仕事中は恐いけどお仕事以外は甘いんです。
ティー
第1話 出会いは雨の中で。
「青井! ここ入力ミス! これで何度目? もう2年目なんだから出来て当然のものをいつまでも間違えるんじゃないわよ。ほら、さっさと直して。あと、これも」
「はい! すみませんでした!! すぐに訂正します!」
入社2年目の俺―――
26歳にも関わらず、男共やベテランを抜き去り、トップの成績を叩き出したのが配属から僅か半年後。1年目の新入社員が猛者を抑え、のしあがった様は未だに語り継がれている。彼女の仕事に前向きで妥協を許さず、トップを譲らない精神が買われ、若くして課長に登り詰めた人だ。
そんな所に配属されてしまうなんて……数学が得意で経理部は天職だと思っていたのに。なんで―――仕事も丁寧だと太鼓判で部長から、「いやー、うちの会社の未来は明るいなー、ワッハッハッ」と言われたくらいなんだぞ!? それなのに―――春の人事異動には入っていなかったから安心したのに。だいぶ経ってまさかの俺の名前が上がっているなんて……。部長もすまんな、としか言わないし。
「青井! 物思いに耽る暇あるなら、手を動かしなさい! 代わりならいくらでもいるのよ」
「はい! すみませんでした!! 気をつけます!」
そうだ。急な人事異動が発令したのはあれを目撃してからだ。あれは雨が強い日だったな。
「はあー。もううんざりなんだよ、お前。結局いつも仕事、仕事。俺はお前みたいな仕事人間じゃなくて俺だけを見てくれる女と一緒になるから。じゃーな」
「ま、待って! 別れるなんて嘘でしょ?! だ、大丈夫。今度からちゃんと優先するから、だから!」
「ちっ! そういうのが恩着せがましくてうぜーんだよ!」
「きゃあ!!」
バシャーンっと派手な音と水しぶきが上がる。
「けっ、ざまーねーな。じゃーな」
捨て台詞を残し去っていく相手。それを呆然と見つめる女性。え、これって修羅場だよな? マジで!? 現実マジでこんなことあんの?! あの女の人キレイなのに―――あれ? なんか見たことあるような……って、あの人営業部のエース赤城さんじゃないか?! マジか! ヤバい、どうしよう。こんなところ目撃したなんてバレたら……シバかれる!!
そろーり、と音をたてないように慎重にその場を離れる。なんてついてないんだ。ショートカットしようと公園なんて通るんじゃなかった。雨だからカップルもいないと踏んだのにとんだカップルに出ぐわしてしまった。しかも修羅場ってる。微動だにしないものだからどんな表情してるんだろ、と横目でチラリと見た。すると―――泣いていた。雨が降っているのに突き飛ばされた時に傘が飛んでしまって塗れて分かりづらいが、泣いている。目が揺れ動いているのがわかる。
このまま帰ってしまってもいい。同じ会社だけど、関わった事なんてほとんどなかった。知らねーって通せば終わること。家に帰ってテレビ見ながらコンビニ飯食って、そんで寝る。で、また明日から仕事をすれば、ほら日常。何も困る事はない。そう、困ることはないんだ―――ある程度、歩いてピタリと足を止める。勢いよく、踵を返しずかずかと赤城さんへ近づく。俺に気付く様子もなく依然として赤城さんは呆然としていた。
「こんな所で濡れていたら風邪引きますよ、赤城さん」
「………あなたは―――」
急に雨が防がれてびっくりしたのだろう。顔を上げて、俺と目が合った。俺自身、濡れるのを覚悟で傘を傾けたんだ。気付いてくれないと困る。
「青井智陽。同じ会社の経理部です。変なやつが寄り付く前に行きましょう」
「行くって何処に……」
「―――俺の家です。ここから近いですし、濡れた服洗って、シャワーくらい貸しますから」
「でも……」
「いいから。行きますよ!」
程なくして自宅マンションに着き、部屋の明かりのスイッチを探す。無事探し出し、照明を付ける。遠慮なくどかどかと上がり洗面所からタオルを持ってくる。一応、新品にした。他意はない。
「これ、使って下さい。お風呂はあっち。温まってから出てくださいね。濡れたやつは洗濯機に入れて下さい。乾燥までかけるんで」
「やっぱり悪いから―――」
「変な遠慮しないで下さい。風邪引かれる方が夢見悪いんで。ほら、行ってください」
ぐいぐいと洗面所へ押し込む。ある程度してシャワー音が聞こえ、安堵する。カラリと洗面所を開け、風呂場を見ないようにしながら洗濯機を回す。任務完了とリビングに戻り一息付く。すると、どうだ。今度は俺が冷や汗が止まらなくなった。どうしよう! 女性を家に上げてしまった!! わーわー。と、慌てていると上がったらしく、湯気を纏いリビングに現れた。
「ありがとう、すごく温まったわ。それに服も」
「あ、それは良かったです。あ、これ珈琲いれたんでどうぞ」
「ありがとう。いただくわ」
さっきまで消えてなくなる印象だったのに。お風呂から上がると人が替わったみたいに凛々しい。なるほど―――こういう所を彼氏さんは嫌だったんだな、と不躾な事を考えていると、声をかけられる。ドキッとしたが平常を装う。
「何か?」
「さっきのあれ見たんでしょ?」
「あ……そうですね」
「あのことは他言無用でお願い」
返事をする代わりにピーピーと乾燥機が鳴る。無事に乾いたことを告げる音が鳴り響き、俺が立ち上がろうとすると、それを手で制し、スタスタと廊下を歩き洗面所へ。次に現れたのは元から着ていた服一式だった。
「今日はありがとう。それじゃあ、会社で。お休みなさい」
「はい、お休みなさい」
足音は静かで玄関の扉を開ける音だけが部屋中に響く。俺以外いなくなった部屋はいつも見慣れているのにとても広く感じた。
翌日、風邪を引き会社を休む事になり後悔した。風呂さっさと入れば良かった、と。
次に出社したのは週明けの月曜日。ざわざわと掲示板前が騒がしい。あそこは、人事異動の張り紙や行事、成績などが貼られる場所。経理部の俺には関係ないと横を通りすぎようとした。
すると、うちの部長が俺を見つけ、声をかけてきた。呑気な俺は明るい声で返す。
「あ、おはようございます!」
「挨拶どころではないよ! 青井君! 異動だ! 異動が決定したんだよ」
「え、誰……が……」
『本日付けで青井智陽を営業部に異動とする』
「へ? ええええ!!」
その時の気分をお答えしよう。とんでもない爆弾を仕込まれた気分だった。
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