第36話 あなたの好きなものを知りたい

…甘い。甘過ぎる……。世の中の香りという香りが甘い!! 街を歩けば広告や大型テレビ終いにはイルミネーションみたいなのがバレンタイン一色。俺はこの日がクリスマスと同じくらい嫌いだー!!! だって! モテない男子諸君ならわかるだろ!? バレンタイン当日イチャつくカップル、そしてソワソワしてる女の子、浮き足立ってる男衆。


それはな、貰えるやつがそうなるんだよ! 俺は貰えても「あ、青井さーん。これ、経理部のみんなからねー、はい」と手のひらに置かれるコンビニの安いチョコ。いや、嬉しいよ? 甘いの嫌いじゃないし、貰えないよりかは貰えた方が、ね? でもさ、生まれてこの方本命なるチョコを貰った試しがない。


まあ、彼女いない=年齢の男が本命貰えてたら即刻付き合ってるよな。世間のモテるもしくは本命を貰えた男共が羨ましくて妬ましい!! 兄ちゃんなんて毎年30個くらい貰ってさ? 「智陽、チョコを貰ったんだ。一緒に食べよう」と、実の兄ながらイケメンボイスと顔面偏差値の高さに俺もクラっとしたね。もちろん、美味しく頂かせていただきました。


あの頃は俺も大きくなったら兄ちゃんみたいにいろんな女の子から貰えるんだ! って、ワクワクしてたのに。開けてびっくりこの24年間それらしきものを受け取ったことはなかった。が、今年は一味以上違う!


「ねえねえ青井君。こっちの味とかどうかなー? 美味しく出来たと思うんだけど」


「ん? どれどれ……あ、旨い!!」


「ほんと?! 甘過ぎない? 嫌いな味なら言ってね。好きな味付けにするから」


「いや、ほんと旨いよ。お店出来るんじゃないか?」


「やった!! じゃあ、これをベースに作るね。出来たら一番にあげるから」


「え、ほんとに!? いやー、嬉しいな。黄梨からチョコ貰えるなんて」


「当たり前だよ。だって―――本命だし」


「お、おう」


グハッ!! なんと……なんと甘美なる響き―――! 兄ちゃん、俺にも春が来たよ―――!! 喜びを噛み締めながら黄梨が部署に戻るのを見届けて踵を返すと、少し離れた場所にそれはそれは美しいお姿が。あ、課長か。女神かと思った。課長は俺に気付く事なく、他部署の人と話しこんでいる。余韻に心踊らせていると、横から忌々しい声が。


「青井。□△社との打ち合わせ行こうぜ。おい、聞こえてんのか?」


チッ! 課長の姿が拝めないだろうが! 退けよ! このエロ魔神!!


「お前さ……顔に感情出過ぎだろ……ほら、行くぞ。時間がないんだから」


「ちょっ! 自分で歩けますから離して下さい!」


「みとれてる奴の戯れ言なんて耳に入りませーん。黄梨ちゃんとイチャついてたのに他の女にもしっぽ振るとかほんといい身分だよな、青井?」


「……黒部さんに言われたくないですよ」


「お前……言うようになったな?」


「俺知ってるんですよ。この前の合コンでお持ち帰りした女の子とその前の合コンでお持ち帰りした女の子が鉢合わせて修羅場ったって」


「んなっ!? だ、誰だ!! それ言ったやつ!!」


「言いませーん。やーい。この色情魔!!」


「あ、待て!! 青井!! くっそー! 言ったやつ覚えておけよー!」


フハハハッ。俺が何も考えてないやつだとでも? 甘かったな!! 逃げるようにその場を後にし、取引先へ向かう。無事に契約を勝ち取り、帰還すると課長が部内で仕事に打ち込んでいた。ありゃ、珍しい。黒部さんはそのまま直帰し、俺は残りの仕事を片付けようと会社に戻ってきたけど時刻はとっくに定時を過ぎている。


課長は何があっても定時帰りなのに残ってるなんて。槍でも降るのかな? 物騒な事を考えていると、伏した目を上げた課長とバッチリ目が合った。ニヘラと笑って戻った旨を伝える。すると、課長に手招きされた。


「何かありました?」


「これがどうしても気になって青井が戻ってくるのを待ってたのよ」


「任されたプロジェクトですか? それとも――――。ん? 何々? 『男心鷲掴み! これであなたも両思いに!』……って、なんですか、これ?」


画面に映しだされていたのはそんな文言。この人、仕事してたわけじゃないんかい! 特集記事読んでるよ。俺なんて仕事溜まりまくってるのに!!


「ほんとは早く帰って作ってみようと思ったのだけど、好みも知らないし……どうしたものかと思って」


「ああ、誰かにあげるんですか? 課長からのチョコなら誰だって大喜び――――ヒィッ!!!」


極寒の目をしていた。居抜き殺されるのかと思った!! こっわ!


「あなたにあげるチョコに決まってるでしょ? 今まで職場にチョコ持ってきたことないんだから」


「そ、そうですよね!! って、ええっ!!? 俺にチョコ!?」


「なんでそんなに驚くの。まさか―――私からの告白無かった事にしてないわよね?」


「滅相もないです!!!」


やべぇ。普通に課長の冗談だと思って半分以上信じてなかったなんて、口が割けても……地球が滅亡しても言えない!! だって、黄梨だけじゃなく、課長も俺に好意があるなんて!! 二人共ベクトルの違う美女なんだもの! 俺も困っちゃう。なんで同時期に二人から好意を寄せられるんだ! もっと違う時期なら!! あ、でも一人の人と一生を寄り添って生きるのも捨てがたい。


ほんとさ、兄ちゃんって凄かったんだなと改めて実感した。あんなにバレンタインにチョコ貰っておきながらずっと絵莉ちゃん一筋。最初から最後まで一人の人を―――ってのも憧れるね!


「少し……心配になるわ」


「え? 何をです?」


「あなたの自覚のなさに、よ」


「自覚………?」


「ほら、わかってない」


溜め息混じりに椅子から立ち上がり俺の近くへ。俺は心臓を爆つかせながら身を固くする。課長が手を伸ばし、俺の頬に触れる。躊躇いつつもしっかりと撫でる手はとても優しかった。


「ね? こんなに簡単なんだもの―――すごく心配だわ」


フッと笑って俺から間合いを取るとデスクに戻り、「帰るわ、あまり遅くならないようにね」と優しく忠告された。


「あ、お疲れ様です!」


「お疲れ様……あ、青井はトリュフ好き?」


「い、一番好きです」


「そ。私も―――一番得意なの」


ヒラヒラと手を振りながら闇夜に消えていった。後ろ姿を見送ってから椅子に着席する。触れられた頬を触ると微かに熱をはらんでいた。左頬が熱い―――ニヤケる頬を引き締めながら残りの仕事に手をつけた。


明日が楽しみだとウキウキしながら。

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