良き友・3
馬車は昼下がりのサナティアをゆっくりと東へ進む。ジェラベルドは七人の部下とともに、会合が開かれるアルビアン邸へ向かった。屋敷の中に上がり込むから、
「遊びに行くんじゃないんだぞ」とたしなめた口調は、われながら厳しすぎた。ジェラベルド自身も、ソフィシアが来る道を逆に辿っているのだな、と妙な感慨を覚えているのだから。
ジェラベルドたちがアルビアン邸に着くとまもなく「御用納め時」の鐘が鳴った。今日はこれから御用始めである。立派な屋敷だが普請は古く、豪奢なハーン邸と比べれば質素な建物である。
「ジェラベルド様! ようこそおいでくださいました!」
わざわざ屋敷を出て親しげな笑みで迎えてくれるアルビアン夫妻を見て、団員の一人が「お知り合いですか?」と尋ねてくる。部下たちにまでアルビアン卿の誤解が広まらないように、ジェラベルドは「お前たちは、一旦ここで待て」と玄関先に待機させた。
「会合はまだこれからですが、お客様は続々といらしてますよ。ソフィシアも待ちかねております。ぜひジェラベルド様を皆さんにご紹介させていただきたく……」
「その前に、任務の打ち合わせをさせてください」
ジェラベルドは慌てて遮った。
「あくまでも、こちらへは任務で参りましたので」
「おや、そうでした、私としたことが」
アルビアン卿は照れ笑いを浮かべた。
「では簡単に、我が家をご案内いたしましょう」
アルビアン邸は二階建てで、会合という名のパーティは二階の広間で行われる。広間から繋がる白いバルコニーからは南の空がよく見えるが、赤竜は北から来ることが多い。ジェラベルドはバルコニーと二階北側にある使用人たちの居室に、
私は北側の見張りを、とジェラベルドが主張するより早く、アルビアン卿が「ジェラベルド様には、ソフィシアの護衛をお願いしますね!」と釘を刺された。断る口実を見つける前に「そろそろ会合の始まりです。お客様方がお待ちですよ」と腕を引かれて広間に入る。
客間にはすでに三十人近い客人と、大小様々の弦楽器を携えた五人組の楽士が宴の始まりを待っていた。壁際に立てられた背の高い燭台が煌々と夜を照らし、中央に並んだ丸いテーブルには続々と食器や料理が並べられていく。すぐにでも結婚式を始められそうなほどの支度ぶりだ。
ドアをくぐるなり、白いドレスを着たソフィシアと目が合う。アルビアン卿は大きく息を吸って、いまにも娘の婚約を発表しそうだったが、老執事に呼ばれていったんその場を離れてくれた。
「どうしてのこのこ来るのよ」ソフィシアが小さな声で咎める。
「どうしてわざわざ呼ぶんだ、とお父上に聞いてくれ」ジェラベルドもすかさず言い返す。
そのとき、突然周りがわっと声を立て、すぐに一瞬で静まり返った。
楽士たちが調弦の手を止め、客人たちの賑やかな歓談が嘆息交じりのささやきに変わる。彼らの視線は、ある一点に集まっていた。
何のことはない、客人がひとり増えただけだった。しかもその人はこの場にいる着飾ったきらびやかな女性たちの中で最も薄化粧で、最も地味なドレスを着た女性だった。
ドレスは黒い絹布を身体の線に沿わせるように仕立てただけのものだ。さらけ出された広く骨張った肩、裾の切れ込みから覗く筋肉質な脚、ハイヒールでさらに際立つ長身、どこをとっても女らしさに欠ける体型だった。それなのにこの場にいる誰もがその人に見とれ、目を離せないでいる。
「あれが、シノさん……?」
隣でソフィシアが呟いた。ジェラベルドも呆気に取られていた。てっきりシノは赤竜討伐団の制服で現れると思っていた。
「ソフィシア! お前がソフィシアだな!」
シノが踵を鳴らして歩み寄ってきた。手短に名前だけを名乗って、右手を差し出す。剣を握り慣れた皮膚の厚い手だ。ソフィシアは背の高いシノを見上げたまま硬直している。ジェラベルドはその柔らかな手を取って、シノと握手させてやった。
「珍しい格好だな、シノ」
「招待客として来たのに、制服を着ていたら紛らわしいだろう」
「それもそうだな」
ジェラベルドは密かに驚いていた。ドレスを着たシノを初めて見たのに、「綺麗だ」という以上の特別な感慨を覚えなかったからだ。二十歳の頃ならきっと違っただろう。顔を真っ赤にしてまともに喋れなくなる若い自分の姿を想像すると実にこそばゆい。
「お前が幸せそうで何よりだ。ソフィシアのおかげだな」
それは誤解だが、シノが嬉しそうにしているのは悪くなかった。
「父の代わりにいろいろ挨拶に回らねばならん。また後でな。ソフィシア、私の友をよろしく頼むぞ」
手を振りながら慌ただしく去って行くシノの背に、ソフィシアがぽつりと言った。
「……シノさんって、変な人ね」
「俺もそう思う」
ジェラベルドが答えたとき、調弦が再開されるのが聞こえた。
「さて、俺はここにいないほうがいいだろう。外に見回りに出ることにする」
「そうしてちょうだい」ソフィシアが言った。「私も、気分がすぐれないことに……」
突然、北側に配置していた討伐団員たちが飛び込んできた。カンカンカンカン! 鉦を激しく打ち鳴らす。次いでバルコニーからも鉦が鳴る。ずしんと音がして屋敷が大きく揺れた。燭台が倒れて絨毯に火がつく。
「赤竜だ!」
誰かが叫んだ時にはもう、バルコニーより高く首をもたげる赤竜の姿がはっきりと見えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます