第43話 魅惑の唇
あの日―――赤城課長と初めて面と向かって会った日。こんなに美人でも振られるんだと軽くショックを受けた。課長の存在は入社してすぐに同期内でも広がった。すごく美人で仕事が出来て尚且つおっぱいがデカイ先輩がいると。うん。最後はいらないんだけど、男にとってそれはすごく重要で意味をそうするものなのだ。決して変態ではない。男なら気にしてしまうものなんだ!! 自然の摂理! じゃあしょうがないよね!
こほん。そんな感じで有名な課長のご尊顔なんて部署が違えば見ないもの。経理部と営業部では階も違うから余計に会わない。空想上の生き物扱いしていた人物が目の前に現れたらみんな何を思う? 俺だったらこんな美人って現実存在したんだと呆けてしまう。現に、雨と泥で汚れた課長を風邪を引くからと自宅に招き、シャワーを浴びてる間悶々としたものだ。
黄梨と別れあてもなく夜道を走っていたが、一向に課長は見つからない。降り始めた雨はどんどん強さを増していく。水気を吸い、重くなり動きにくくなったスーツは肌に纏わりついてとてつもなく不快だ。このまま外に居たら風邪を引いてしまう。2月の終わりに降る雨は冷気を帯びて寒さをより助長させる。
「寒い……風邪引きそう…」
じんわり汗をかいているのが雨と冷気で冷えて体を突き刺す。もう、帰ってしまおうか。帰って風呂入って温まって……。課長だってこんな雨の中外に居るわけない。左手につけている腕時計を見る。時刻は22時近く。黄梨と別れてかなり時間が経っている。外にいる可能性なんてゼロに近い。だけど……なんでだろうな? 諦めかけていたのに腕時計を見て確信してしまう。
課長はまだ―――外にいる気がする。
根拠なんてない。ないけれどそれだけは変な自信がある。ふと頭に過った光景が脳内に焦げ付いて離れない。最後に―――最後にあそこだけ行ってみよう。そこに居なかったら今日は大人しく帰って後日にでも誤解を解けばいいだろうと考えた。そうと決まれば吉日だと歩みを早める。小走りがだんだん大振りに。根拠もない。自信もない。―――なのに、そこにいるって確信している自分がいる。
やって来たのは初めて課長と会った公園。元カレに押されて水溜まりに倒れた課長を家に誘ったのがついこの前みたいに感じる。ゆっくりと歩を進めていると、探していた人がこちらに背を向けて立っていた。傘なんてささずに。なんて言葉をかけたらいいのかわからず戸惑う。だけど、意を決して話しかける。
「課長!」
俺の呼び掛けに驚いたのかその相手が振り向く。ああ、やっぱり課長だった。
「青井? どうしてここに?」
「課長、雨降ってるんで屋根があるところに移動しましょう」
俺が一歩踏み込むと課長は頭を振った。
「いいえ。私はここに居たいから……青井は帰りなさい」
「……じゃあ、俺も帰りません」
俺が断固として拒否すると課長が困った顔をしたが、何も言わず刻だけが静かに経っていく。雨は止むことなく降り注ぎ沈黙が辺りを包み込むのに……何故だろう? 全然寒くないしこの時間が辛くないと感じてしまうのは。そこであることに気が付く。そして納得してしまった。
―――好きな人と一緒に過ごしているからどんなに辛い環境下でも辛いと思わないんだ、と。
このまま沈黙が続いてしまうと課長が風邪を引いてしまう。と気が付いた俺は重い口を開いた。
「課長、どうしてあの時逃げたんですか?」
「……どうしてって」
「俺は課長に勘違いされて関われなくなるのは嫌です」
「で、でも黄梨さんと付き合っているのでしょう? き、キスするくらいなんだから……」
「付き合っていないですしキスは事故です」
「だけど黄梨さんは青井の事好きだし―――」
「――――課長。俺が好きなのは課長です。黄梨には付き合えないとはっきり断りました」
「え……そ、そんなの嘘よ!」
「嘘じゃないです」
「いいえ嘘に決まってるわ」
「なんで信じてくれないんですか」
「だって!! ―――だって、あんなに可愛くて青井の事を一番に考えている子なのよ? 私が幼稚くさいのは明白だわ」
言葉尻りが萎んでいくのは自信がないからなのか。課長がこんなに自信がないなんて見たことない俺は思わず笑ってしまった。それがムカついたのか課長は剥れながら苦言を言う。
「どうして笑うのかしら」
「だって課長が可愛いから」
「なっ!! 年上をからかうのはやめなさい!」
「からかってません。課長こそどうしたら俺があなたのことを好きって信じてもらえるんですか?」
詰め寄る俺は課長の腰に腕を回して引き寄せる。抵抗されるかな? と身構えたけど杞憂だった。課長は呆気なく俺の腕の中に収まる。お互いの体は冷えきっているが一つも寒くない。俺は安堵した。女の子の扱い方を黒部さんにレクチャーしてもらってて良かったと。役に立って良かったね! 黒部さん。
抱きしめていると課長の手が俺の背中に周り抱きしめ返してくれる。嬉しさがこみ上げてくるのと同時に愛おしさも沸き上がった。課長が上目遣いで俺を見つめる。色っぽくてクラクラする。課長の唇が艶めいていて目が離せない。釘付けになっているとその唇が言葉を紡ぐ。
「―――キスして証明して?」
魅惑的な提案は間髪入れずに遂行された。課長の唇は甘く全てを蕩けさせる魅惑の唇だった。
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