第20話 表情一つでやらてしまうものなんです。

「ヤッホー。気分はどう? 青井君」


これほどまでに嬉しくないお見舞いはあっただろうか。否、ない。文学風に言ってみたが内心慌てふためいている。ほんとにさ、彼女いない歴=年齢の俺になんでこんな修羅場なイベントが起きるわけ?! ………いや、待てよ。修羅場ってのは恋人関係とかそれに準ずる物のことをさすよな?


なら! この状況は決して修羅場ではない! だって、俺には彼女もいなければ俺を好きな女性だって存在しないのだから! 言ってて悲しくなってくる。が、気にしてはいられない。……ってことは、このとびらを開けて黄梨を招き入れてもいいわけで―――。


「………俺は何故正座させられているのでしょうか?」


「あら、わからないの? 営業部なのに観察力がないなんて―――鍛え直しかしらね」


えっ。それは残業確定コースだから遠慮願いたいんですが。


「そんな風に言ってたら男性から嫌われますよ? ―――青井君、せっかくお見舞いに来たんだから、何か作ろうか?」


「い、いや。大丈夫」


な、なんだ?! 課長はこめかみをピクピクさせてて、黄梨は笑顔。そして俺は正座。まあ、修羅場なんて縁がないものとたかをくくり、扉を開けて招き入れると課長と黄梨が対面し、二人共同時に目が据わった。そして矛先が何故か俺に………。フローリングの正座は地味に痛いので解放してくれるとすごく助かるのだが、この空気で言い出せる勇気を俺は持ち合わせていない。


「でもお腹空いてるでしょ――――。ふーん。ご飯食べたんだ」


「あっ! これは……課長が見兼ねて作ってくれただけだから……べ、別に頼んだわけじゃないからな!?」


無理強い良くない。課長が俺にお恵みをしてくれただけだ。ここに色恋でもかけられてたら俺だってどんなに良かったことか。―――ぐすん。彼女欲しいなー。


「そうよ。青井が物欲しそうにこちらを見つめてくるから作ってあげて、食べさせてあげただけよ」


「なっ!?」


赤城課長が「食べさせて」の部分を何故かゆっくり丁寧、そして強調して喋った。それに黄梨が余裕な表情を今日初めて崩した。別に自分で食べれたんだけどな? でもさ、俺も男なので美人に「あーん」されるのはやぶさかじゃない。ほんとに、やぶさかじゃない。


フルフルと震えていた黄梨が急に立ち上がった。俺と課長は何事かと目を丸くしたが、黄梨は意に介さず、俺へ一言。


「青井君。洗面所ってどこにある?」


「え、えっとここ出てすぐ左」


「タオルとかって適当に使って大丈夫?」


「タオル? 洗面台の後ろの戸棚にあるからどれ使っても大丈夫だけど………」


「わかった」


俺の言葉通りに黄梨は奥へと消えていった。課長も不思議そうに眺めている。俺も小首を傾げたが、黄梨はすぐに戻ってきた。―――洗面器とタオルを数枚持って。


「さあ、始めよっか! 青井君、ちゃちゃっと脱いじゃって」


「ええええ!? ま、まさか!」


「何驚いてるの? 汗かいて気持ち悪いでしょ? 拭いてあげるから早く脱いで?」


「いやいやいや! だ、駄目でしょ!?」


「なんで、駄目なの? あっ、着替えは適当に持ってきちゃったよ? それに、ワイシャツに下スーツのままってどうして着替えなかったの? ―――赤城課長もいるのに」


「そ、それは……はしたないというか……」


珍しく課長が戸惑っている。いやいや。いいんです。俺なんて適当にあしらっていて下さい。服なんて何着てても一緒ですから。――――って、きゃー!!!


「わあぁー!!! き、黄梨!? ちょっ! ちょっと待って!!!」


「つべこべ言わず早く着替えようよ。このままだと治るものも治らないよ!?」


真剣な眼差しに俺は覚悟を決めた。


「わ、わかったから! 自分で脱ぐから脱がすのやめて!」


人の服なんて脱がしたこともなければ脱がしてもらったこともないのでこういう恋人同士のシチュエーションとかほんとに勘弁してほしい。そのあとは割愛させて頂く―――俺の自尊心の為に―――が、着替えをしたらすごくさっぱりした。終始、胸板とか触られた気もするけどどうにか耐えた!! 甘い香りとか、距離が近い事とか! 全部ひっくるめ俺は耐えに耐えまくった!


ただ不思議だったのは黄梨が俺の体をタオルで拭いてくれている間、赤城課長は一向にに喋らずずっと見つめてきていた。そ、そんなに見つめられると照れてしまう。人に自慢出来る体ではないので本当は見られたくなかった。敢えて言い訳させてもらうなら、彼女が出来るまでに筋トレとかして肉体改造しておこうとは思ってたんですよ? 決して手を抜いてたわけではなく。くそっ! もっと早くに着工しておけば良かった!!


「さっぱりした?」


「うん。気持ち悪かったからさ……黄梨ありがとう」


「ううん。お役に立てたなら良かった」


ドキリと心臓が跳ねた。本当に俺を心配した結果の行動と発言だと黄梨の表情を見ただけで伝わってくる。ほわっと微笑む黄梨の笑顔に癒されるだけでなく、胸が締め付けられるような――――。


「いっ! いふぁいれす! ふぁひょう! (いっ! 痛いです! 課長!)」


「……知らないわ」


頬っぺたを赤城課長につねられた。課長に涙目で非難の目を向けると課長は目を反らし唇を尖らせていた。放されて解放された頬っぺたを擦るが課長はそのあと結局目を合わせてはくれなかった。


終電も近いし男の家に泊まるなんて絶対駄目だと説き伏せ、黄梨には帰ってもらった。赤城課長は文句も言わず黄梨と帰っていったので苦労することもなかったけど、それがなんでか寂しかった。


「おはようございまーす!」


「あ、おはようー」


「おはようございます、青井先輩。もうお体大丈夫なんですか?」


「お前の仕事、有能なこの俺が代わりにしてやったぞ。ほら、感謝の言葉は?」


若干、一名。日毎にウザさが増しているがみんな心配してくれていたので、回復したことを伝え、いつも通り業務を行う。もう慣れたもので失敗も少なくなってきた。これも全部営業部の人と打ち解けた結果だよなーっと感傷に浸っていると、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。


社員食堂に行こうと誘われたが、やってしまいたいことがあったので、後から向かう旨を告げ、仕事を仕上げる。部署から誰も居なくなって一人黙々と作業していると10分足らずで仕上がった。ほんとに早くなったよなー。最後に伸びをして席をたとうとすると、声をかけられた。


「青井、もう体調はいいの?」


「あ、はい! お陰さまで寝たら治ってました! ありがとうございました!!」


「そう―――良かったわ」


普段眉間に皺を寄せて怒るかプライベートでも隙を見せない赤城課長が、眉をハの字にして笑った。それだけだったのに、どうしても俺の瞼に焼き付いて離れなかった。


「でも、体調管理には気をつかいなさい」


「はい、すみませんでした」


いつもの自信たっぷりな表現に戻り、さっきの笑みが偽物のように感じてしまったが、俺の脳内には色濃く残った。そのせいか―――、


「あれ? 青井君ご機嫌だね? 何か良いことあった?」


そめやん先輩に言い当てられたが、敢えて俺はこう答える。


「別に。何も?」

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