師匠と弟子・3

 ソーラスが遺した広いベッドを恨むべきか、感謝すべきか。

 ラウラは当然のごとく「シノちゃんもいっしょにねよー!」と主張する。シノは「ベッドも広いし、構わないぞ」とあっさり承諾し、ジェラベルドやラウラと同じ床に就くことになった。

 ちなみに、ラウラはトートを誘わない。その理由は、「おとこのことねるのは、ちょっとはずかしいんだもん」である。

 それを言うなら「お父さんだって、ちょっとはずかしいんだもん」と言いたいところなのだが、ジェラベルドに異を唱える選択肢はなかった。シノがいいと言った以上は断るほうが恥ずかしい。女として意識していると言っているようなものだ。

 反面、良いこともある。ラウラは必ず真っ先に寝る。その後で二人はベッドに腰かけたまま、眠くなるまで話し込んだ。赤竜討伐団を辞めても、シノと二人きりで話せる時間が持てるのは嬉しかった。

 シノの話は、主に赤竜討伐団の近況だ。ジェラベルドの引退は団員たちに少なからず衝撃を与えたらしいこと、代わって副団長に就任したホークダインがよく頑張っていること、最近は赤竜がサナティア北東部で度々目撃されること、等々。ジェラベルドは、ほとんど黙って聞く。

 討伐団を辞めてさほどの日数が経ったわけでもないのに、ジェラベルドにとってはすべてが遠い世界の話のように聞こえた。もちろん古巣の近況は大いに気になるが、すでに引退した身だ。討伐団の中で何が起ころうと、自分の生活には何ら影響がないように思えたし、実際にそうなのだろう。討伐団の生活はもう開かない窓の向こう側にあり、シノはいまでもそこにいる。そのことにジェラベルドは寂しさを感じ、同時に安堵もするのだった。

 ただ、シノが本当に話したいことは、おそらく別のことだ。

「シノ、明日は非番なのか?」

 討伐団の話題がなくなると、ジェラベルドは尋ねた。この問いには意味はない。シノの話を促しさえすれば何でもいいのだ。

「いや、むしろ早番だが。……避難してきたのだよ。ヘルデラルメからな」

「『姫様』か」

 ジェラベルドにとっては、口にするのも畏れ多いほど高貴な名前だ。

 シノには六歳年下の弟ロアンがいる。その妻ヘルデラルメは現国王の末娘で、現近衛兵団長ガエルディオン第三王子の妹でもある。フィングレイ家に降嫁してきたこの姫君は、たいそう気難しいお方なのだそうだ。

 ジェラベルドはロアンに直接会ったことはないから、彼のことはシノから聞いた話でしか知らない。ロアンは(シノほどではないだろうが)優れた剣士で、近衛兵団では百人を率いる隊長のひとりだ。ただし(シノと違って)、ロアンは優柔不断なところがある。王女を娶って出世栄達の道を開いたはいいものの、妻のご機嫌伺いに苦心する毎日らしい。

「それで、お怒りの種は何だ」

「種などない。強いて言えば、私の存在自体が苛立たしいのだ。行かず後家の義姉あねが、次期当主のロアンよりも偉そうにしているのが気に食わないのだろう」

「姫様は、誤解なさっているんだな。お前は家のことに口出しなどせんだろう」

「私が普通に生きているだけで、偉そうに見えるのだ」

 ジェラベルドには意味を図りかねた。シノは薄く笑った後で、表情を暗くした。

「……このところ、父の体調が良くない」

「フィングレイ卿が?」

 これが、シノが本当に話したかったことなのだろう。

 ジェラベルドは、執事のふりをしてシノとの結婚話を持ち込んできた紳士の姿を思い浮かべた。もう二十年近く前の話だ。その後は王城に出向いたときにすれ違うと軽く挨拶をする程度だった。本来なら、直接言葉を交わすことなど有り得ないほど高貴なお方なのだ。――その娘であるシノも。

 フィングレイ卿はこのところ胸の痛みを訴え、大臣の職務も休みがちだという。卿にもしものことがあれば、ロアンが当主を継ぐことになる。その日に備えて心構えをしておくべきだと、ヘルデラルメは夕食の席でロアンに説教をし始めた。苦笑するばかりの夫に妻はだんだん腹を立て、やがてその怒りはシノにまで飛び火した――いわく、「貴女が討伐団なんて男のような真似をしているから、ロアンがしっかりしないのです」と。

「それは違う、ロアンが情けないのは生まれつきだと言ってやったらますます怒った」

 シノは鼻で笑う。

「……フィングレイ卿は、大丈夫なのか?」

「父も年だからな。悪い病気かもしれない。今日明日でどうにかなるわけではないだろうが……」

 ラウラの頭を撫でながらシノは言った。そのすべらかな金髪に触れていると、いくらか心のざわめきが落ち着くことをジェラベルドは知っている。

「トートには感謝しなければな。ここはいい避難所だ」

「そう思うなら、少しはトートに気を遣ってやってくれ」

 シノは心外そうな顔をした。

「酒瓶を空けすぎか?」

「そういう意味じゃないが……」

 言葉を探しに行って、そのまま迷子になった。要するに、トートが話の輪に入りやすいように気を配れ、と言いたいのだが、それでは魔法の師たるトートに対して礼儀を欠いた言い方になってしまう。

「私はそろそろ寝る。長話を聞かせて悪かったな」

「いや……」

 ジェラベルドはシノに慰めの言葉ひとつかけられなかったことに気づいた。シノは「きっと良くなる」などという根拠のない気休めを求めはしない。――まして男の体温など、何の役にも立つまい。

 ラウラがころりとシノの胸元に寝返りを打った。いまシノに寄り添えるのはラウラだけだ。ジェラベルドは言葉の代わりに、傷の癒えてきた右腕を差し伸べたい衝動に耐えなければならなかった。

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