師匠と弟子・2

 朝食を終えると、今度はトートの剣の稽古だ。

 トートは本当に吸収が速い。すでに四十七種類もある基本の型を完璧に覚えている。ジェラベルドが初心者だった頃は、半年くらいかかったような気がする。剣を魔道士の細杖から子ども用の木剣に持ち替えても、トートの剣さばきが鈍ることはなかった。細い身体つきに似合わず体力もあるし俊敏だ。剣才はあると思う。

 ただ惜しむらくは、魔道士のトートにとって剣は単なる趣味以上のものではないということだ。にこにこしながら踊るように木剣を振るうトートを見て、ジェラベルドは顔をしかめた。

「駄目だ」

 トートが剣を止めて師匠を見上げた。

「どこか所作が間違っていたでしょうか?」

「動きは合っている。が……」

 ジェラベルドはしっくりくる言葉を探してしばし止まった。

「……心持ちが、間違っている。剣は、笑いながら振るうものじゃない」

「すみません」

 トートは素直に謝った。

「ひと通りの型ができるようになったのが嬉しくて、つい」

「その気持ちは分かるが、剣は遊びじゃない。戦う手段で、生き方そのものだ」

 トートは目をぱちぱちさせた。ジェラベルドは説明を補わなかった。長年剣を振るい続けてきた実感から出た言葉だ。たとえ大陸一の文筆家を連れてきても、言葉で説明できるとは思わなかった。

「……少なくとも、俺にとっては、そうだ。お前にとっては違ってもいい。それでも、弟子を取った以上、俺には剣士を育てる義務がある」

「はい」

 説教臭くなってしまうのは中年の悪いところだ。ジェラベルドは反省したが、トートはむしろ嬉しそうだった。

「初めから、もう一度やってみろ。間違えずにできたら、明日はまた新しいことを教える」

「はい!」

 目を輝かせる幼い弟子を見ると、ひそかに気が咎めた。

 トートが自分に父親の影を求めているのは、ジェラベルドにも分かっていた。しかし彼はソーラスの息子なのだ。自分は剣の師匠で魔法の弟子、そして亡き父親の友人だ。それ以上に近づくべきではない。

 トートの寂しさは理解しているつもりだ。力になってやりたいとも思う。それでもジェラベルドは、亡き親友に取って代わるつもりはなかった。それはジェラベルドにとってもトートにとっても、ソーラスの存在を遠い過去に追いやってしまうことのように思えた。

 トートは、四十七種の型を完璧にこなしていた。


***


 シノは時々ハーン邸に泊まりに来た。ラウラが「シノちゃんにあえないの、いやー!」とうるさいからだ。シノが来るのはたいてい次の日が非番の夜だが、何の予告もなくやって来る日もある。

 その日も、シノは突然夕食の後に姿を現した。その前に来たのは、ほんの三日前だった。

「来たぞ」

 なぜ来たかなどと、いちいちシノは言わない。上流貴族というのは、予告なしに訪問したりされたりするのに慣れ切っているものなのだ。

 シノが現れると、ハーン家の料理番は手早く晩酌の用意をする。当主はまだ子どもなのに、酒蔵には世界各地から取り寄せた高級酒がしっかり揃っていた。シノがいつ来てもいいように、ベッドと寝間着も毎日用意されている。

「シノちゃーん! いらっしゃーい!」

 ラウラはもちろん大喜びだ。父親そっちのけでシノに駆け寄り、前に会った日より後の出来事を次々と話す。シノはこれを「定例報告」と呼んでいた。サナティア各地に駐在する赤竜討伐団員が月に一度サナティア城に集まり、赤竜の目撃情報や交戦記録を団長へ報告するのと同じだ。

 まとまりのないラウラの話に耳を傾けるシノの眼差しはいつも優しい。討伐団では絶対に見せない顔だ。娘を取られるのは寂しいが、こんなシノの表情を見られるなら悪くはないとジェラベルドは思う。

「シノだんちょー! ほんじつの『てーれーほーこく』です!」

「よし、聞こうか」

 シノがグラスに葡萄酒を注ぐ。

「きょう、おとーさんが、けんじゅつのあさげいこをしました!」

「ほう?」

 シノがジェラベルドに明るい顔を向けた。

「傷はもういいのか、ジェラベルド?」

「うむ、まだ少し痛むが、無理をしなければ大丈夫だ」

 ジェラベルドも、今日は久しぶりに酒を飲むことにした。高価な酒よりも、飲み慣れた麦酒がいい。シノと街の安い食堂で飲む酒はたいてい麦酒と決まっていた。味とか香りとか、細かい酒の良し悪しは知らない。ただ喉を通る瞬間の爽快さが好きなのだ。

「そういえば、おとーさん、とーばつだんをやめたのに、あさげいこはやめないんだね?」

 ラウラのグラスには酒の代わりに、しぼりたての林檎ジュースが注がれている。

「どうして? もうせきりゅーとはたたかわないんでしょ?」

「そうだな……」

 娘の疑問に、ジェラベルドは少し考え込んだ。

「お父さんは、剣術が好きなんだ」

 簡単な言葉を選んだ。「剣は生き方そのものだ」などと言っても、ラウラには通じないだろう。

「ラウラも、強いお父さんが好きだろう?」

 シノが助け舟を出してくれた。ラウラは「だいすきー!」と小さな両手を伸ばして、ジェラベルドの大きな両手と押し合った。声を立てて笑い合った後で、ふとトートに目が行く。彼はいつもラウラの隣で笑顔を絶やさない。けれども三人の会話には、自分から割って入ろうとはしなかった。

「ラウラ、トートにも、たくさん遊んでもらったろう?」

 ジェラベルドは話題を変えた。

「うん! こないだは、いっしょにかずをあてるゲームをしたんだよ! ねー、トート」

 トートは「一緒に遊ぶ」と言いながら、さり気なくラウラに勉強を教えてくれている。トートと遊んでいるうちに、ラウラは簡単な足し算と引き算ができるようになっていた。これも、トートに無償で与えられているもののひとつだ。

 教わっているのは計算だけではない。ジェラベルドとトートが剣や魔法を教え合っている間、ラウラは文字の練習にも励んでいる。きっとそう遠くないうちに、ジェラベルドよりもたくさんの文字を読み書きできるようになるだろう。

「ラウラちゃんはすごく賢いんですよ」

 ようやくトートが輪の中に入ってきた。

「ねえラウラちゃん、二足す七は?」

「九!」

「あたり。じゃあ八引く五は?」

「三!」

「偉いぞ、ラウラ」

 シノに褒められて、ラウラはすっかり有頂天だ。

「トートのおかげだな」

 ジェラベルドが付け足すと、トートは「いえ……」と首を振った。彼は笑顔を保ち続けたまま、しかしその後の会話にはもう参加しなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る