言い訳・6

「まあ大目に見てやってよ。ジェラビーのことだから、悪気があってしたわけじゃないんだろうしさ」

「うちの両親を傷つけないように上手く結婚を断ってくれたら、大目に見てさしあげるつもりよ。ねえジェラベルドさん」

「う、うむ……」

 ジェラベルドは頭を掻いた。

 ソフィシアが勝ち誇った笑みを向けてくる。わざとらしく作ったのではない、自然な笑顔だ。そういえば、初めて名前を呼ばれた気がする。

「断る必要なんて、あるのかねえ?」

 ペルルが言った。ソーラスと結婚するまでは下町の娘だったから、言葉遣いは少々荒っぽい。

「あたしには、二人がすごくお似合いに見えるんだけど」

「どこがですか」

 言ったのはソフィシアだが、ジェラベルドも口の中にニンジンが入っていなければ同じことを言うつもりだった。

「単なる女の勘だよ」

 ペルルはしれっとソーラスの皿からハムを一枚奪った。

「ソフィシアさん。よく見てみな、ジェラベルドはなかなかいい男だし、優しいし、稼ぎもいい。何をそんなに嫌がるかねえ」

「少しは俺の意志も尊重してくれ」

 ジェラベルドはようやくニンジンを飲み込んだ。「俺はまだ、結婚する気はないんだ」

「なーにのんきなこと言ってんだい」

 ペルルはソーセージも奪っている。

「いいかいジェラベルド、こんな別嬪さんとのご縁は二度とないよ。なんだし、今度こそは……っと」

 慌てて口を閉じても、もう遅かった。

 口が過ぎるのはペルルの欠点だが、かつてシノとの間に縁談が持ち上がったことは、ソーラス以外には話していないことだ。

「ごめんね、ジェラベルド。僕がつい……」

「いや、別に……」

 ジェラベルドは隣のソフィシアを見やった。ソフィシアも目だけでジェラベルドを見上げていた。お互いに目を逸らし合う。気まずい空気が流れた。何も知らないトートだけが、にこにこと笑っていた。

 結局、豪勢な昼食の味も、その後に出された茶と菓子の味もほとんど分からないまま、二人は夕方にハーン邸を辞去した。

 再びソフィシアに手を貸して歩く。結婚する気がない者同士、過去に何があろうと関係ないはずなのに、なぜだか胸が重かった。ソーラスが土産に持たせてくれた薬湯の素も効かないだろう。

 ほかに行くところもないから、ジェラベルドの家に帰るしかない。「疲れたわ」とつぶやくソフィシアに、ジェラベルドはベッドを明け渡した。

「……ごめんなさい」

 先に口を開いたのはソフィシアだ。謝罪の言葉は、布団にくるまり壁に向かって発せられた。そのとき、ジェラベルドとソフィシアは互いに背を向け合っていた。

「ずいぶんしおらしいな」

 ジェラベルドも、反対の壁を向いたまま言った。

「私がシノさんを悪く言ったとき、あなたものすごく怒ったもの」

 ソフィシアの謝罪を、ジェラベルドは「もういい」と言って受け入れた。

「晩飯は食うか?」

 ジェラベルドは半ば強引に話題を変えた。

「いらないわ。あなたが作るんでしょ」

「別に、あんたが作ってくれてもいいんだぞ」

 予想に反して、ソフィシアは言い返してこなかった。

「……すまん」

「謝らなくていいわ。私が何もできないのは本当のことだもの。でも……この子を産んだら、きっと私がご飯を作ってあげなきゃいけなくなるわね。ハーン家みたいな豪勢な食事とは、無縁の生活になるわ」

「ちゃんと話せば、きっとご両親も分かってくださる。料理番が作った旨い飯を、母子おやこで食えるさ」

 そうは言ったものの、娘の妊娠を知ったアルビアン夫妻がどう反応するかは不安だった。ソフィシアをきつく責めることがなければいいが。

「……いいえ、やっぱりだめ」

 急にソフィシアがベッドから起き上がった。ジェラベルドの手を握り、深い青色の目で見上げる。

「自分の子どもにご飯を食べさせてあげられない母親なんて嫌。ジェラベルド、私に料理を教えて」

「人に教えられるほど、上手くない」

「まずくてもいいの。食べられるものが作れれば!」

 料理教室にしては志が低すぎるが、ソフィシアの目は真剣そのものだった。

 この人は本気なのだ。三十年近く生きてきて一度も台所に立ったことがないお嬢様が、生まれてくる我が子のために料理を覚えようとしている。その姿は、確かにジェラベルドの胸を打った。

「分かった」

 ジェラベルドは微笑んだ。

「でも、うちにトマトとやらはないぞ」

 昨日市場で買った食材はキャベツにタマネギ、塩漬けの鶏肉。これで作れる料理といったら、ジェラベルドにはスープくらいしか思い浮かばない。

「まずは、材料を切るところ……いや、ナイフの握り方からだな」

 手に手を添えて教えるくらいで戸惑うほど、ジェラベルドは純朴ではなくなっていたが、ソフィシアはそうではないらしかった。彼女は緊張した面持ちで、慎重に慎重を期してキャベツとタマネギをざく切りにし、塩漬けの鶏肉も一口大(まあ、ジェラベルドなら一口だろう)に切った。かなり時間はかかったものの、指を切らずにすんだだけでも御の字だ。

「あとは水と一緒に、鍋に入れて煮るだけだ。少し塩を足すといい」

「入れる順番は?」

「知らん。くたくたになったら食える」

「本当に雑ね」

 ソフィシアの笑い声を耳に心地よく感じたことを、ジェラベルドは認めないわけにはいかなかった。

 できあがったスープは、案の定まずかった。塩は入れすぎだし、鍋に張りついたキャベツが焦げて、スープ全体に苦味が溶け出している。

「でも、ちゃんと食べられるわ。火加減はまた次の機会に教えてくれれば……」

 ソフィシアは口をつぐんだ。次の非番はまた十日後だ。その頃には、ソフィシアのお腹はもっと大きくなっている。次の十日後、さらにその次は――。

 そう遠くないうちに隠しきれなくなるときが来て、アルビアン卿は縁談を取り下げ、ジェラベルドとソフィシアは赤の他人に逆戻りする。

「……私、もう寝るわね」

 ソフィシアは当然のごとくベッドに潜り込んだ。

 ジェラベルドはまだ少しも眠くなかった。身の置き場に困って、制服の乾き具合を確かめる。今朝干したばかりなのだから、乾いているわけがなかった。

「ジェラベルド。……あなたとは、絶対に結婚しませんからね」

 言葉がこぼれ落ちるような呟きだった。

「……最初から、そう言っている」

 ――断る必要なんて、あるのかねえ?

 ペルルのあっけらかんとした声が、再び頭の中に響いた。

 あるに決まっている。ソフィシアは恋人のことを忘れられない。俺だって、ソフィシアには同情しているだけだ。結婚したところで、上手くいくわけがない――。

 ジェラベルドは心の中で反論してみたものの、なぜかすべてが言い訳がましく思えた。

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