父と子・2

「何をしている」

 シノが予定よりも早く定例報告から戻ってきたのだ。幹部室に入るなり、資料をホークダインの手から引ったくると、元の棚に押し込んでしまった。

「ここにを入れるな」

 シノの言葉は、ジェラベルドの心を切りつけるように冷たかった。

「確かに、いまの俺は部外者だが、六年前は違ったはずだ」

 弁解しようとするホークダインを遮り、ジェラベルドは低い声で言い返した。

「なぜ、本当の事故原因を教えてくれなかった。ソーラスとベルルのことだ」

「そうだったか? 言い間違えたのなら、謝ろう」

 軽く話を流そうとするシノの態度が、ジェラベルドには不可解でならなかった。

「ソーラスが亡くなる前、お前に手紙を書かなかったか?」

 ようやくシノはジェラベルドと目を合わせた。二十年前、初めての手合わせの後、ジェラベルドに向けたのと同じ、疎ましげな目をして。

「あれは事故だ。いまさら余計な詮索をするな。ホークダイン、をお見送りしろ」

 ジェラベルドが胸の中で渦巻く感情を言葉に変える前に、シノは部屋を出て行く。その背中は、どこか逃げているようにも見えた。

「申し訳ありません」

 なぜかホークダインが謝った。

「ですが、シノ団長を責めないでさしあげてください。団長はいま、非常に難しいお立場に立たされているのです」

「どういう意味だ」

「お父上のフィングレイ卿がご病気なのはご存じでしょう。噂では、もう大臣としてのお務めに復帰なさることはできないだろうと言われています。それに……」

 ホークダインは遠慮がちに表情を曇らせながら続けた。

「ジェラベルド、あなたは庶民出身の英雄として、サナティア市民から特に慕われていました。我々赤竜討伐団が、多くの貴族たちから疎まれながらも重用されてきたのは、団員みんなの働きのみならず、シノ団長のご身分とあなたの人気によるところも大きかったのです。……その両方を失った赤竜討伐団を、団長はこれからも守っていかなければならないのです。もちろん、僕も精一杯団長をお支えするつもりですが、あなたには到底……」

「貴族だから無理、か?」

 ようやくホークダインは言葉が過ぎたことを悟ったらしかった。シノを擁護しているようでいて、結局は弱音を吐いているだけだ。「申し訳ありません」と、またも謝る。

「いや、お前の言いたいことは分かる。……そのうち酒でも飲もう」

 ジェラベルドはホークダインに別れを告げ、営舎を後にした。

 ハーン邸に戻った後、ジェラベルドはひとり自室に戻って『現代治政における魔法の応用』を開いた。上巻の初めに載っている解錠魔法ではなく、下巻後半のページだ。章題は「結界魔法」。

 ソーラスが示した学びの順序を無視して開いた頁には、まだ意味を知らない言葉や図式がたくさん並んでいる。それは剣の握り方も知らないで、赤竜と戦おうとする無謀さに似ていた。読めない古代ヨハ文字も多かった。

 読めそうで読めない文章に、ジェラベルドは頭を掻きむしった。報告書を読めぬ無学ゆえに、親友の死の真相から遠ざけられたのだと思うと余計苛立ちが募る。

 結局「夕餉時」まで粘ったものの、ジェラベルドには「結界魔法は、魔法陣に少しの乱れもあってはならない」というホークダインに聞いた通りの一文がかろうじて理解できただけだった。

 ジェラベルドは、シノに対して腹を立てまいと努めた。ホークダインが言ったように、赤竜討伐団にとってフィングレイ卿の威光は大きかったし、ジェラベルドがあえて英雄と呼ばれることを拒まなかったのは、庶民からの人気を得るためだったことも認めざるを得ない。今後、討伐団を快く思わない貴族連中からの風当たりは強くなるだろう。シノがことさらジェラベルドを部外者扱いしたのは、もう相棒には頼らない――頼るわけにはいかない、そういう意思の表れなのかもしれない。

 それでも、シノの態度はやはり不審だった。落石事故と言ったのは単なる言い間違いで、原因はどうあれ事故は事故だと言い張るのはシノらしくない反応だった。いつものシノなら、ジェラベルドが納得するまで筋道立てて説明してくれるはずだ。

 シノは、何かを隠している。

 もしジェラベルドの勘が当たっているとしたら、つまりはシノも嘘が下手なのだ。

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