12:LOOK AT YOURSELF

「あっ、そーだっ、忘れてた。あかるん、前いたとこに、お化粧品入れてたケースあったでしょ?あれ、持ってきてくれない?」

 カチャリと首輪の錠前が外された。

「……はい」

「フフッ、お願いねえ」

 悪魔が僕の手を取り、小首を傾げながら微笑みかけてきた。

「ヴあうぅうっ」

「ヴああああっ」

 それを見て、他の下僕たちが不服そうに呻く。 

「なぁに?また?もう、しょうがないなあ。ほら、みんな並んでっ」

 悪魔が次々と下僕たちの手を取り、小首を傾げては微笑んでいった。

「みぃんな、同じくらい好きなんだから、仲良くして。ねっ?」

「ヴぁううぅー」

「ヴるふふうー」

 悪魔は下僕たちの機嫌を取ると、いつものようにポケットから香水を取り出して顔と手に吹き付けた。ゾンビが身体中から漂わせる腐臭を、上書きして掻き消しているつもりなのだろう。

「フフッ、じゃ、いってらっしゃい、あかるん」

 悪魔と下僕たちに見送られ、〝城〟を後にした。俯きながら、トボトボとかつての拠点を目指す。

 鎖から解放されたのは久しぶりな気がする。

 あれから、どれくらい経ったのだろう?よく分からない。覚えていない。

 何もかも虚ろなまま、身体だけを動かした。

 拠点は、こっちだっけ、あれ、こっちだっけ。確か……拠点ってなんだっけ。

 元いた場所だ。……あれ?誰といたんだっけ。

 まあ、いいや。確か、こっちの方で……。

 ああ、ここだ。ここで……。

 ……なんで涙が出るんだろう。

 ここで、僕は……。


 ———あかる。


 誰の声?

 僕の名前を呼ぶこの声は。


「……サキナさん」


 声が、勝手に出た。


「う……うあ、あ……」

 頭の中で、押さえつけられて霞んでいた記憶が蘇っていく。

「うあああっ……、う、ううっ、ああっ……!」

 拠点の床に崩れ落ちた。

 僕はここで、サキナさんと……。

 かつて過ごしていた拠点は、あの瞬間から時間が止まってしまったかのように、沈黙していた。僕たちの生活の痕跡が遺されたまま、何もかも、そのままで。

 サキナさんのお気に入りだったヒョウ柄のクッションが、座椅子の傍に転がっている。カゴの中には、僕がきちんと分けて詰め込んだ食料がそのままになっている。テーブルはひっくり返っていて、カセットコンロ、レシピ本、紙コップ、卓上時計が散乱していた。ノートパソコンは充電が切れたのか、真っ黒な画面のまま沈黙している。その向こうには、僕が焦がしてしまった小鍋がひっくり返っている。壁際には、サキナさんの釘バットが転がっていて、その間に、サキナさんの着ていたレインコートの残骸が———。

「うっ……ううっ……」

 どうしてこんなことになった?

 そんな言葉が、頭の中をグルグルと渦巻いた。

 幸運にも、生き残れたのだ。この崩壊した世界で、奇跡的にも、僕を見てくれる人に出会えて、理想郷を見つけて、慎ましく暮らしていただけなのに、どうしてこんなことになった?

 僕は誰かと一緒に、静かに暮らせるだけで良かったのに。孤独から逃れられれば、それだけで良かったのに、どうして。

 もう、あの日常は、ようやく手に入れた日常は、二度と戻ってこないのか?

 情けなく、グスグスと啜り泣いた。もう、どうにもならないと分かっているのに、引き裂かれた赤いレインコートの元に這い寄り、手繰り寄せた。懐かしい感触が伝わってくる。

 このレインコートを着て、サキナさんは僕を助けてくれて、二人でスクーターに乗って、風を浴びながら、街を走って———、


 ———パサッ


 と、何かが引き裂かれたレインコートのポケットから落ちた。

 これは、何だろう。赤い布製で、所々ほつれている。

 拾い上げると、ペラリと捲れた。どうやら二つ折り財布だったようで、小銭入れとの部分とカード入れの部分に分かれている。

 ……これは。

 カード入れの部分のパスケースの中に、写真が入れられていた。二人の女の子が笑顔で写り込んでいる。

 その内の一人がサキナさんだということはすぐに分かった。髪をオレンジがかった茶色に染め、真っ赤な特攻服を着て、右手で釘バットを担いでいる。左手は、もう一人の小さな女の子の肩に乗せられていて……。

 ……リコさん?

 もう一人の小さな女の子は、リコさんだった。豪快に構えるサキナさんに肩を抱かれて、お行儀よくこじんまりとしている。だが、よく見ないと分からないほど、その姿は今のリコさんとかけ離れていた。

 写真の中のリコさんは、全身が真っピンクだった。服装はフリルとリボンだらけのワンピースで、靴、髪留め、ポーチ、すべてがピンクと白で構成されていた。そして何よりも、ツインテールに結われた真っピンクの髪が一際目を引いた。

 それはまるで、アニメから飛び出てきた魔法少女のような姿だった。

 奇妙なツーショット写真だった。二人とも格好は漫画じみていたが、とてもジャンルがかけ離れていて、まるでコスプレイベントで、違う作品のキャラクターが間違って一緒に撮られたような、そんな一枚だった。

 だが、写真の中の二人は格好こそ対照的なものの、揃って無邪気に笑っていた。サキナさんもリコさんも、今までに見たことがないほど純粋無垢な笑顔を浮かべていた。それはまるで、心から信じあっている親友同士が、はしゃぎながら撮った一枚のように感じられた。

 これは、いつの写真なのだろう。

 取り出して見ると、写真には折り目と皴が無数に付いていた。まるで、一度クシャクシャに丸めたかのようにヨレている。端の方をつまんでいると、写真はしなりと頼りなく折れ曲がり、裏返った。

 ……!

 写真の裏には、短いメッセージが書かれていた。


「あの頃はリコもね……」


 読んだ瞬間、いつかのリコさんの言葉が脳裏に蘇った。

 あの頃……。

 この写真、このメッセージは、もしかすると……。

 いや、でも、甘い考えだ。

 あの悪魔がこんな……。

 でも、これは、僅かでも、可能性が……。

 でも、あいつはサキナさんを。

 ……でも。

 散々悩み抜いた後、僕は決意した。

 ―――可能性に、賭けよう。

 もしかしたら、これで悪魔を元に――ただの女の子に戻すことができるかもしれない。

 可能性は限りなく低いだろう。でも、信じるしかない。やるしかない。今は、それしかできることがない。

 でも、もし失敗したら……。

 僕は、絶望で錆びついていた脳をフル回転させながら、拠点の外へ飛び出した。だらけていた身体を軋ませながら、息を荒げてYOUトピアの中を奔走する。

 あまり考えたくは無いが、プランAが失敗した時の準備が必要だ―――。




「おかえりー。遅かったね。あったぁ?お化粧品ケース」

 準備を終えて城に戻ってくると、リコさんはベッドに寝転がって爪の手入れをしていた。またどこかから持ってきたのか、傍らにはパンダのぬいぐるみが増えている。

 とりあえず、ご所望のケースを手渡し、任務を完了した。

「そろそろお昼だね。ごはんにしよっか。今日は犬の缶詰と猫の缶詰、どっちがいい?」

 いつものように首輪に錠前を取り付けられ、囚われの身へと戻る。

「まだまだ色々置きっぱなしだったよねえ。確か、チェックのポーチもあったでしょ?ごはんの後、あれも持ってきて。あっ、コーラも欲しいなぁー」

 次の注文を聞いていると、試着室がもぬけの殻になっていることに気が付いた。中にいたはずのゾンビたちの姿が無い。彼らも、何か別のお願いをされてどこかへ出かけているのだろうか。

 これは、もしかしたら、今が絶好のチャンスかもしれない。

「……あの」

「なあに?」

 リコさんは僕に笑いかけたが、目の奥は笑っていなかった。

 心臓がビクつき、喉がヒリヒリと渇いていく。

 ビビるな、やるんだ。チャンスは今しかない。

「……リコさん。僕、リコさんに嘘をついてました」

 僕は覚悟を決めて、切り出した。

「急にどうしたの?」

「……僕は、学校じゃ冴えない日陰者だったんです。クラスのみんなから無視されてて、友達なんて一人もいない陰キャラだったんです。友達とここに遊びに来たことなんてないし、一緒にカラオケに行ったことなんて一度もないです。誰からも声を掛けられない、いてもいなくても変わらないような、そんな人間でした。そういう風に思われたくなくて、僕は嘘をついてました」

「……あかるん?」

「僕も、偽っていたんです。本当の自分を隠そうとして、偽りの姿を創り上げて、演じていたんです。サキナさんと同じように。でも……」

 リコさんは怪訝そうに眉をひそめながらも、僕の話に耳を傾けていた。

「確かにサキナさんは嘘で本当の姿を隠して、偽りの自分を演じていたのかもしれません。でも、例え偽りの姿であろうと、サキナさんが僕を助けてくれたことに、変わりはないんです。嘘をついて、見栄を張って、誤魔化して、自分を良く見せようとして、強がるだけ強がって、何もできな……何もしなかった卑怯者の僕なんかより、サキナさんはずっとずっと強くて、優しい人でした。だから……僕にとって、サキナさんはサキナさんなんです。真奈子なんて名前じゃない。例え、それが偽りの姿だったとしても、理想の自分を演じていたとしても、成りたい者に成りきっていただけだったとしても、サキナさんは僕を助けてくれたんです。だから、僕にとって、サキナさんは……」

 舌が震えそうになるのを必死に堪えながら思いの丈を吐き出した後、ポケットからあの写真を取り出した。

「……これ、サキナさんの財布に入ってました」

 丁寧に皴を伸ばし、リコさんに手渡す。

「裏に書いてあるメッセージ、読みました。……勝手にすいません。でも、そのメッセージを見る限り、自分を偽っているのは僕とサキナさんだけじゃない」


 〝ヤンキーガール・サキナ&マジカルガール・ピーチ 一生マブダチ!〟


 そうマジックで走り書きされている写真の裏には、隅に小さく日付が記されている。今から一年ほど前の日付だ。

「僕、ヤンキーガール・サキナは知りませんでしたけど、マジカルガール・ピーチはなんとなく知ってます。僕たちが幼稚園くらいの頃、テレビでやってたアニメのことですよね?魔法少女が主人公で、桃が大好物で、決め台詞が確か……〝魔法の言葉でみんなの願いを叶えてあげる〟でしたっけ」

 リコさんの顔に張り付いていた、悪魔のような笑みが消えていた。代わりに、懐かしんでいるような、悲しんでいるような、苦しんでいるような、悔いているような、今までに見たことがない複雑な表情を浮かべていた。

「リコさん、前にこう言いましたよね。あの頃はリコもね、って。この写真を撮った頃は、リコさんもサキナさんのように、成りたい者に成ろうと、理想の自分に近付こうとしていたんじゃないんですか?それで、二人とも気が合って、親友になって……」

 リコさんはいつの間にか、両手で顔を押さえていた。泣きそうになっているのか、ふるふると小刻みに震えている。

「リコさん、お願いです。あの頃のリコさんに戻ってください。二人の間に何があったのかは分かりませんけど、今のリコさんは、本当のリコさんじゃないはずです。本当のリコさんは、きっと親友にあんなことをする人じゃない。本当の——」


「キャッハハハハハハッ!」


 リコさんが突然顔を上げ、甲高い声で笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る