第15話 険悪ムードにしてしまいました……。

針のむしろと言う言葉をご存知だろうか。俺だって23年間生きてきて知らないわけじゃない。ただその状況に陥った事がないだけで。


サッカーをやってたから敵チームの地元行くとめっちゃアウェーだったのは数えきれないくらい経験してきたけどその比ではない。急に赤城課長がご飯に行こうと誘ってきて先に黄梨と約束していたのを反故にも出来ず、結局黒部さんを巻き添えに黄梨と合流したんだけど―――。


「あ、赤城課長。青井君は辛い料理よりこういうマイルドなやつの方が好きなので私がよそいますよ」


「あらそうなの? でも大丈夫よ。私料理するから適量とかよくわかってるから」


「ははは。それは私が料理出来ないって言ってるんですか?」


「あら? そう聞こえたかしら? それならそうなのかもしれないわね」


「勝手に来たくせに」


「青井は快諾してくれたわよ」


二人同時にこちらを向く。片や張り付けたような笑みで、そしてもう片や親の敵を見る目で。どうしてだろう。胃が痛い。


場が盛り下がっているのはうちだけで。個室なのに他の部屋からのどんちゃん騒ぎは嫌というほど耳についた。居酒屋の雰囲気は好きだけど。当分来たくないな。トラウマになりそう……。


黄梨と待ち合わせしていた場所に向かうと笑顔で迎えてくれたのに一瞬で真顔になった。あの時の表情……忘れられない。期待を裏切った瞬間に見るような顔つきだった。


赤城課長と黒部さんが合流した経緯を伝え、4人ならと行きつけの居酒屋へ。めっちゃホームなのにオウンゴールして一瞬にして見方が敵になったあのアウェー感を感じる。わざとじゃないのに怖いよね。


「青井、青井。これってなんでも頼んでいいのか?」


「ん? ああ、フリードリンクなので料金一緒っすよ」


「これも?」


「はい」


「こっちも?」


「はい」


「この高そうなやつもか!?」


「だからそうですって!」


スゲーっと目を輝かせながらメニュー表を見つめる瞳はとても純粋だ。あ……。ここで察してしまった。友達いなかったから来たことなかったのか。不憫な子! と、母親のような心情で「これもお食べ」と俺が頼んだタコわさを差し出した。


「あ、俺ワサビ無理なんだよね」


「マジっすか」


おい! 食えよ!! そこは嫌いでも笑顔でさ。まあ、俺も好き嫌い分かれるやつ提供したのは悪いと思うけど。仕方なく自分の目の前に皿を戻そうと手を伸ばすと隣からかっさらう手が。え、俺のタコわさ……。タコわさを奪った人物はタコわさを一口食べると微笑んで喋りかけてきた。


「あら。美味しいのね。今まで食べた事なかったのだけど」


犯人は赤城課長。俺のタコわさが……


「あ、旨いですよね。俺居酒屋来たら絶対頼んでて。普段買ってまで食べないんでこういう時に食べるんですよ」


「そうなの」


あー。微笑みで浄化されそう。やっぱりこの人美人だなと改めて認識していると、口元へ箸で掴んだタコわさを持ってきた。えっ!? 何?


テーブルを囲んで隣同士なので「あーん」させるのは容易い。容易いけど彼氏さんの前で!! あ、これは赤城課長酔ってるな。課長の前にあるグラスに目をやるとしっかりオレンジジュースだった。くそ! シラフか!!


「か、課長……さすがにそれは」


「いいから」


良くないです! 食べさせられる本人が許可してません!! 肩を落としておずおずと口を開くとピリッとしたタコが飛び込んできた。旨い。旨いけど……いたたまれない。黄梨はくりっとした目が可愛いのにめっちゃ鋭くなってるし。黒部さんにいたっては。


「赤城さん! 俺にも! 俺にもお願いします!」


「……あなたワサビ食べられないって言ってたじゃない」


「ああ! そうでした! くっそ! ワサビめ!!」


諦めるんかい! そこはじゃあ代わりに他のやつでも。とか、他の男に「あーん」するなよ。とか、言えよ! 受け身過ぎるだろ!


頬にヒヤリと冷たいものが当たってビクッと体が反応した。元凶に視線を送ると、どうやら黄梨が俺の頬に手を当てたらしい。どうした? 手が冷たくて温かいものでも触りたくなったか? と、間の抜けた事を考えていると体を乗りだし一言。


「青井君、あーん」


「えっ、あ、あーん?」


「はい、どうぞ」


口いっぱいに広がる出汁の香りと仄かな甘み。


「ふふっ。青井君だし巻き玉子好きだよね? 美味しい?」


「うん……良く覚えてたな」


「忘れるわけないよー」


何となしに昔口にした、だし巻き玉子が好物な事を黄梨は今でも覚えていたらしい。率直に味の感想しか言えない。


「まだ食べる? はい」


「ああ。でも自分で食べれるから」


「そうよ。黄梨さん。大の大人なのだからそこまでしなくてもいいんじゃないかしら?」


「でも青井君もこの方が喜んでますし」


「そうなの?!」


こっちに飛び火してきた。うぉーい。嘘が過ぎるぞー。まあ、可愛い女の子にされて嬉しくない男なんていないと思うけど。俺は正直に生きることの難しさを学んだ。


黒部さんが合間合間に黄梨へ浮気とも取れる発言をしていたが、赤城課長はなんのその。興味ございませんって顔で無視ってた。なんか可哀想。


会もお開きモードに代わる頃、お手洗いへ立って用を足した俺を黄梨が外で待っていた。


「ここ、男女分かれてるぞ?」


「知ってるよ。青井君を待ってただけだから」


「俺を?」


首肯すると間合いを詰めて俺の手を握ってきた。今まで黄梨はおろか女性からこんなことをされたことがなかったので動揺が走る。


「青井君……なんで赤城課長が来たの? 今日は二人でホテルのレストラン行こうって約束したじゃない」


「そ、それはほんとに申し訳なかった。でも誘ったわけじゃなくてさ……断れない雰囲気になって……」


手を絡めてくる。き、黄梨!?


「……黒部さんも?」


「さ、さすがに赤城課長だけってのはほんとに黄梨に悪かったから……黒部さんも誘っただけ」


「ふーん」


ニギニギ。あー!!! 何!? どうして俺は同僚の女の子に手を握られてニギニギされてんの!?


「黄梨?!」


真っ赤な顔に違いない。耳まで熱いのが伝わってくる。女性への免疫がない分ドモるし、キョドってしまう。キモがられないかな?


暫くその状況が続き、長い沈黙の後黄梨が口を開いた。何故か声が弾んでいる。


「そっか。じゃあさ、今度今日の埋め合わせしてよ。それで今日の事許してあげる」


「それはもちろん! ―――でもそんな事でいいの?」


「そんな事でいいの。じゃあ、決まりね! また連絡するから」


「わかった」


ホッと一息吐くとまた現実に引き戻される。手! 握ったまま。


「青井ー? ……何してるの?」


手を握ってるのを目撃され慌てて離そうとするが黄梨が離してくれない。って、離さないと誤解を招くよ! 俺は良くても黄梨はモテるから変な噂はマジで避けたい。


「あ、赤城課長もお手洗いですか?」


「……黒部が潰れたからお開きにしようと言いに来ただけよ」


「そうなんですか。じゃあ、行こっか。青井君」


黄梨は最後にぎゅっともう一度握り直して手を離し、個室の方へ歩き出した。黄梨とすれ違った時、何故か赤城課長が悔しがっていたのが印象に強く残った。


なんの集まりかわからない会もお開きになり、各自各々帰路へ。帰り道がほとんど同じな俺と赤城課長はどうしてか会話が弾まずそのまま無言のまま帰宅した。


ブーブー。


「っと、こんな時間に誰だ?」


トークアプリを開くと、赤城課長からメッセージが。


『今週の土曜水族館行かない?』


たった一言だけのメッセージなのに強制力が働いている気がした。

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