重ね名・6
生まれてきた娘に、ソフィシアはラウラエレナと名づけた。
ジェラベルドは名づけに関与していない。娘の名前を聞いたシノは「そうか、そうか……」とだけ言って含み笑いを浮かべていた。ソフィシアがシノの重ね名を参考にしたのかどうかは、聞かないままだった。
ジェラベルドがどれだけ子煩悩な父親になったかを、改めて言うまでもないだろう。親子三人、いつまでも仲良く暮らしました――と、都合良く幕を引くことができないのが人生だ。
その後のジェラベルドの人生には、悲しい別れが続いた。ラウラが生まれた翌年、ソーラスとペルルが旅行先で事故に遭って命を落とした。葬儀ではどうにか堪えていたジェラベルドも、家に帰ってソフィシアの顔を見ると、二人でハーン邸に招待された日のことが思い出されて少しだけ涙が出た。
さらにその翌年、ソフィシアの両親アルビアン夫妻が相次いで亡くなった。ソフィシアはジェラベルドの腕に飛び込んでさめざめと泣いた。
言うまでもなく、涙の量は悲しみの深さを示さない。どれだけ泣くかは各人の性質によるものだ。ただ悲しみの時間をソフィシアとともに過ごしたことは、ジェラベルドにとっては大きな支えになっていた。そしてソフィシアにとっても、自分の存在がいくらかの慰めになればと願った。
ラウラの三歳の誕生日を明日に控え、ソフィシアは腕によりをかけてご馳走を作ろうと張り切っていた。ジェラベルドも特別に休暇をもらった。「家族の祝い事を大事にせよ」というのがシノ団長の方針だ。
その日はラウラの面倒をネリーさんに頼み、夫婦で市場に出かけて両手いっぱいに食材を買い込んだ。ラウラが大好きな卵プディングも作るつもりだった。出会った頃は世間知らずで高飛車なお嬢様だったソフィシアも、もう一人前の主婦で、母親だった。
「ああ、身体が重い。ラウラを産んでから、太り過ぎちゃったわ」
ソフィシアはたるんだ腹回りをずいぶん気にしていたが、ジェラベルドには太ることの何がいけないのか理解できなかった。
シヴァークの民にとって、肥えた身体は健康で豊かな証だ。ジェラベルドは赤竜討伐団の稼ぎで妻子を十分養えていることに満足していた。それに、少々ソフィシアが太ったところで、ジェラベルドより大きくなることはない。――女心に疎いジェラベルドは、そういう主旨のことを言って妻を慰めようとし、かえってひどく怒られた。
「こんな身体じゃ、お気に入りだったドレスが着られないじゃない」
「俺は気にしない。庶民の格好でもお前は綺麗だ」
「あなたの意見は求めてないの」
きっぱりと言われて、ジェラベルドは苦笑した。三年がかりでたたき込まれただけあって、少しは「自己主張」できるようになったのに。
「何だか、身体がだるいわ」
夕方家に帰るなり、ソフィシアはベッドで横になった。
「風邪でも引いたのか?」
「まだ分からないけれど」
ソフィシアは意味ありげに微笑む。
「ラウラに弟か妹ができるのかも」
あなたの子よ、などとは言わない。「ラウラのために、もうひとりかふたり、子どもが欲しいの」、それがソフィシアの望みだった。あくまでもジェラベルドは、妻に協力したにすぎない。
「そうか」
「『そうか』……って、それだけなの?」
「『まだ分からない』んだろう。はっきり分かってから喜ぶ」
ジェラベルドは妻の額に大きな手を当てた。どうも熱っぽいようだ。
「ラウラを迎えに行ってくる。飯は俺が適当に作るから、お前は寝ていろ」
平静を装ったものの、ジェラベルドの心は期待に弾んでいた。今度は俺に似るかも知れないから、男の子のほうがいいな。――いや、ただの風邪かもしれないし、あまり考えないでおこう。
ただの風邪だったなら、どれだけ良かったことだろう。その晩ソフィシアは全身の痛みを訴えはじめ、その身体は燃え上がりそうに熱くなっていた。慌てて医者を呼んだが、甲斐はなかった。
医者の見立てでは、最近隣国ディオラックから持ち込まれた流行病とのことだった。ただの風邪かと思いきや
しかもこの病は患者に近づいた人間にどんどん伝染する。だからこそ流行病なのだ。なるべくソフィシアには近寄らないようにせよ、特に幼いラウラとはいますぐに引き離さなければ駄目だと医者に釘を刺された。
「養生していれば、快復する見込みがまったくないわけではないのですが……」
「そんな……」
結局、ソフィシアに新たな命が宿っていたかどうかは、分からないままになってしまった。
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