初弟子・4

 やがて日が暮れ、王都には「夕餉時」を知らせる鐘が鳴り響く。

 シノに連れられてハーン邸にやって来たラウラは、可愛い服を着せてもらってご機嫌だった。柔らかい金髪が、頭の高い位置で左右ふたつの尻尾のようにふわふわ揺れ、その根元を薄桃色のリボンがひとつずつ飾っている。花柄のレースがふんだんに施された白いワンピースもよく似合っていた。おそらくシノの見立てだろう。

 シノはラウラの服を選ぶのが好きだが、自身は滅多に女らしい格好をしない。赤竜討伐団団長シノ・フィングレイは、長身で中性的な美人だ。シノは顎までの長さに切り揃えた黒髪を、ここ二十年で一度も伸ばしたことはないし、今日も討伐団の黒い制服でやって来た。

 ラウラはジェラベルドの姿を認めるやいなや「おとーさん!」とぱたぱた走ってきた。紫の瞳が嬉しそうに輝いている。ジェラベルドは大きな身体を縮め、七歳の娘を左手だけで受け止めた。小さな手でしがみついてくるラウラは、たまらなく愛おしくて温かかった。いまだ三角巾で吊るされたままの右腕と、膏薬が取れない右頬の傷が恨めしい。怪我さえなければ、笑顔でラウラを抱きしめてやれるのに。

 ラウラは当主のトートにも、きちんと挨拶した。

「はじめまして、ラウラエレナ・バルナランドです。えーっと、トートビアスさんは、すごいまほーつかいさん、なんですよね。おとーさんともども、おせわになります。よろしくおねがいします!」

 シノの家で練習してきたに違いない。ぴょこんと頭を下げるラウラを見て、トートは一瞬目を見開いたが、すぐに「トートでいいよ。こちらこそよろしく!」と白い歯を見せた。

 実は、ジェラベルドは少し心配だった。ラウラはトートのような黒い肌の人と会うのは初めてなので、驚いて失礼なことを言いはしないかと。だがそれはまったくの杞憂だったらしい。トートは九歳だから、ラウラとは二歳しか違わない。ラウラには年の近い友人があまりいないので、仲良くなってくれたら嬉しいと父は思う。

 夕食の席でも、まだラウラは上機嫌だった。豪華な食事に感嘆の声を上げた後、シノの家にいた間の他愛ない出来事を、拙い言葉で逐一父親に報告した。

「あのね、ニンジンたべられるようになったよ」「シノちゃんに、おにんぎょーさん、かってもらったんだー」「シノちゃんちのおにわに、きれーなバラがいっぱいさいてたよ」……。

 ジェラベルドはほとんど「そうか」「そうかそうか」と頷くだけだったが、トートが上手に相槌を打ち、シノがときどき質問を差し挟んで、より話を膨らませてくれる。まあ、ジェラベルドにとって内容はどうでもよく、娘が一生懸命話している姿そのものが可愛いのだ。

 ラウラが一気に不機嫌になったのはその後だった。もっと具体的に言えば、大好物の卵プディングを平らげた直後のことである。

「ねーねー、おとーさんは、きょう、なにしてたの?」

 ジェラベルドは今日のことを思い出しながら、優しく答えた。

「お父さんか? お父さんはな、朝からここへ来て、トートに剣の稽古をつけて、昼食をご馳走になって、それから……」

「それから?」

「……それから、トートに、魔法を教えてもらった」

 ラウラがシノと一緒に「魔法?」と声を上げた。

「魔法をお勉強すれば、お城で働けるんだ。お父さんは、怪我をして、もう赤竜とは戦えないから、新しいお仕事を探すんだよ」

「辞めるのか、団を?」ラウラより先に聞いたのはシノだ。

「辞める」ジェラベルドははっきりと言い切った。

「そうか」シノは引き留めようとはしなかった。相棒が団を去るというのにいささか淡泊すぎるようだが、団長のシノが認めるなら、ジェラベルドは滞りなく赤竜討伐団を退団できる。

 ところが、思わぬところから強硬な反対意見が上がった。

「だめー! だめだめだめだめだめ! おとーさん、とーばつだんなんでやめちゃうの⁉」

「言っただろう、ラウラ。お父さんは怪我をしたから、もう」

「でも、そのうちなおるでしょ⁉ ラウラもころんで、おひざをすりむいたことあるけど、なおったもん!」

「治る怪我と、治らない怪我があるんだ」

 するとシノが眉を曇らせて、「そんなに悪いのか?」と割り込んでくる。

「う、うむ……」

 ジェラベルドは茶を濁した。確かに右肩の治りは思わしくないが、二度と剣が握れないと医者から告げられたわけではない。ラウラの言葉を受けて、とっさに言い返しただけだ。

「うそだ」

 ラウラが鋭く言った。さっきまで満面の笑みを浮かべていた娘は、すでに鬼の形相に変わっている――いや、所詮は七歳の可愛い女の子なので、せいぜい「ふくれっ面」と呼ぶべきか。

「おとーさん、せきりゅーにやられて、こわくなっちゃったんでしょ? もう、たたかうのいやだーって、おもってるんでしょ?」

「そうじゃない」実際はかなり痛いところを突かれていた。

「ラウラちゃん、お父さんにも事情が……」

 トートがなだめようとしても、ラウラは聞く耳を持たない。

「たったのいっかいやられたくらいで、なによ、かっこわるい! おとーさんのよわむし! いくじなし! おくびょーもの!」

 いったい、どこでそんな言葉を覚えてきたのだろう。ラウラの甲高い声が、じっと我慢するジェラベルドの神経を逆撫でする。トートの前で臆病者呼ばわりされるのは、さすがに看過できなかった。

「ラウラ、人様のおうちで、行儀が悪いぞ。謝りなさい」

「いーやーだ! せきりゅーとたたかわないおとーさんなんて、おとーさんじゃないもん。おとーさんこそ『とーばつだんをやめるなんていって、ごめんなさい』ってあやまってよ!」

「いい加減にしろ」

 ジェラベルドは険しい視線をラウラに向けた。赤竜討伐団の荒くれ者さえ黙らせるその迫力は、しかし幼い娘には逆効果だった。

「おとーさんなんて、だいっきらい!」

 ラウラは大声で泣きわめきながら席を立って、食堂を飛び出してしまった。追いかけようとするトートを、ジェラベルドは引き止めた。

「放っておけ」

「でもラウラちゃん、きっと迷子になりますよ……?」

 そうだった。ここは自宅ではない。ハーン邸はサナティア市内でも有数の広さを誇る建物で、どこまでも続く長い廊下と白い壁に、似たような意匠のドアがずらりと並んでいる。しかも地上三階建てで、地下もあるという。大人のジェラベルドでも迷ってしまいそうだ。

 ジェラベルドの胸中には後悔の念がきざしたが、やはり腹も立っているし、すぐに折れては父親としての沽券こけんに係わる。どうしたものか、とまごついていると、

「私に任せろ」

 言うが早いか、シノが席を立っていた。

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