終章

終章

終章


 勇壮なラッパの旋律が、練兵場に響きわたった。

 建国記念祭と近衛兵団による連剣舞スヴェタンゼは、赤竜の襲来によって二十日間も順延された。練兵場はいくつかの柱が折れ、壁にも穴が空いたままで、いまだ半壊状態だ。それでも、この日を待ちわびた観衆は大勢押しかけていた。

 客席から大きな拍手と歓声が上がった。

 練兵場に姿を現したのは、連剣舞スヴェタンゼを披露する近衛兵団ではなく、ホークダインをはじめとする三人の赤竜討伐団員だった。赤竜がこの地に降り立ったあの日、休暇で連剣舞スヴェタンゼを観に来ていた団員たちだ。彼らは逃げずに営舎から武器を持ち出し、赤竜と戦って見事勝利を収めた。

 観客にひとりも死人が出なかったのはまったく奇跡といってよかった。今日は王の計らいで、連剣舞スヴェタンゼの前に討伐団の面々に勲章を与え、大勢の観客の前で称えていただけることになったのだ。

 しかし、真っ先に赤竜と戦っていたシノの姿は、その中にはない。

 ジェラベルドは客席から、王が団員ひとりひとりの名を呼び、勲章を下さるのを眺めていた。

 身体中の傷がじわりと痛む。トートを助けようと無理をしたせいで、また三角巾と膏薬だらけの身体に逆戻りしていた。自分から望んで受けた傷だから、後悔はない。

 貴族席の中でも一番人気のある最前列の席は、トートが融通してくれたものだ。いままで無名だった後輩たちが、英雄に生まれ変わる姿を、どうしても間近で見たかった。

 団員たちが場内を一周して退場するとき、観客席を見上げるホークダインと目が合った。シノの跡を継いで団長に就任した彼の目は、決然と見開かれていた。彼はきっと、討伐団をよりよい方向に導くだろう。

 後輩の晴れ姿を見られる誇らしさとともに、胸に去来するのは切なさだった。時の流れを止めることはできない。シノも自分も、こうして過去の英雄になっていくのだろう。

 熱いものがこみあげてくるのを抑えられない。練兵場には入れ違いに近衛兵団が入場してきたが、ジェラベルドは連剣舞スヴェタンゼを見ずして練兵場を後にした。


***


「あれ、おとーさん、おかえりー」

 寝室に入ると、机に向かっていたラウラが顔を上げた。ジェラベルドが帰り着いた先は、ティアラクの自宅ではなかった。

「お怪我をさせてしまった責任を取って……」と、トートは再びジェラベルドを剣の師匠として雇ってくれることになった。条件はほぼ前と同じ、ラウラと一緒に住み込みで三食とトートの授業つきだ。

 ただひとつ違うのは、剣技指導の報酬と相殺しても余りあるトートへの授業料は、出世払いで必ず返すと約束したことだ。トートは要らないと言ったが、ジェラベルドは「それなら家に帰る」と主張して了承させた。もっとも、「じゃあ帰ってください」と言われたら困惑したに違いない。またも右肩に深い傷を負って、日常生活に大きく支障をきたしてしまっているから。

「トートは?」

 ラウラが「ふふふー」と意味ありげに笑った。

「むこうのおへやで、『ほさかん』と、むずかしいおはなししてる」

「……そうか」

 補佐官か。耳慣れない響きだ。

「『おとーさんがかえってきたらよんで』ってトートがいってた」

 そこまで言うと、ラウラは「できた!」と声を上げた。

「みてみて、おとーさん!」

 ラウラは頭の上に紙を掲げて、ジェラベルドに見せた。絵を描いていたのだ。

 四人が食卓を囲んでいる様子が色とりどりの絵の具で描かれている。大きいのがジェラベルド、小さくてにこにこしているのがラウラだろう。シノは葡萄酒のグラスらしきものを手にしている。もじゃもじゃ頭のトートは、絵の中で青い瞳を輝かせていた。

「上手に描けたな。すごいぞ」

 ジェラベルドは笑顔を作らないまま、腰を下ろして傷の浅い左手でラウラの頭を撫でてやった。雑紙にいびつな線と荒々しい筆遣いで描かれた拙い絵だ。けれどもジェラベルドにとっては、どんな画家が描いたものよりも値打ちがあるものに思える。

「『補佐官』にも見せてあげなさい」

「うん!」

 ラウラがわれ先にと駆け出す。ノックも忘れて客間のドアを開けると、「難しい話」を終えたらしいトートが客人とくつろいでいた。

「ほさかーん! おとーさんが、かえってきたよ!」

 正面に座っていた補佐官が立ち上がった。

「早かったな、ジェラベルド。連剣舞スヴェタンゼは見なかったのか?」

 整った眉の下で閃く黒曜石の瞳。二十年以上伸ばされたことのない黒い髪。ジェラベルド同様、客人の額や頬には膏薬が貼りついていた。

 その人は、王城の官吏らしからぬ黒い服を身にまとっていた。赤竜討伐団の制服だ。

「討伐団を辞めたんじゃなかったのか、シノ?」

「辞めた」

 補佐官――シノ・フィングレイはあっさりと言った。

「今日からは王の補佐官だ」

「それは大出世だな……、うっ」

 ジェラベルドはつい笑いそうになり、すぐ痛みで顔をしかめた。顔にできた切り傷のことを忘れていた。

 笑えないジェラベルドの代わりに、トートが微笑む。

「シノさんが一緒なら、僕も心強いです」

 二十日前に赤竜がサナティア城を襲ったことで、王はトートの結界魔法頼みになっていた赤竜への対策を見直すことに決めた。

 シノは王の補佐官に抜擢され、トートとともに王都防衛に力を尽くすことになったのだ。王直属の補佐官ならば、赤竜討伐団の団長よりもずっと大きな権限を持つ。赤竜との戦い方を知り尽くしたシノと結界魔法の専門家であるトートが手を組めば、きっと良い結果が出るだろうが、それにしても大胆な人事だとジェラベルドには感じられた。

「どうやら、ヘルデが王に口を利いてくれたらしいのだ」

「あの姫様がか?」

「ロアンから聞いた。まあ、本人は意地でも認めないだろうが」

 意外だった。満身創痍になりながらも、赤竜相手に勇敢に戦った義姉の姿を目の当たりにして、考えを改めたのだろうか。

「役人の格好は、しないのか」

「あんな裾のひらひらした服で、赤竜と戦えるか」

「そうか。お前らしいな」

 シノは剣を手放すつもりはないらしい。「目の前に赤竜が現れるなら、いつでも倒す」とのことだ。とはいえ、一応赤竜討伐団を辞めた身だから、いつまでも制服を着ているわけにもいかないだろう。

「次からは、何を着たものかな」

「仕立屋さんを呼びましょう」

 思案顔のシノに、トートが提案する。

「補佐官就任のお祝い代わりに、一着作らせてください」

「それはありがたい。ついでにいい酒もくれ」

 庶民のジェラベルドには図々しい注文に思えるが、トートは笑って、「承知しました」と答えた。もしかしたら、シノなりにトートを元気づけているのかもしれない。

 トートが明るく振る舞っているのは、「魔道士に雑念は禁物」だからだ。彼には王城周辺の結界を修復する役目がある。けれどもその重責を、もう孤独に担うことはない。

 過去は変えることができない。トートも、ときには自分のしたことを思い出して苦しむかもしれない。そのときは、せめて傍にいてやりたいとジェラベルドは思っている。師匠でも弟子でも、親でも何でもいい。シノだって、同じ気持ちのはずだ。

 それにしても、「剣術のお師匠様っぽい服」の次は、何と言って発注するのだろうか。「赤竜と戦うお役人っぽい服」だろうか? 仕立屋の困り顔が目に浮かぶようで、ジェラベルドはまた笑いそうになった。四人でいると、つい笑顔になることが多い。

「シノちゃんみてみて! ラウラ、おえかきしたの!」

「どれどれ、ラウラは絵が上手だな。将来は画家になれるかもしれないぞ」

「やったー! ラウラ、になる!」

 シノの言葉がお世辞なのか本気なのか、ジェラベルドには分からない。味覚と違って、芸術にはそれなりに見る目を持っている可能性もある。二十年付き合っても、シノについて知らないことは多い。

「見たか、ジェラベルド」

 シノがこっそりとささやく。

「トートがやたらと男前に描かれていたと思わないか? そのうち『ラウラ、トートとけっこんするのー!』とか言い出すかもな」

「なっ……、ラ……、ラウラは、まだ子どもだぞ」

 油断しきっていた父親は焦りを隠しきれない。

「もし本当にそう言い出したら、どうする?」

「どうするって……」

 思わず真剣に考え込んでしまった。トートは賢いし、心根も優しいし、裕福だ。父親の目から見ても嫁ぎ先として文句のつけようがないが、肝心なのはそこではない。

「……お前の、お父上と同じようにする。結婚するのもしないのも、ラウラが決めればいい」

「本当か?」

「う、うむ……」

 断言できる自信はまだない。いつかそんな日がやって来るとしても、ずっと先の話だと信じたかった。

 シノは小さく笑った後で、ふう、と息を吐いた。額にはかすかに脂汗が浮いている。まだ脇腹が痛むのだろう。赤竜と戦ったときに、あばらを何本か折っているらしい。

 ジェラベルドは何も言わず、自らも傷の癒えきっていない肩を貸した。シノに寄りかかられると温かく、またわずかに痛かった。

「なあ、ジェラベルド」

「何だ」

「お前は本当に、いいやつだな」

 ジェラベルドは覚えている。初めて会った日にも、シノは同じことを言った。

「最高の褒め言葉だ」

 二十年経って、そう思えるようになった。(了)

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