宿題・2

 雄弁魔法の力を借りて、ジェラベルドはひとりでラウラの寝室へ向かった。ドアをノックして名前を呼んでも返事をしてくれないので、「入るぞ」と断って部屋に入る。

「ラウラ、お腹は空いてないか?」

「すいてない」

「もういい加減に出て来てくれないか」

「おとーさんが、とーばつだんをやめるのをやめたらでていく」

 返事はこんもり膨らんだ掛布団の内側から聞こえた。ラウラは顔すら見せてくれようとはしない。

 強引に布団を剥ぐのは、さすがに乱暴すぎる。ジェラベルドはベッドのへりに腰を下ろして、努めて優しい声で語りかけた。

「何でお父さんが、討伐団を辞めたらいけないんだ?」

「だって、おとーさんがやめたら、せきりゅーがあばれて、サナティアのみんなをこまらせるんでしょ」

「俺が辞めても、討伐団にはシノがいる。仲間たちもたくさんいる。だから、サナティアは大丈夫だ」

「……それならどうして、すぐにやめなかったの? さっさとやめればよかったじゃない」

 さっきまで辞めるなと言っていたのに、今度は真逆のことを言い出した。質問の意図を汲みかねた父親に、ラウラは続ける。

「おかーさんがしんじゃってから、ラウラはずっとひとりだったんだよ。おとーさんがおしごとのあいだ、ラウラはシノちゃんちや、おじーちゃんちで、いろんなひとがいっしょにあそんでくれたり、おべんきょーをおしえてくれたりしたけど、でも、ラウラはおとーさんがよかった」

 ジェラベルドが討伐団の仕事に行っている間、ラウラの面倒はシノの家や実家の親きょうだいたちが見てくれていた。北方へ生態調査に出て、何日も帰れないこともたびたびあった。そんなとき大人たちは、みなこう言ってラウラを慰めた――「お父さんは、王都を守る英雄なんだよ。とても大事なお仕事をしているんだ。寂しいだろうけど、我慢していい子にしていてね」と。

 どうやら「英雄」というのは、とても立派で偉い人のことらしい。父親が英雄と呼ばれることを、ラウラも誇らしく思った。そう思うことで、父親に会えない寂しさを紛らわせていたのだ。

「だから、ラウラはいいこにしてたのに。べつにおとーさんがやめてもだいじょーぶなら、すぐにやめちゃえばよかったじゃない。そしたら、そんなふうに、ひどいおけがをしなくてすんだのに。おとーさんまでしんじゃったらどうしようって、ラウラもしんぱいしなくてすんだのに……」

 布団の中から、すすり泣く声が聞こえた。

 ようやくジェラベルドにもラウラの気持ちが分かった。本当は父親には早く赤竜討伐団を辞めて傍にいてほしかったのに、ずっと我慢していたから、いまさらそれを受け入れられないでいるのだ。

 ラウラの言葉は、ジェラベルドを深く考え込ませた。自分は剣で身を立て、英雄と称えられていっぱしの成功者のつもりでいた。しかしその陰で、たったひとりの娘が寂しがっていることにまで思い至らなかった。

 もちろん自分が赤竜討伐団に入っていなければ、いまごろ親きょうだいもろとも路頭に迷っていたに違いない。ソフィシアに出会うこともなく、ラウラの父親になることもなかった。だからこそ考えてしまう。自分が切り拓いてきた運命とは何だったのか。

「ラウラ、……」

 何か言わねばと思ったその時、急に頭が真っ白になった。

 どうやら雄弁魔法の効果が切れたらしい。口から言葉が出てこないだけでなく、思考もままならず動けなくなった。強い薬と同じように、魔法にも副作用があるのだろうか? だがそれ以前に、娘と仲直りするのに魔法の力を借りること自体が情けなくはないか。

 しばらく呆けたように座っていると、布団の中からとげとげしい声がした。

「おとーさんのばか。はやくでていってよ」

 ジェラベルドは従うしかなかった。

「すまん……」

 何について謝ったのか、自分でもよく分からなかった。

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