第7話 初契約取れたぜ!
「その後、娘さんとはどうですか?」
「いやあ。相変わらず目も合わせてくれなくてね」
「そうですか……まあ、そんな簡単には変わらないですよね」
「そうだね―――ああ、でも挨拶は返してくれるようになったんだよ」
「良いことじゃないですか! この調子でいきましょう!」
「この年になって学んだよ。人の意見を聞いて実践してみるものだね」
「いや、そんな―――」
照れ笑いを隠すように頭を掻く。実際むず痒い。やはり、人に褒められるというのは心地いいが恥ずかしくもあるものだ。
今何の話しをしているかというと取引先の営業部長―――猿渡さんと娘さんの態度を変えるにはどうするか。を、実践形式で試してもらった結果の話しをしていた。思ったよりアドバイスが効いてこちらもホッとしている。
「―――それにしても。青井君がうちに来た時は貧乏くじ引いたなと思っていたが、思ったよりやるじゃないか。この案件は他の会社では実現が難しくてね……半ば諦めていたんだよ」
「ははっ。その節は大変ご迷惑を。まあアレは本当にイレギュラーなので。自分が営業を良く知らないからこその提案というか」
「例えそうだとしても、アレは素晴らしかったよ。今後も宜しく頼むよ」
「はい! お任せ下さい!」
意気揚々と取引先を後にする。幸先いいぞ! 猿渡さんは気難しくて有名だったけどトライしてよかった! 相手の事をよく見て相手の気持ちになる。それが赤城課長の教え。仕事とは関係ないことでも親切丁寧に。営業職ではなかった俺が大きな案件を取れたのは奇跡に近い。
最近不穏な空気が漂ってたけど、これで赤城課長に認められるかも。……いや、考え過ぎか。
あの黒部さんと赤城課長のディナーの一件を耳にして以降、黒部さんからの理不尽な攻撃は受けていない。恐らく、上手くいったのだろう。赤城課長も満更でもない様子だったし。
「……にしても。イケメンってお得だよなー」
性格くそ悪くても顔が良ければそっちにみんな心が傾く。赤城課長は一人一人を見てくれているので、そんな贔屓はしないだろうけど。些か不安も残る。
「人の気持ちはその人自身のものだからどうこう出来るわけではないけれど……」
車内で一人ごちる。誰にも聞かれていないからこそ沸き上がってきた疑問を吐露できる。大きな案件を取って帰れたということで赤城課長にも部のみんなにもすごく褒められた。その日はそれで終わった。
問題が起きたのは週明け月曜日。いつも通り出勤をして、缶コーヒーを買おうと自販機の方へ。そこへ物陰から近付く気配を感じ思わず身構えた。
「おいおい。何ビビってんだよ」
「く、黒部さん……おはようございます」
「おうよ。お前も元気そうで何よりだよ」
なんだ? この人が俺に話しかけてくるなんて配属されてきた中で一度たりとも起きたことはない。より手に力が入る。
「なーに。取って喰おうなんて思っちゃいねーよ。たださ―――」
この後の一言に目を見開いた。
「お前が取ってきた△△社の契約俺に寄越せ」
「……えっ」
「おいおい何呆けてんだよ。言ってる事わかるっしょ? お前じゃ役に立たねーから俺がやってやるって言ってんだよ」
「で、でも! それは俺が取ってきましたか―――ガハッ」
腹を抱える。崩れ落ちる体を抱えあげるのではなく、髪の毛を引っ張り自分に引き寄せる。そして耳元で。
「はあー。わかんねーやつだな! お前より俺の方がその案件上手くやってやるって言ってんだよ! このクズが!!」
もう一度足で腹を思い切り蹴られる。そして黒部さんはこうも言った。
「ああ、赤城さんにはチクるなよ? まあ? お前の言うことより俺の言うことの方を信用するだろうけどな。―――由香は」
ドクッ。思わず手が出そうになった。駄目だ! こんなやつと同類になんかなってやるもんか! 自分を奮い立たせ、せめてもの抵抗にと睨む。すると、気にくわなかったのだろう。
「なんだ、その目は? ああそうかよ。じゃあ、お望み通りにしてやるよ!」
顔面を思い切り殴られ壁に背中から打ち付ける。最後に笑いながら俺にこう言った。
「ハッ! 情けねーヤツ。とにかくあの案件は俺が貰うからな。ああ、後その顔面の傷、階段から落ちたつって言い訳しとけよ。まあ、俺がやったって言っても誰も信じねーけどよ」
残された後に涌き出たのは怒りよりも虚しさだった。痛むお腹と頬を擦りながらトイレへ。鏡で自分の顔を見ると見事に腫れ上がっていた。確かにあそこでやり返したら俺はアイツと同じレベルになる。でも、それもアリだったのではないかと顔の状態を見るとそう感じてしまう自分に嫌気が差した。
取り敢えず、誰にも見られないように冷えピタでも買ってこよう。いや、冷えピタだと顔周りだから取れやすいかも。だったら大きな絆創膏で隠してしまった方が殴られた跡っていうのはバレにくいかもしれない。そう考えた俺はさっそくコンビニへ。店員に何度も見られたが気にしていられない。始業時間はもうすぐだ。
無事顔に絆創膏を貼り終えデスクへつく。みんなギョッとした目でこちらを向くが誰一人とて尋ねてこない。俺的にはそれが一番だけど何故か虚しい。誰か話しかけて。
「青井。ちょっとこちらに来なさい」
「は、はい。なんでしょうか?」
「その顔の絆創膏は何?」
「えっと……ここに来るまでに考え事をしていて段差があることに気付かず派手に転んでしまいました」
「……そう。気を付けなさい。みんな心配するから」
「はい! すみませんでした!」
挨拶もそこそこに席へ戻る。その間際俺だけに聞こえるように赤城課長が呟いた。思わず振り向く。
「本当に―――何もないのよね?」
「―――はい。何もありません」
「―――そう。業務に戻っていいわ」
「はい」
心配しながらも疑っている。そんな瞳だった。言えてしまえたら楽だ。だけど口止め云々関係なく、どうしても答えたくなかった。
これが後に引き金を引く前触れになると思いもしなかった。
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