疾走していたところ、僕を見つけたのだという。

「……てことは、普段からそんな恰好をしてるんですか?」

「あぁ?悪いかよ。この合羽は違えぞ。これは、奴らの血を浴びねえように着てるんだ」

 スクーターに引っ掛けているレインコートを指しながら、サキナさんは答えた。真っ赤なレインコートはよく見ると、歴戦の過去を物語るように、渇いた血の染みがこびりついていた。

「あの……、さ、サキナさんは――」

「さんって、やめろよ。お前、いくつだ?」

「え?えっと、十四ですけど」

「中二か?俺と同い年じゃねえか。呼び捨てでいいよ」

「お、同い年!?」

「何、驚いてんだよ」

「だ、だって……」

 どう見ても、そうは思えなかった。言葉遣いはまだしも、顔つきや、ハスキー気味の声、身のこなし、容姿、佇まいが、とても同い年の人間とは思えないほど大人びている。

「そ、そのスクーターは……」

「無免許」

「そ、その髪」

「髪くらい染めてる奴いるだろ」

「が、学校は?」

「砂井田第一中、ほとんど行ってねえけど」

 とても信じられない。ずうっと年上に見える。身長のせいだろうか。スラリと背が高くて、僕と頭一つ分も違う。

「いいから、さっさと食えよ。冷めちまうぞ」

 サキナさんはグイッとカップ麺のスープを飲み干した。そんなこと言われたって、さっきのことが衝撃的過ぎたせいで、味が良く分からない。

「あっつ」

 サキナさんがゴクゴクと水を飲みながら、ジャージの襟をバタつかせた。確かに暑い。窓はあるが、ゾンビに見つかってしまうかもしれないので開けることができない。

「おい、それ食ったら出るぞ。こんなとこで夜まで待てねえ」

「よ、夜?」

「ああ、ゾンビ共は、夜になったら大人しくなるんだ。突っ立ったまま動かなくなるか、しゃがんでじっとしてる。光を当てるか、物音立てたら動き出すけどな」

 初耳だったが、確かに思い返してみれば、夜にゾンビが動き回っているのを見たことが無かった。ゾンビといえど、真っ暗になったら仮眠をとっているのだろうか?

「移動するなら夜の方がいいけど、ここにいたら蒸し焼きになって死んじまう」

「で、でも、どこに行くんですか」

「どっか」

「ええ……」

「なんだよ、どっか当てがあんのか?」

「当てなんてないですけど……」

「だろ。だから探しに行くしかねえんだよ。安全なところを」

「安全なところ……。サキナさんの家は、もうダメになっちゃったんですか?」

「……ああ」

 不意に、サキナさんは遠い目をして、ボソリと呟いた。

 まずい、もしかして酷いことを言ってしまっただろうか。まさか、サキナさんの家族はもう……。

「お前の家は?家族は無事なのか?」

「え?」

 そういえば、僕の家はどうなっているのだろう。両親と兄は、一体どうなってしまったのだろう。……でも、

「……多分、もうダメになってると思います。連絡も取れなかったし」

「なんなら家に送ってやるぞ。帰らなくていいのか?まだ生きてるかも知れねえだろ」

「……いいんです。ゾンビになった家族を見たくないし……それに、もし、そうなってたとしたら……僕は……僕は……もう……」

 俯いていると、サキナさんは取り繕うように、クシャッと僕の頭を撫ぜた。

「……そうか。じゃあ、どっか別の場所だな。とりあえず、食料とか道具とか、こいつの燃料が揃ってるような場所を目指そう。このままじゃ生き延びれねえし」

「食料……道具……あっ」

「ん?なんか、いい場所があるのか?」

「もしかしたら、あそこは絶好のサバイバルエリアかもしれません」

「あそこって、どこだよ」

「案内します。きっと、あそこなら、求めてるものが全部手に入るかも」




「掴まってろよっ」

 サキナさんがエンジンをふかしながら、身を乗り出して扉を開けた。ブワッと風が吹いて、危険だらけの終末世界が僕たちを出迎える。

「あ、あの、ヘルメットはいいんですか?」

「ああ、暑いから要らねえ。行くぞっ」

 スクーターが多目的トイレから勢いよく飛び出した。公園を抜け、道路に繰り出すと、うろついていたゾンビたちが気が付いたのか、ヨタヨタと近寄ってきた。

「邪魔だっ、どけっ!」

 サキナさんがエンジンをふかした。唸りを上げてスクーターが走り出し、前方のゾンビに向かっていく。

「うおおおっ!」

 ゴチャッ!という音がして、ゾンビが弾き飛ばされた。振り返ると、弾き飛ばされたゾンビが塀にぶつかって頭の中身をぶちまけていた。

「あ、あの、サキナさんっ」

「なんだよ?」

「危ないから、ゾンビは避けていった方が……」

「うるせえなっ、邪魔だったんだからしょうがねえだろっ」

 スクーターの速度が上がっていく。振り落とされないように、しがみついている手をぎゅっと握り直した。二人乗り状態なので、顔が見られないのはありがたい。仕方がないとはいえ、女子に抱き着いているのだから。多分、僕の顔は今、情けないくらい真っ赤になっているだろう。

「ほら、案内しろよ。どっちだ?」

「あっ、えっと、しばらく真っ直ぐですっ」

「そうか、じゃあ飛ばすぞっ」

 レインコートの裾がバタバタとはためいた。風を当てて熱い顔を冷やそうと首を伸ばすと、ミラーに映るサキナさんと目が合って、心臓が高鳴った。

 まずい。身体を密着させているので、心臓がバクバク鼓動しているのが伝わってしまう。まずい、ヤバい、どうにかして抑えないと―――、

「気にすんなよな」

「へっ?」

「俺だって、きっとお前と同じことを考えると思うぜ」

 ……よ、良かった。心の内を読まれたのかと思った。そんなはずないのに。

「あ……ありがとうございます、サキナさん」

「だから呼び捨てでいいっつうの」

 サキナさんの後ろで風を浴びながら、荒れ放題の街並みを眺めた。焼け跡と化している黒焦げの家。歩道に突っ込んでいる車。入り口の扉のガラスが割れたコンビニ。窓ガラスという窓ガラスに内側から血が飛び散っているバス。倒れている自転車。その傍に落ちている買い物袋。後ろが開いたままの救急車。買い物カートが放り出されているスーパーの駐車場。

 時折、うろついているゾンビたちが僕たちを見つけて追い縋ろうとしたが、追いつけるわけもなく、簡単に振り切られていった。一応、目で探してはみたが、生きている人は一人も見つけられなかった。

 改めて、この世界は終末を迎えているのだと感じたが―――、

 僕はとりあえず、もう少しだけ生きてみようと決意した。

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