言い訳・4
ソフィシアの攻撃が止んだのは、「夕餉時」の鐘が鳴り響いたときだ。同時に彼女のお腹からも、空腹を訴える大きな音が鳴った。
「飯にしよう。……それと、その格好では、夜はまだ寒いと思う」
決まり悪そうな顔をしてベッドに戻ったソフィシアを、ジェラベルドは笑わなかった。昼に食べたものを吐いてしまったのだから、腹が減って当然だ。何より、笑うとまた叩かれそうな気がした。
再び台所に立ち、種火の残ったかまどに火を入れる。温め直したスープは昨日作った残りだ。屑のような野菜と鶏肉のかけらが浮いているだけの粗末な料理に、ソフィシアは初め怪訝な顔をしたが、わずかなひとさじ目を舐めた後は黙ってふたさじ目をすくった。毒が入っているとでも思ったのだろうか。
「旨いか?」
「全然」
当然だ。目分量で適当に味付けした雑な料理だ。塩が足りないのか、かなり味が薄かった。こんなものを旨いと言うのはたぶんシノくらいだ。
「……あなたは、自分で料理をするのね」
少しは心を開いたのか、それとも単に所在なさのせいか、ソフィシアがぽつりと話し始めた。
「庶民だからな」
「貴族は料理なんてしないわ。ヴォルフィスと結婚すれば、一生その必要もなかった。……幼馴染だったの」
ソフィシアは亡くなった恋人のことを、愛おしげに語り始めた。
ヴォルフィスとソフィシアは結婚の機会を逃し続けていた。ヴォルフィスが近衛兵団に入って、長い間隣国の紛争に派遣されていたからだ。春に一時帰国したとき「次に帰ったら正式に求婚する」とヴォルフィスは誓ったが、その約束が果たされることはなかった。
毎日泣いている娘を慰めようと、アルビアン卿は新しい結婚相手を見つけようと考え――そして、ジェラベルドが選ばれた。
「とんだ見当違いだわ。よりによって、赤竜討伐団の男なんて」
「まったくだ」
ジェラベルドは苦笑した。
「でも、御父上も、よほどあんたが心配だったんだと思う」
その親心を思うと申し訳なかった。彼は愛娘とジェラベルドとが意気投合したと思い込んでいるのに、(何らかの理由で)結婚は白紙になる(はずだ)し、しかも娘はお腹に亡き恋人の子を宿しているのだ。
「余計なお世話だとは思うが……その子は、どうするんだ」
「同情は結構よ、竜殺しさん」
ソフィシアは皮肉な調子を取り戻して言った。
「愛した人が遺してくれた子ですもの。親に反対されても産むし、ひとりででも育ててみせるわ」
「そうか。頑張れ」
とげとげしい返事に、ジェラベルドはかえって安心した。二人分の食器を片付けていると、その背中に「あなたは?」とソフィシアが声をかけてきた。
「あなたはどうして結婚していないの? 赤竜討伐団の英雄なら、いくらでも相手がいるでしょうに」
私は嫌いだけど、とソフィシアは忘れず付け足す。
「それほどでもない」
嘘をついた。女なら次々に寄って来る。一晩だけでも、というのさえいる。相手にするかどうかはそのときの気分次第だった。
「いたとしても、俺じゃなくて赤竜討伐団の英雄と結婚したいだけだ」
「ちゃんとあなたのことを好きな人とじゃなきゃ、結婚したくないの?」
「いや、俺は……」
真っ先に、シノの顔が浮かんだ。
昔のように身を焦がすほどの熱はなくとも、シノへの思いがまだ消えていないのだ。ひどく未練がましく、みっともないことだが、こんな状態で別の女性と結婚する気にはなれない。
ジェラベルドは答えあぐねて、意味なく窓の外を見た。
すでに夕日は沈み、半月が薄青い闇を連れて上っていた。これから満ちていくのか、それとも欠けて見えなくなるのか、いつの日か父が教えてくれたはずだが、大人になったジェラベルドにはもう思い出せなかった。
「……俺はまだ、赤竜討伐団の仕事で手一杯だ。結婚を考える余裕はない」
嘘ではないが、言い訳だった。ソフィシアに対してではなく、自分自身に対しての。
「それじゃあ大切なお仕事のために、どうにか私との結婚を断ってちょうだい」
「もちろんだ。何か名案があったら教えてくれ」
その答えを聞いたソフィシアが笑った。振り返ると、確かに彼女の口元から白い歯がこぼれていた。
「……どうした?」
「だって、名案も何も……」
ジェラベルドはやっと気づいた。正直に全部話せばいいだけなのだ。
アルビアン卿、あなたのお嬢さんはどうやらほかの男の子どもを孕んでいるようです。だから妻に迎えることはできません、と。
「そんなことは、できない」
ジェラベルドはきっぱりと言った。いくら結婚を断るためでも、ソフィシアの立場を悪くしたくはない。
「あなたって、本当に馬鹿ね」
ソフィシアは突然我に返ったようにベッドに潜り込み、ジェラベルドに背を向けてせっかくの笑顔を隠した。もう彼女は何も喋らず、そのうち穏やかな寝息を立て始めた。
一つしかないベッドは占拠されてしまった。ジェラベルドは深い深いため息をついて、硬い床に転がった。脱ぎ捨てたままの服やぼろ布を丸めて枕代わりにする。そのまま眠ってしまえるほどに、疲れる一日だった。
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