刺青・4

 入団して半年と経たぬうちに、ジェラベルドとシノは討伐団の中でめきめきと頭角を現していった。二人のうち一人が冷静な剣さばきで赤竜を攪乱し、もう一人が赤竜の頭まで登ってとどめを刺す戦法を編み出したからだ。ソーラスの協力で、踏竜靴シュピクート滑空翅ヴィンシューテの原型を作ったのもこの時期だった。

 シノはジェラベルドにとって最高の相棒だった。完璧な連携で赤竜を倒せたときは、えも言われぬ達成感に身を震わせたものだ。

「シノ、晩飯でも食いに行くか?」

 その日、ジェラベルドがシノを誘ったのは下心からではなかった。

「いいのか? 女を買いに行かなくて」

「あいにく、そんな金はない」

 出撃後、討伐団の男たちは猛った身体を鎮めるために色街へ繰り出すのが常だった。ジェラベルドだってまったく興味がなかったわけではないが、女を買うよりも家族を食べさせねばならなかった。シノを誘ったのは、色街に行かない唯一の団員だったから、ただそれだけだ。

「ちょうどよかった。私も、一度街の食堂というものに行ってみたかったのだ!」

 意外にもシノが喜んでくれたので、ジェラベルドも嬉しくなった。

 二人は下町まで足を伸ばし、最初に目についた食堂へ適当に入った。「銀の猟犬」のような洒落た店名はない。看板には、ただ「めし」とジェラベルドでも読めるサナティ文字で書いてあるだけだ。

 ありふれた小さな店なのに、シノは物珍しそうに客のいない店内を見回し、いまひとつな料理も旨そうに食べていた。どうやらシノはこういう場所が初めてらしい。よほど貧しかったのだな、とジェラベルドは勝手に解釈した。

 二人の会話は、いかに赤竜を効率よく倒すか――つまり、いかに赤竜の脳天に剣を突き刺すかという、色気がないどころか食事時におよそふさわしくない話題ばかりが延々続いたが、酒杯を重ねること十杯目、ふとシノがこう尋ねてきた。

「ジェラベルド、お前はなぜ赤竜討伐団に入った?」

 シノに酔いつぶれそうな気配はまったくなかった。どうやら相当な酒豪らしい。

「金のためだ。俺みたいな学がない貧乏人でも入れるところは、討伐団しかなかった」

「正直だな、お前は」

「正直も何も、団員みんな似たような理由だろう」

 シノは杯を置いた。

「私は幼い頃から、討伐団に憧れていた。命を懸けて王都を守る尊い役目だ。しかし実際には、この仕事は蔑まれている。粗暴で不潔な、下賤げせんの者の仕事だと。……私はそれを変えたい。全ての団員が、誇りを持って戦えるようにしたいのだ」

 そう語るシノは凄まじいまでに美しかった。頬に朱が差しているのは酒のためばかりではないだろう。シノは自らの偽らざる本心に興奮していた。漆黒の瞳は信念に燃え、一切の迷いがなかった。見慣れた冷静沈着な剣士の姿は、ほんの一面に過ぎなかった。シノは、胸の内にこれほどまでの情熱を秘めていたのだ。

 ジェラベルドの胸にも火が灯った。身分の低い俺でも、剣士の誇りを持てるだろうか。――きっと持てる。シノと一緒なら。

「まずは大臣の娘である私が入団したことで、少しでも世間の目が変わってくれればと思う」

 ジェラベルドは耳を疑った。

 大臣の娘? ――シノが?

「今日の料理はなかなか旨かったな。今度うちの料理番にも作らせたい」

 身分が違いすぎる。そう知ったときにはもう、ジェラベルドはシノから目を離せなくなっていた。


***


 シノは名家の令嬢だった。

 父親のフィングレイ卿は内務大臣の一人で、ヴェスティオ王国の舵取りを担う人物である。母親は国王の従妹いとこで、弟は将来王女と結婚する約束だという。つまりシノは王家の親戚なのだ。

 シノの美しさは剣を取るときもっとも輝いた。その隣で戦えるのはジェラベルドにとって何よりの喜びであり、また苦痛でもあった。どうせ叶わぬ恋である。ジェラベルドは自分の思いを秘めておくしかなかった。

 そうとは知らぬシノは庶民の味をいたく気に入り、出撃任務後は必ず自分からジェラベルドを誘うようになった。団員たちは噂し合っていた――「二人は互いに身体を鎮め合う仲だ」と。

 もしそれが本当だったなら、ジェラベルドはどんなに幸福だっただろう。青年に宿る恋心は、ただ傍にいるだけで満たされるほど生優しくはない。裸のシノが夢枕に立つことも何度となくあった。なまじ女を知っているだけに、それらの夢は目覚めた後にも手触りを残すほど現実味を帯びていた。ただシノの胸に刺青があったかどうかだけは、もう思い出せないのだ。そんな日は、一日中シノの顔をまともに見られなかった。

 ジェラベルドはだんだん不安になってきた。物心ついたときから貧しく、欲しいものを諦めるのには慣れていたが、こればかりは諦めようとすればするほど、かえって求めてしまうものだ。諦めきれないなら隠すしかないが、嘘が下手な自分にいつまで隠し通せるだろうか。

 ところが入団から一年半が過ぎた頃、その話はいつもの食堂で、シノのほうから思いがけなく持ち出された。

「父が、私をお前に嫁がせたいと言い出した」

 酒に手をつけないまま、シノは話し始めた。

 シノの父、フィングレイ卿は、娘の婿探しに手を焼いていた。シノは美人で家柄も申し分ないが、赤竜討伐団に入っているせいで貴族たちからは敬遠されてしまうのだ。

 そんなある日、フィングレイ卿はどこからかジェラベルドとの噂を聞きつけたらしい。フィングレイ卿は理解ある父親だった。娘に愛する男がいるのなら、たとえ身分が低かろうと結婚を認めようと決心したのだ。

「父は勘違いをしているのだ」

 シノは頭を抱えた。

「明日、お前の元に使いが来て、結婚の意志を聞いてくるはずだ。手間を取らせて悪いが、適当に断っておいてくれ」

 ジェラベルドはすぐに返事ができなかった。

 言い換えると、断らなければシノをめとれるという意味だった。父親と相手の男さえ承諾すれば、娘の意志に関わらず結婚が決まってしまう。それが上流貴族の常識だった。

 断りたくなかった。ずっとシノへの想いに身を焦がしてきたのだ。こんなにありがたい話はない。だが、自分はシノに夫として望まれていないという事実が、ジェラベルドの胸に深く突き刺さった。

「ひとつ聞くが、俺と結婚するのは、そんなに嫌か?」

 冗談めかして聞いたつもりだったが、シノの答えは思いのほか真剣だった。

「お前が嫌なんじゃない。私が駄目なやつなんだ。……私には、愛が分からない」

 シノは誰に対しても、恋人や夫婦がお互いに抱く類の愛情や欲求を抱くことができないのだという。たとえジェラベルドのことを、どんなに大切に思っていても。

「お前は優しくて、誠実だ。嫁にもまっすぐ愛を注ぐのだろう。しかし私では、同じものを返せない。お前には、お前をきちんと愛してくれる人と結婚してほしいのだ」

「そうか……」

 そのときシノがどんな顔をしていたのか、ジェラベルドは覚えていない。ただ正直なところ、少しだけシノの言葉を疑っていた。俺を傷つけないための嘘ではないか、と。

「分かった。結婚の話は断っておく。……だがな、シノ」

 それでもシノを信じることにしたのは、ジェラベルド自身のためだった。少しくらい本当の思いを伝えたかったのだ。こんな自分は、きっと誠実ではないと思いながら。

「お前は全然、駄目なやつじゃない」

 強い酒を一気にあおると、燃えるような喉越しの後でわずかに悲しみがこごった。

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