ダメ少女の歌
午後6時30分。駅前に到着した。松下は、少し広い道幅の場所に、リュックとギターケースを置いた。路上には会社からの帰宅者が次々と通り過ぎて行く。
こちらに注目する人はいないが、置かれたギターケースをチラ見する人はチラホラ。
「ふーっ……」
真琴は大きく深呼吸をする。それから、2、3回意味もなく屈伸したり、肘を伸ばしたり。かと思えば、直立不動のまま10分以上も立ち尽くしたり。明らかになれていない様子だ。顔色も若干いつもより白い気がした。
「緊張してるのか?」
「あんまりないんですよ、人前で歌を歌うってこと」
「人前って、俺しかいないけど」
「松下さんがいるじゃないですか」
「俺は死神だ! し・に・が・み!」
デリカシーのない人間にツッコミを入れたところで、松下は真琴にギターを手渡す。しかし、真琴は差し出されたそれをなかなか受けとらない。松下は少し強引にギターを押しつける。
「ほら」
「……ありがとうございます」
「気楽に行けよ。笑われたっていいじゃないか」
「簡単に言わないでください」
真琴はため息混じりにつぶやく。松下にはその気持ちが痛いほど見てとれた。彼女にとって、作曲というのは限りある未来のすべてだ。運動ができない。友達と話すことにも注意を払うような窮屈な生き方をしてきた。
作曲はそんな生身の肉体から自由になれるただひとつの手段だった。ボーカロイドが自分の代わりに歌ってくれて、初めて自分というものが表現できた。
でも。
真琴はそれを決してSNSで公開しようとはしなかった。
「……傷つくのはさ、誰だって怖いよ」
松下はガードレールにもたれかかりながら、真琴を見る。
「それはさ、君の余命にはかかわりがない。自分の拠り所を否定されのは、誰だってすごく辛いものだからだ」
「……」
「でも、それでも……あのときにやっとけばって後悔するよりは、いいような気がしないか?」
「……はい」
「準備はできたか、お嬢さん? じゃ、一曲頼むよ」
真琴はスーッと深呼吸をして、ギターを手にして、満天の星空を見上げながら演奏を始める。
不思議と、外は空気が澄んでいる気がした。ここは都会で、結構なコンクリートジャングルなはずなのに。まるで、静寂が彼女のことを祝福しているように。
彼女の声が放たれた時。ハッと一瞬にして通行人の視線が集まった。低くて重厚感があり、それでいて透き通るような、不思議な声。松下自身の胸にも、その音はスッと通り過ぎて行った。
真琴は自身の歌声がこんな感じになってることを、今のいままで知らなかったらしい。ところどころかすれたり、音程を外したり、高音を上げすぎたり、低音が下がらなかったり。
……でも。
歌が終わった時、真琴の表情は、晴れやかだった。余韻が心地よく感じ、なにもない静寂を楽しんでいるかのように。それから、初めて松下の存在に気づいたかのように、照れくさそうな、はにかんだような笑顔を浮かべる。
「なかなか、よかった」
松下はまだガードレールにもたれかかりながら、率直な感想を言う。
「そうですか? 音程外しまくってる気がしましたけど」
「お世辞だよ」
「お世辞なんですか!? なんでそういうこと言っちゃうんですか!」
「じ、自分で謙遜したくせに……まあ、半分はお世辞だが、半分は本当だ」
素直に褒めてやってもいい気もした。自信をつけてやりたい気も。実際、真琴の声には他とは違う特別な個性を感じた。
しかし、それを褒めれば褒めるほど皮肉になってしまうことも心配した。相沢真琴の余命は48日。その事実は、変わらない。
残り少ない命にもかかわらず、煌びやかな才能に気づいた時に、真琴はいったいなにを想うのだろう。
「結局、どっちなんですか?」
「……もっと、上手くなれってことだ。今日、思いきり歌うのが初めてくらいなんだろう? それで、めちゃくちゃ褒めてたら、いかにも嘘っぽいだろうが」
「そ、それはそうですけど」
「だから、半分だけ褒めてやる。もう、半分は頑張れ。もっと頑張ったら、きっともっと上手くなる」
「……うん。わかりました」
真琴は弾けるような笑顔を浮かべ、松下もはにかんだ笑顔で、それに応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます