第31話 距離を置くのは難しい

忙しいを言い訳にはしたくないが、年末―――正しくは31日と年始はあまりの多忙さに赤城課長と黄梨とは録に話せず神社の手伝いをしていた。母の優しい所は家族だからと無償で働かすのではなく、ちゃんと報酬があるところだ。川のせせらぎのように普段から穏やかな性格だったら文句無しなのにとは口が裂けても言えないが。


そんなわけで、こんなに忙しいとは考えもつかなかったので、課長と黄梨が兄を好きになった説を立証することが叶わず今に至る。二人共優しいから好きでもない俺に今まで通り接してくれるだろう。それに俺は甘えて――――ま、まあ? 例え兄ちゃんを好きに仮に二人がなっていたとしても、兄ちゃんは既婚者。浮気になる。……え? なるよね? 一夫多妻が認めらてないよね? 兄ちゃんだけ。


怪我をしたせいで、母には役立たずのレッテルを貼られてしまったが、おかげで冷静に今の自分が置かれている立場を明確に理解出来た。結論、二人の俺の取り合いはただの上司部下、同僚としての立場の取り合いだということ。黄梨の告白には度肝を抜かれたが、恐らく黄梨はこう言いたかったのだろう。


「―――私、青井君が(同僚として)好き。今回、病院に運ばれたって聞いて心臓が止まるかと思った(だって、普段から青井君って抜けてるし)。失いたくない(飲み友達を)、恥ずかしいからって(同僚にこんなアホがいるなんて信じられないけれど)逃げるのはもうやめようって決めたの(人に紹介するとき、知り合いだって)。私は―――青井君の事が(人として)大好き」


って、ことだろう!! わかってる! 黄梨の言いたいことは俺は正しく理解している。同期の飲み会で距離を置くのは俺と仲が良いって思われたくないからだよね? 仕事帰りにいつも二人きりで飲むのも人に見られたくないから。……うん! 納得がいく。これまではそれで良かったのが、課長にいらぬ誤解をされて気軽に飲める相手がいなくなってしまうかもという焦りから出た言葉だよね。


まあ、自分で言うのもアレだけど、こんなに女日照りを起こしている俺となら、周りにもし勘違いされても妙な噂にはならないって考えた結果、こんなにお手軽な男を上司に奪われたくないって思ったんだろうなー。


「―――はる。―――もはる。―――おい、このクソアホ息子!!」


「あい!!」


「何その間の抜けた返事は! ほら、お湯沸かしてきな!! 」


「え……俺わかんないよ?」


「ほんと使えないアホ息子ね! 手の甲にお湯乗っけて火傷しない温度よ! ほら、わかったら行ってきなぁ!」


「……口悪いババアだな」


「あん? なんか言った?」


「なんでもないですー」


松葉杖を付きながらピューっとその場を去る。キッチンで湯を沸かして手の甲で測る……あっつ!! 子供じゃなくても火傷するわっ! 何度か試し粉を適量入れ哺乳瓶を振る。ほらよ! ミルクの出来上がりだぁ!! ……。美味しそうだな……。なんでだろう? 哺乳瓶って見てると口つけて飲みたくなるよね。ううん!! それやったらマジ犯罪。駄目、絶対。


「哺乳瓶睨んでどうしたの?」


「いや、旨そうだって――――って、黄梨!?」


ガタンッと大きな音をたててしまう。慌て過ぎだな。


「そんなに飲みたい?」


「へ? い、いや。あの、これは好奇心というか本能というか」


「……私、出ないけど後で試してみる?」


「へぇぇ?!? いやいやいや! そそそそれは駄目でしょ!?」


「なんで? ………青井君なら―――いいよ?」


上目遣いで俺を見上げてくる黄梨の目は若干潤んで色っぽかった。普段の黄梨と違う挙げ句にあまりの色香に思わず頷きかけ……そうなのを必死に首を横に振り抑え込む。


「おおお俺、ミルク持ってってくる!」


「あ、青井君!」


後ろ髪を引かれる思いで廊下を突き進む。とある扉の前で立ち止まり中に声をかけ、了承を頂き滑り込んだ。


「あ、智くんありがとね」


「ううん。これ、母さんに頼まれたミルク」


「ありがとー。母乳がちゃんと出れば良かったんだけどこの子が満足出来るほど出なかったから。助かったよ後で由紀子さんにもお礼言っといてくれる?」


由紀子ゆきことは俺と兄ちゃんの母親。あの暴言を吐きまくる悪女だ。


「大変だね。母乳もだけど、予定日早くなって」


「うん。でも、おかげで智くんにもこの子見せられたし、由香ちゃんと未玖ちゃんにも手伝ってもらえてすごく助かったから、私は嬉しいよ」


「そっか」


そう、10日の予定日が早まり3日に産気ずいた絵莉ちゃんは自宅で産むことを希望しており、母監修のもと産母さんと共に子供を産むという一大イベントを見事乗り越えたのである。その時の女性陣といったら……。「役に立たない男共は座ってな!」と言った母の一声で俺と兄ちゃんはただただ無事に生まれるのを願っていた。冷静沈着の兄がそのときばかりは貧乏揺すりが止まらず、目が血走っていたのがめっちゃ怖かったけど。


「じゃあ、体に障るから俺出てくね。あ、あと明日帰るから」


「えー。残念だなー。もっと話したかったのに」


「俺じゃなくて二人とだろ?」


「あははは。バレた?」


「まあね」


踵を返し、扉の取っ手を掴むと同時に後ろから声をかけられた。振り向くと絵莉ちゃんは困ったような、でも真剣な眼差しで俺に語りかけてきた。


「智くん、一人を選ぶのって本当に勇気がいることだと思うの。智くんが負い目に感じてる部分とか私は知ってるから言わせてもらうけど、もっと相手の事を信じてちゃんと向き合ってみて。今までの経験で二人の本質を計らないであげて。智くんはそれが出来ない子じゃないってお姉ちゃんは思ってるから」


「……ははっ。初めてお姉ちゃん面したね」


「うん、してみた。まあ、頭の片隅にでも置いておいて」


「ん……」


パタリと扉を背に締める。視線を足元に落としていたのをふと上げると、足が見えた。そのまま顔を上げるとそこに立っていたのは赤城課長。俺はへらっと笑いながら口を開く。


「神社の仕事一息ついたんですか?」


「ええ。今から絵莉さんのお子さんを見させていただこうかと思って」


「ああ。めっちゃ可愛いですよ。ずっと寝てますけど」


「赤ちゃんは寝るものよ」


「あ、そうですよね」


ハハハッと笑いながら通り過ぎると後ろから手を引っ張られた。強くはないが急だったので思わずよろめいたが松葉杖のおかげで踏みとどまることができた。頭に疑問符を浮かべながら赤城課長を見つめる。


「あの、青井」


「はい」


「あの、えっと」


「課長。さっき絵莉ちゃんにミルク渡したんで今行けばミルクタイム見れますよ?」


「え、ほんと? ……じゃなくて、あなたなんかおかしくない?」


え? おかしくない? って、本当におかしい人に聞くもの? と、より頭の上に疑問符が浮かぶ。


「頭がおかしいのは俺がどうにか出来ることではないと言いますか……」


「あ、ち、違うのよ!? そうじゃなくて。―――そうじゃなくて、あなたの態度がここ数日おかしいと思って」


ここ数日。……そうか。俺、態度に出してないつもりが結構露骨に出てたんだな。気をつけようと心に刻み、またへらっと笑ってみせる。


「そんなことないですよ。ただ、明々後日には会社始まるんだと思ったら嫌になっただけなんで。ご迷惑おかけしました」


「迷惑なんて思ってないわ! ただ、その―――なんて言ったらいいのかわからないのだけど、あなたが居なくなっちゃうような……」


そんな気持ちになるのよ、と課長は力なく呟いた。課長の言わんとしていることを凡人な俺が到底理解することなど出来ず、俺はただこう返した。


「課長が何を気にしているのか俺にはわからないですけど、俺はいなくなったりなんてしませんよ」


そう言って笑ってみせた。居なくなったりはしない。居なくなりはしないけど、距離を置こうとしているのを勘が鋭い課長は敏感に悟ったのかもしれないと内心冷や汗が流れた。

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