第45話 味噌汁うめー
トントントンそんなリズミカルな音が耳を擽る。意識が覚醒してくると寝ている時は呼吸をするだけの道具と化した鼻がちゃんと機能を果たし始める。鼻腔を擽るのは味噌のいい匂い。一人暮らしを始めてから朝食というものと縁がない生活を送ってきたせいかとても懐かしく感じる。
寝室からリビングへと進むとより匂いの濃さに思わず生唾を飲み込む。こんなに朝食を食べたいなんて学生振りだな。高校生の時はいつ何時だって腹が減ったものだ。台所でネギを切っていた課長がこちらに気付くと顔を上げ笑顔を向けてくる。まっぶし! 朝から目が潰れて見えなくなるところだった。
「あら、起きたの? ご飯すぐに用意するわね」
「おはようございます……。手伝いましょうか」
「よそうだけだから顔洗ってきたら?」
「そうですね。行ってきます」
顔を洗って戻ってくると美味しそうな食事がテーブルに並べられていた。課長の家のテーブルはガラステーブルでソファーに座って食べるスタイルだから必然的に隣同士になる。それになんだ。このテーブルのオシャレさ。ガラステーブルなんて実家にもないし俺の家なんてじいちゃんが使ってたちゃぶ台を拝借したやつだぞ!? こんなにオサレなもの使ったことない。オシャレじゃなくてオサレって言うところがポイントね。
ランチョンマットと箸置きとかも用意されててモテる女必須アイテムが詰め込まれたテーブルに俺ガクブル。凶悪やー。こんなん男を殺しにかかっておりますがな。どこの人だと内心ツッコミながら手を合わせ食べ始める。うっま! 玉子焼きふわっふわ! ご飯もふっくらしてるし、なにより――――。
「味噌汁うめー」
「口に合うかしら? 味つけ嫌なものあったら言って? 出来る限り直すから」
「え……あ、はい」
ズズッと味噌汁を飲む。……うまい。こんなにうまいのに直す必要なんてあるんだろうか? 玉子焼きも甘くて美味しいし……他のオカズも嫌いじゃない。直す所か母に見習ってもらいたいレベル。うちの母親は「玉子焼きが食べたい? はあ、しょうがないね。はい玉子焼き」って言って出てくるのは餡掛けチャーハンだ。え、何これ? って衝撃のあまり母に問いかけたら母は「え? 何文句あるのかい。あんたが朝ごはんに玉子焼き食べたいって言ったから全部詰め込んだんでしょ。ほら卵も入ってご飯、カマボコ、ネギ。餡掛けが味噌汁を表してるでしょ。文句言わず食べな!」って言われたときの俺の気持ちがお分かりになられるだろうか。
これじゃない感マジ半端なかったからな。確かにさ、一つ一つの具材は単品なら朝ごはんのオカズでしょうよ。でもそれを一つにまとめてなんて誰が言った!? 朝からチャーハンなんて食べたくないよ! しかも餡掛けが味噌汁の部分って無理にも程がある! あんた本当に神社の娘!? もっとおしとやかに育ってほしかったし何より花嫁修業をしてほしかった! 婿を取るからやらなくていいなんて横暴だ!
改めて課長の朝食を見るとやはり理想のご飯だと思う。味付けなんて各家庭の味付けなんだから俺の家に合わせる必要なんてない。ってか合わせてほしくない。母親の作るご飯は突拍子はないけど味はうまい。だけど発想を真似はしてほしくない。
「はい。青井口開けて?」
「は、はい。―――あむ。……美味しい」
隣同士ってこういう時いいよね。え? どういう時かって? ハハハッ。わかってるくせにー。食べさせ合いっこに決まってるじゃないか。って、てか俺自分の箸使ったの最初だけだったんですけど!? 課長! 俺自分で食べれます!
「ふぁ、ふぁひょー。もーひひれす。(か、課長ー。もういいです)」
「あ、ごめんなさい。つい」
つい!? あるよねー。わかるー。雛鳥みたいに俺が口開けてたんだろうね。親心だろうね。………ってアホか!
「私ったらダメね。どうしても気になってしまうの」
「何がですか?」
「―――こんな事言ったら青井を不快に思わせてしまうのだろうけど……」
「大丈夫です。言って下さい」
「……になるの」
「え?」
「気になるの。どうしても付き合った男性の好みの味付けが。幻滅されたくないって思い始めてからずっと続けてるの」
味付けを!? 課長が過去何人お付き合いされてきたのか知らないけど好みの味付けを何通りも!? プロかよっ! いやいや。俺は課長の本来慣れ親しんだ味付けでいいんだけど。
「料理だけじゃなく洋服とかメイクも気になっちゃって」
病気か! 好きな服好きなメイクでいいんですけど!? 確か紫村ってやつが自分色に染まってなんとかって言ってたのはこういうことか? いやいやいや。やり過ぎ。俺はありのままの課長のことが―――。あ、これ言わないとわからないやつだ。そう気が付いた俺は想いをちゃんと言葉にする。
「課長。昔の男達が課長に何を求めてきたのか知らないですけど俺は課長のことが……。―――ありのままの課長のことが好きですよ」
俺の言葉を理解するのに時間がかかったのかしばらくしてから課長の表情に変化が現れた。
「なっ! 何言ってるの! も、もうからかうのはやめて」
真っ赤になった顔はいつもピシッとしている課長には似つかわしくなくて新鮮で―――思わず抱き寄せてキスをしてしまった。抵抗なんてなく、どれだけ時間が過ぎたのかもわからず後で食事を再開した時には料理が冷めきっていたのはここだけの話し。……慌てて温め直したけどね。
食事を再開すると課長がもう一度尋ねてきた。
「本当にこのままの味付けで大丈夫?」
「だから大丈夫ですよ」
「本当に?」
「だから本当で――――……玉子焼き、だし巻きにしてもらうことってオッケーですか?」
「ほら、やっぱり好みがあるんじゃない」
クスクスと笑う課長に俺は頬を膨らませながらそっぽを向く。甘い玉子焼きも好きだけどオカズとして食べるのは違うんだよなー。塩気があるやつのが米に合う。という事で意見を言ったら見事に笑われた。
「もう拗ねないの。今度作ってあげるわ」
「本当ですか!? 楽しみだなー」
先程までの抵抗などなんのその。ウキウキが止まらない。俺、幸せだー。噛みしめながら食事を再開するのだった。
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