言い訳・2
三日後、ジェラベルドはミルブライトという貿易商の屋敷に出向いた。
サナティアの中心街よりやや西側に位置するミルブライト邸は、ジェラベルドの一人住まいのすぐ近くにあった。正装として兵士や近衛兵が軍装を選ぶのと同じように、ジェラベルドも赤竜討伐団の制服に身を包んでいた。
「ようこそいらっしゃいました、ジェラベルド様。ソフィシア嬢は、すでにお待ちですよ」
屋敷の主人ミルブライト氏が、お見合いの仲介役である。
客間の窓は大きく開け放たれ、ご自慢の庭がよく見えた。広くはないが手入れがよく行き届いていて、花壇では白や黄色の花々が鮮やかに咲き誇っている。もちろん、無骨者のジェラベルドに花の名が分かるわけがない。
「ジェラベルド・バルナランドです。お待たせして、すみません」
礼儀としてそう言ったが、ジェラベルドは相手の早すぎる到着に内心
「いえいえ、ジェラベルド様、本日はわざわざお越しくださいましてありがとうございます。日頃のご活躍は、私どももよく存じ上げております。赤竜討伐団の英雄にお会いできて、誠に光栄の至りでございまして……」
アルビアン夫妻は平身低頭で、その顔には媚びた笑みが貼りついていた。貴族だし父の恩人なのだから、もっと偉そうに振舞ってもよいくらいなのに。そうまでしてこの縁談を成立させたいのだろうか。
ジェラベルドはアルビアン卿の口から次々と出るお世辞を聞き流し、愛想笑いを浮かべながら、いかにこの話をなかったことにしようかと考えを巡らせていた。
一方で、当のソフィシア・アルビアンはむっつり黙ったまま、ジェラベルドに対して名乗りすらしなかった。
「これ、ソフィシア。ジェラベルド様にご挨拶なさい」
母親にたしなめられても、彼女は一向に口を開こうとはしない。
豊かな金髪を結い上げたソフィシアは、確かに美しかった。淡い緑色のドレスも、白い胸元のなめらかさと細腰を強調して趣味が良かった。けれども、ジェラベルドはソフィシアに対して好感を抱くことができなかった。
「ジェラベルド様があまりにも素敵でいらっしゃるから、緊張なさっているのでしょう」
ミルブライト氏が場をとりなそうとしたが、とてもそうは見えない。
ソフィシアの青い瞳には、目の前の大男に対する嫌悪感がありありと表れていた。なるほど彼女も、まったく気乗りしないままに連れて来られたのだろう。だがそれにしても、七つか八つの子どもでもあるまいし、最低限わきまえるべき礼儀があるのではないか。
ジェラベルドは内心呆れつつも、表情が硬くならぬように強いて頬を緩めて言った。
「綺麗なお庭ですね。ソフィシアさんと一緒に歩いてみたい」
「もちろんですとも!」
真っ先に声を上げたのはミルブライト氏ではなく、アルビアン卿だった。
「ミルブライト夫人が、ナッツ入りのケーキを焼いてくださっているそうですよ。できあがるまで、どうぞお二人でごゆっくり。ささ、ソフィシア」
ジェラベルドが庭へ出る。ソフィシアが嫌々ながらもついてきたのは、父親が強引に背を押したからだ。
二人はそのまま花を見るでもなく庭の隅まで歩く。
「心配するな」
ジェラベルドは腰をかがめ、ソフィシアの耳元にささやいた。
「俺はあなたと結婚する気はない」
気遣いで言ったつもりだった。貴族の女性は、自分の意志に関わらず結婚を決められてしまう。あのシノでさえもそうだったのだ。その理不尽さは、貴族でも女でもないジェラベルドにも少しは理解できるつもりだった。
「……結婚する気はない、ですって?」
それはジェラベルドが初めて聞いたソフィシアの声だった。だが彼女は小鳥が歌うような愛らしい声で、散り残った花びらに似た唇を歪めてせせら笑った。
「汚らわしい竜殺しが、貴族の私と結婚するかどうか選ぶ権利を持っているつもりなのね。のぼせ上がるのもいい加減になさい。元はといえばシヴァークの貧乏百姓のくせに」
ソフィシアの罵倒はジェラベルドを驚かせたが、さして傷つきはしなかった。貴族の中には赤竜討伐団を蔑んでいる人間も少なくない。心無い中傷にはとうに慣れていた。
だが、ジェラベルドにも看過できないことがある。
「あなたも大変ね。身分が低いばっかりに副団長止まりで、お嬢様の英雄ごっこに付き合わされているんでしょう? フィングレイ家のお嬢様って、頭が変なのかしら? 道楽で竜殺しをするなんて」
ジェラベルドは鋭い眼光を遠慮なくソフィシアに向けた。
自分はともかく、シノを侮辱するのは聞き捨てならなかった。シノが団長に選ばれたのは貴族だからではない。団員の中で最も適任だったからだ。シノは赤竜から王都を守ることに人生を懸けている。それを「道楽」などと呼ぶ女のために、これ以上時間を割きたくない。まして、妻に迎えるなどあり得なかった。
「俺は、初めから結婚などするつもりはなかった。ここへ来たのは、あなたの御父上に、せめてもの礼を尽くそうと思ったからだ。……だが、もう十分だろう」
ソフィシアが蒼白な顔で後ずさった。ドレスの裾が薔薇の葉にこすれる音がした。ジェラベルドはただただ不愉快な気分だったが、これ以上ソフィシアを怖がらせても無意味だ。
「帰る。ご両親には、俺が空に赤竜の姿を見たとでも伝えてくれ」
視線を緩めて踵を返す。だが間が悪いことに、屋敷から朗らかなアルビアン卿の声が、甘ったるい匂いとともに届いた。
「お二人さあん、ケーキができましたよ! 早くいらっしゃい!」
「む……」
ジェラベルドは思わず足を止めた。ミルブライト夫人が腕によりをかけて作ってくれたものを(どうも香料を入れすぎのような気がするが)食べないで立ち去るのはひどく無礼な気がした。食べ物を粗末にしない性分は数少ない己の美徳だと思っていたが、まさかこんなところで裏目に出るとは。
「……仕方ない。戻ろう」
声をかけたが、ソフィシアは動かなかった。まったく強情な女だ。ジェラベルドがその肩を押して促そうとしたとき、その身体が小刻みに震えていることに気づいた。顔色がひどく悪い。
「おい、どうし……」
ソフィシアは口元を押さえ、腰を折ってそのまま倒れかかってきた。慌ててジェラベルドは彼女を抱き止める。
「……もしかして、吐きそうなのか?」
ジェラベルドが小声で尋ねると、ソフィシアは胸元でかすかに頷いた後、完全に体重を預けてきた――というより、ほとんど意識を失っている。
ジェラベルドは、アルビアンとミルブライト両夫妻の視線を一身に受けた。出会ったばかりの若い男女が抱き合っているのを見て、両夫婦は揃って硬直していた。
「う、これは、その……」
そのときとっさに出た言い訳が、ジェラベルドとソフィシアの運命を大きく変えることになる。
「時代が変わったのねえ」
思わずそう漏らしたのはアルビアン夫人だ。もしもジェラベルドがもっと嘘の上手い男だったなら、二人の縁はこの日限りで終わっていただろう。
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