言い訳・3
気絶した女性から服を脱がせるのは気が引けたが、
ジェラベルドがドレスを壁に吊るして干したとき、背後から悲鳴が聞こえた。ベッドに寝かせていたソフィシアが目を覚ましたのだ。
叫びたくなる気持ちは分かる。「汚らわしい竜殺し」の前で意識を失い、目を覚ましたらその男の部屋に連れ込まれ、しかもなぜかドレスを脱がされているのだから。けだもの、とか人でなし、とか、とにかく罵詈雑言の限りを喚き散らしている。
「落ち着いてくれ。あんたの服を、洗っただけだ」
新調したての制服に吐かれた俺の身にもなってくれ――その言葉は飲み込んで、ジェラベルドはソフィシアに背を向けて屈んだまま制服を金盥に放り込んだ。苦さと酸っぱさが交じり合うしつこい胃酸の臭いに、密かに顔をしかめる。
「……だからって、こんな汚いところに連れて来るなんて」
ソフィシアが張り詰めた声で言った。自分がジェラベルドの部屋にいる経緯は飲み込めたようだが、それでも彼女は謝罪も感謝も口にしなかった。
「そうだな。汚い部屋だ。『シヴァークの貧乏百姓』の部屋だからな」
皮肉のつもりで、ソフィシアの言葉を引いたのではない。何と切り出せばいいのか分からなかっただけだ。
「貧乏百姓は、きょうだいが多い。俺は、十人きょうだいの二番目だ。弟と妹が、合わせて八人もいる。一番下の妹とは、十五も年が離れている」
「それがどうしたっていうの」
ジェラベルドはびしょ濡れの制服を絞った。溢れ出る水の音がやむのを待って立ち上がり、ソフィシアのドレスの横に吊るす。
「……母親が、あんたと同じように具合を悪くしているのを、俺は何度も見たことがある」
ソフィシアが急に具合を悪くしたのは、ケーキの甘い匂いを嗅いだときだ。その様子に、ジェラベルドはもしやと思った。母も「食べ物の匂いが気持ち悪い」とよく言っていた。すると近々そのお腹が膨らんできて、弟か妹が増えると分かるのだ。
アルビアン卿はこのことをまだ知らないのだろう。知っていたら、娘にお見合いなどさせるはずがない。あの場で両親とミルブライト夫妻に妊娠が発覚してしまっていいとは思えなかった。だからジェラベルドは、口実を作ってソフィシアを自分の家へ連れて来たのだ――どんな口実だったかは、言わないでおいた。
ソフィシアからの答えはなかった。
ジェラベルドは狭い台所に立った。程よく温まった湯をカップに注ぎ、暗緑色の粉末を入れてかき混ぜる。ようやくソフィシアのほうへ向き直ったとき、そこに傲慢な令嬢の姿はなく、不安げに佇む女がいるだけだった。
「飲むといい。友人の魔道士が調合した薬だ。子どもに障るようなものは、入っていないと思う」
ソフィシアは受け取ろうとしなかった。ジェラベルドは小さく息を吐いて、カップをサイドテーブルの上に置いた。ベッドの傍らに腰を下ろし、ソフィシアの顔を覗き込む。
「俺に結婚を断らせるために、わざとあんなひどいことを言ったのか?」
「違うわ」
ソフィシアは震えながらも、ジェラベルドを睨み返した。
「私は本当に赤竜討伐団が嫌いなの。卑しい輩の寄せ集めが、たまに来る竜を退治するだけで英雄を気取っているのが許せない。本当に称賛されるべきは、よその国の戦争に送られた近衛兵たちよ。王のご命令で戦っているのはどちらも同じ。でも彼らは無名のまま死んで、故郷に帰ることすらできない」
「……その子の父親は、もう亡くなっているのか」
返答の代わりに、ソフィシアの頬に涙が伝った。
「そうか……」
ジェラベルドには、ほかに言える言葉がなかった。
ソフィシアが赤竜討伐団を侮辱するのは、近衛兵団の恋人を失った嘆きの裏返しなのだ。もう腹を立てる気も起こらず、むしろ悲しみが癒えぬままに他の男に引き合わされた彼女を気の毒に思う。
「分かったでしょう。あなたには、私と結婚するかどうか選ぶ権利なんて、初めからないのよ」
ソフィシアはベッドを出た。ビスチェとパニエだけの姿で、「帰るわ」と言い出す。
「待て。まだドレスが乾いていない」
「すぐ馬車に乗れば人目にはつかないわ。両親を呼んでちょうだい。ミルブライトさんのお屋敷にいるんでしょ?」
「それが……」
ジェラベルドは言いよどんだ。
「ご両親は、先ほど馬車でお帰りになった」
「帰った? 私を置いて?」
ソフィシアが眉をひそめた。
「どういうこと? あなた、うちの親に何と言って私をここに連れて来たのよ?」
「う、うむ……」
ジェラベルドはついに白状しなくてはならなくなった。思わず目が泳ぐ。
あのときミルブライト邸の庭で、ジェラベルドは大いに焦っていた。
ソフィシアが両親の前で嘔吐する前に立ち去らなくては、医者を呼ばれてしまう。ちょうど気を失った彼女と抱き合っている格好になっていたジェラベルドは、ついこう言ってしまったのだ。
「『ソフィシアさんとはお互いすごく気が合うようなので、今すぐうちに連れて帰りたい』と……」
ジェラベルドの情熱的かつ非常識な申し出を、アルビアン夫妻はむしろ喜び、明日の昼に迎えに来ると言ってさっさと馬車に乗って帰ってしまった。
「はああ⁉」
ソフィシアが絶叫した。
「そんなの、もう結婚しますと言っているようなものじゃない!」
「すまん……ほかに何も思いつかなかったんだ……」
「あなた馬鹿じゃないの⁉」
ソフィシアは髪を振り乱しながら、平手でびしばし叩いてくる。ついさっきまで泣いていたのが嘘のようだ。ジェラベルドは叩かれるままにしていた。弁解の余地はない。自分でも本当に馬鹿だと思う。
「私は! 絶対に! あなたなんかと結婚しませんからね!」
「も、もちろんだ。どうにか断る言い訳を考えておくから、もう叩かないでくれ……」
ずいぶん気の強い女性だ。万一この人の夫になったら、ひどく尻に敷かれるのだろう。それは何としても避けなければとジェラベルドは心に誓った。
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