過去・4 重ね名
重ね名・1
過去・4 重ね名
夏の日差しが和らぎ、収穫を控えた人参畑に乾いた風が通り過ぎる頃、ジェラベルドは自分の実家でソフィシアとの結婚式を挙げた。
ジェラベルドの弟、大工のライゼリアンが机や椅子を、雑貨屋で下働きをしているモルディガンがたくさんの食器を用立ててくれて、休耕中の畑に急造の結婚式場ができあがった。
ソフィシアの両親はもちろん、シノやソーラスも招待に応じてくれた。家族や友人の前でソフィシアの前に跪いてみせるのは気恥ずかしかったが、みなが祝福してくれるのは素直に嬉しかった。
ソフィシアの事情は、みな了承済だ。すでにお腹の大きな花嫁のために、仕立屋の長兄オーブリングと六人の妹たちが協力して白いドレスを縫ってくれた。
花嫁が結婚する前に妊娠していることは、シヴァークなら特に後ろ指を差されることではない。シヴァークの庶民たちは貴族とは違う。結婚前に恋人同士が交わるのは当然のことだし、先に子どもができることくらいあるだろうと気にも止めない。それどころか、恋人を亡くした苦労を思いやって涙を流してくれさえする。
その大らかで奔放な空気が、ソフィシアの気分をやわらげてくれたらしい。輪になって陽気に歌い踊るきょうだいたち(とソーラス)の姿を眺めて楽しそうに笑う新妻の姿を見て、ジェラベルドも安心した。
「きょうだいの名前は全員覚えなくていい。正直、俺ですら怪しいくらいだ」
ジェラベルドはソフィシアに耳打ちした。これも、シヴァークでは特に珍しくもないことだ。ヴェスティオ人は名前が長い。きょうだいが多いと、いちいち本名まで覚えていられないものだ。
「名前を覚えていないと、不便じゃないの?」
「とりあえず覚えている名前を全部呼べば、用のあるやつが来るだろう」
「来なかったら?」
「『いま呼ばれてないやつ』と呼ぶ」
ソフィシアが笑うと、ジェラベルドも嬉しかった。シノとソーラスが駆け寄ってきた。
「おめでとう、ソフィシア。お前は良い相手を選んだな」
葡萄酒の瓶を片手に、シノが祝福の言葉をくれた。今日は赤竜討伐団の制服だ。ドレスを着ると目立ち過ぎることを学習したのだろうか。
「別に、私が選んだわけじゃないわ」
ソフィシアが笑顔を引きつらせて後ずさる。どうやら彼女にとってシノは天敵らしい。「そうか?」とわざとらしく眉を上げるシノに、ジェラベルドは言った。
「俺が選んだんだ」
「ひゃーっ! 言うねえ、ジェラビー!」
すかさずソーラスが歓声を上げ、怒ったソフィシアに背中を強く叩かれた。かなり痛かった。つい口を滑らせるほど浮かれている自分に気づいて、ジェラベルドは赤くなった。
「ねえ二人とも、子どもは男の子と女の子、どちらがいい?」
「元気なら、どちらでもいい」
ソーラスの問いに、ジェラベルドは実に月並みな答えを返した。
「女の子がいいわ」一方でソフィシアは言明する。「一緒にお料理を勉強できるもの」
「私みたいな娘が生まれなければな。――そうだ、ソフィシア。いいことを教えてやろう」
シノがソフィシアに何かを耳打ちした。手の中の瓶はすでに空っぽだ。ソフィシアは酒臭い吐息に顔をしかめている。
「……それが私の『重ね名』だ。女の子が生まれたら、つけてもいいぞ」
「嫌だわ、あなたの名前なんか」
シノはにやにや笑いながら、新しい酒瓶を求めに行った。
「あいつにも重ね名があったのか」
「あるに決まってるでしょう? ヴェスティオに生まれた女なんだから」
ソフィシアは当然のように言うが、ジェラベルドはそのことを完全に忘れていたのだ。
「シノの重ね名、知りたい?」
新妻の青い目が音を立ててこちらへ向いた気がした。試されているな、とジェラベルドは察した。
「いまさらどうでもいい。シノはシノだ」
その返事は、半分くらい嘘だったのだが。
「あら、そう」
ソフィシアは満足げに視線を逸らす。どうやら答えを間違わずにすんだらしい。
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