第9話 叩きつけることは出来ないのでそっと置かせていただきます。

書いてみると案外スラスラ書けるものだと感心した。俺はテーブルに辞表届をきれいに折り畳み腕組みをして大きく頷いた。もっと言葉に詰まって書けないものだと思っていたが、それがどうだ。こんなにあっさり書けるとは。もしや知らないうちに辞めたいという鬱憤が溜まっていたのだろうか。


「これを出してしまえば終わりかー。なんか社畜人生も終わって実家に戻ってニートまっしぐらって図しか浮かばない」


やだ、怖い! と頭を振って思考を追いやる。でもこれを提出したところで誰一人悲しまないんだろうな……あ、そめやん先輩と松藤それに経理の大沼部長と経理部のみんなは何か言ってくれるかもしれない。ああ、こんなに周りには俺を想ってくれる人がいるんだなと改めて実感する。えっ? 俺の一方通行の想いじゃないよね?


「明日になればおさらばって思ったら急に眠気が……ふぁー」


そういえばしっかり寝れてないんだっけ? 黒部さんが配属になってから目の敵にされて心休まる日がなかった。そう考えたらリフレッシュ休暇みたいに退職出来てラッキーかも。でも……と心の片隅で疑問が生まれる。


「なんで△△社の猿渡部長は契約打ちきったんだろう? こう言っちゃあ俺が惨めだけど、黒部さんが仕事出来ない人間ではないだろうし……たぶん」


あぐらをかいて腕組みをしても答えは出なかった。出ないものはしょうがないと開き直り、ベッドにダイブ。あーしんどい。言われもなく殴られて上司には信じてもらえない惨めな人生。だけど、それも明日でさよなら。よし! さっさと寝てしまえ。そのせいか、いつもより寝つきが良かった。


「今日で最終出勤日……待てよ? 辞表出してすぐに辞めれたっけ? ……あ。1ヶ月前に言わないと駄目だった」


何故それを失念すると自分の考えの無さに泣きそうになる。が、そこはポジティブに捉える。


「まあ、でも1ヶ月頑張れば会社とも嫌な事ともさよなら出来るじゃないか!」


存外単純な人間なので気持ちを切り替え、昨日書いた辞表を鞄に入れ会社へ向かった。会社の自分の部署に着くと異様な目に晒される事となった。昨日はメンタルにきたけど今日はどうでも良くなるなー。あ、辞めるからか。


辞表を手に赤城課長の元へ赴く。赤城課長の前に立つと課長が眉間に皺を寄せた。あ、これ。何か不満がある顔だ。もう配属されて2ヶ月も経ってしまえばある程度上司の考えていることが手に取るようにわかるようになるものだ。言い過ぎました。わかってないです。ただ不穏な空気感じただけです。


「青井、あなた昨日勝手に―――」


「課長!」


遮る形になったせいで赤城課長の眉毛がピンっと吊り上がった。うわっ、やべっ! 被せて言っちゃったよ。まあ、いっか。


「昨日も含めご迷惑をお掛け致しました。こちら受け取って下さい」


『辞表願い』と書かれた封書を課長に提出するとまさかの驚きの表情。あっれー? めっちゃ怒鳴られると思ったのに肩透かしを喰らった気分。なんで?


「これ……本気なの?」


「え、あ、はい」


思わず片言に。だってあの赤城課長が声を震わせて喋るんだもの! あ、そっか。これは怒りの前兆か。やっべ。雷落ちると身構えたが一つも落ちてこない。目をぎゅっと閉じていたのを恐る恐る開ける。目に飛び込んできたのは怒りに震える姿ではなく、何故か顔面蒼白。またもや、なんで?


「か、課長?」


思わず声をかける。が、課長の耳には届かず辞表届を見つめるだけ。字汚いかな? もう一度声をかけようと息を吸った時、またも乱入者が現れた。はいはい。もうわかりますよね? ええ、あの黒部です。空気読まないよね。


「へえ。良かったじゃないですか、赤城さん。赤城さんの懸念材料が辞めるって言ってますし」


言い方うざいなー。懸念材料ってわからなくもないけどあんたに言われるのが一番ムカつく。横目で睨むが俺が辞めるのがよっぽど嬉しいのだろう。聞いてもいないのにべらべらと本人を前に喋り出す。


「言ってましたもんね。仕事遅いし物覚え悪いし契約取ってくるのに時間かかるし。何より、視界の隅でもうろつかれるのうざかったんですよね。ほんと良かっですよね。辞めるって本人が言ってくれて」



笑顔で話す黒部さんの言葉を俺はどう受け止めたらいいのだろう。俺も笑顔で流せばいい? それとも怒ればいい? 最後なんだから怒鳴り散らしても大丈夫だったり。現実逃避しても頭の中で何度もリフレインする。


視界の隅でうろつかれたくなかったのか……って事は俺が赤城課長に物を尋ねるたびに疎ましがられてたってわけか。俺そんなに嫌われてたのか……。


「ち、ちが―――」


「青井君! 何早まったことしてんの!?」


「そうですよ! 先輩!!」


「そめやん先輩……松藤……」


赤城課長の声が聞こえたような気もしたけど空耳か。とうとう幻聴が聞こえてきたなんて俺の耳もヤバいぜ。心配させないように苦笑いで返す。


「大丈夫ですよ。俺、若いんでここ辞めたら違う所で新規一転頑張ってみます。ということで、赤城課長。お世話になりました。辞表は1ヶ月前に出さないと駄目だと聞いたのでうざいし見たくもないでしょうが、残り1ヶ月宜しくお願いします」


「ま、待って」


「じゃあ、仕事戻りますね」


またも声が聞こえた気がしたけど、か細い声だったので自信に満ち溢れた課長から発せられた声ではないと断言できる。それに待ってって俺の願望が具現化して聞こえたのかも。誰かに止めてほしいって。


この日、俺は晴れて辞表届を提出する事が出来たのだった。

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