剣士と赤竜・3
三日経って、太陽の高い朝が来た。
ジェラベルドがいつものように素振りをしているとき、王城の方角からかすかにラッパの音色が響いた。建国記念祭の開催を報せる合図だ。
街の人々はみな仕事を休み、自分が持っている一番上等の服を選んで外出する。もちろんお祭り気分のせいでもあるが、一番の理由は「昼餉時」から練兵場で行われる
ジェラベルドとラウラも、朝食の後で祭りに出かける支度を始めた。
ラウラは初めてハーン邸に来た日と同じ、お気に入りのワンピースだ。頭の上で揺れる二つの尻尾は、ジェラベルドが苦心して結ってやったものだ。どう見ても右と左で毛量が違うし、ぱらぱらと束ね損ねた毛が残っているが、ジェラベルドの太い指ではこれが限界だった。
ジェラベルドは、トートに仕立ててもらった黒い上着を着ていた。この服を着るには少し暑すぎるくらいだったし、何より剣の師匠を馘になった人間が、師匠用の服だけ着るのはばつが悪い。それでも、ほかに着て行ける服がなかった。二階のクローゼットの中には、いまよりも細かった頃に作った服がいくらか残っていたが、どれも着られなかった。わざわざ重い愛剣を腰に下げたのは、そのほうがいくらか格好がつくように思ったからだ。
「トートと、いっしょにいきたかったなー」
おとといジェラベルドはラウラと一緒にハーン邸へ赴き、トートを今日の建国記念祭に誘ったが、執事に断られた。気分がすぐれないので、という理由だったが、本当はジェラベルドの顔を見たくなかったのかもしれない。
練兵場へ続く階段沿いには、すでに人だかりができて賑やかだった。華やかな衣装を当然のごとくに着こなす貴族たちと、精一杯派手な格好をしている庶民とでは並ぶ列が分けられている。
ぐるりと練兵場を取り囲む観客席のうち、
貴族の列には、ヘルデラルメの姿も見えた。召使を従えて、羽根つきの扇で仰がせている。
ジェラベルドとラウラが列へ並ぶと、「赤竜討伐団のジェラベルド様だ!」と庶民列から声が上がって大騒ぎになった。サナティア市街の住民ならジェラベルドを見慣れているが、祭りのために遠出してきた人にとってはいまだありがたい英雄様なのだ。
「傷はもう大丈夫ですか」「触ってもいいですか」と口々に質問され、あっという間に取り囲まれて四方八方からわらわらと手が伸びてくる。
抱え上げたラウラが、「こわいよう」と怯えている。ジェラベルドも男女問わず体中をべたべた触られてずいぶん辟易した。列になだれ込まれた貴族たちが、ジェラベルドと庶民たち両方に迷惑そうな視線を送っている。
「すまないが、道を開けてくれ」
聞き慣れた声が響いたとき、騒いでいた人々が静まり返った。
「……何かと思えば、お前か、ジェラベルド」
シノとはここで待ち合わせをしていた。赤竜討伐団は今日全員休みなのに、相変わらず制服を着て帯剣している。「シノ団長だ」とささやく声は聞こえるが、なぜかシノが歩くときは人垣が割れる。にじみ出る高貴さのせいか、美貌のせいか、シノにはおいそれと近寄れないらしい。
「すまん、まさかこんなことになるとは……」
「いいから早く入れ。正面側の席を押さえてある」
シノが軽くジェラベルドの肩を叩くと、それだけで歓声が上がる。貴族に囲まれるのも、庶民に囲まれるのも居心地が悪い。そそくさと中へ入り、シノやラウラと一緒に席に着いた。最前列のいい席だ。入場してきた近衛兵ひとりひとりの顔がよく見える。
百人隊長のロアンは、最前列中央よりやや右にいる。この舞台に立てるのは、近衛兵団の中でも選抜された者だけだ。ジェラベルドの師匠も、かつてはそのひとりだった。
ほどなく「昼餉時」の鐘が鳴り、その最後の響きが消えたとき、大太鼓が重々しく
ジェラベルドは振付を一緒に思い描いた。太鼓の音に合わせて、足の動きは、右、右、左。
近衛兵たちが一歩目を踏み出すと同時に、突然空が暗くなった。
ジェラベルドも、シノもラウラも、貴族も庶民も、みなが空を見上げる。そして同時に、赤く禍々しい翼が建国記念祭の頭上を横切っていくのを目撃した。
「心配ありませんわ」貴婦人の上品な声が聞こえた。
「このサナティア城の周りは、ハーン博士の結界に守られているはず……」
ところが影は翻って、もう一度こちらへ向かってきた。紫色の雷光が、青いままの空を横ざまに走って消えた。サナティア城の鐘が割れんばかりに打ち鳴らされる。赤竜が金色の眼光を放ち、地上の人々を捉えたまま迫ってくる。
「馬鹿な」
ジェラベルドは思わず呟く。王城が赤竜に襲われるなど、とても信じられなかった。
結界が――トートの結界が、壊れたのだ。
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