死神の選択


 10月1日。余命6日。松下は、すべてを眺めていた。朝、真琴がいつものように起きてこないところも。母の美咲がそれに気づき、すぐさま救急車を呼んで、病院の集中治療室に駆け込んだところも。


 眺めて、何もしなかった。


 松下は実体化して、病棟の廊下へと向かった。そこには、美咲が放心状態で座っていた。彼女は、松下に気づくとハッと我に返って疲れたような笑顔を向ける。


「もしかして、真琴の友達?」

「松下と言います。初めまして」

「……あら、もしかして真琴の……ボーイフレンド?」

「……」

「あっと。聞くのは野暮だったわね。いいの」

「大切な人です。俺の」

「……そう。真琴にもいたのね。そういう男の子が」

「……」

「松下君。あの子は……真琴はどんな子でしたか?」

「……正直な子でした」

「正直?」

「はい」

「ふふっ……どっちかと言うと、ひねくれ者の気がしたけどね」

「自分の気持ちに正直なんです。ひねくれたかったら、ひねくれる。文句を言いたかったら、文句言う。怒りたかったら、怒る」

「……あんまり、性格のいい子には見られなかったのね」

「でも、楽しかったら、全力で笑ってました。嬉しかったら、全力で喜んでいた」

「……そう。そうねぇ」


 美咲は懐かしそうに、真琴が入っている緊急治療室を眺める。


「……千早ちゃん以外に、あの子にもそんな子がいたのね」

「……」

「なんだか、ここ1ヶ月前くらいかな……あの子、とっても楽しそうだった……いや、そうじゃないな。一人で怒ってたら、焦ってたり、嬉しそうだったり、笑ったり……あれは、なんて言うか……」

「……」


 言葉を探すように、美咲は真琴を追っていた。昔からの真琴。今の真琴。すべての真琴を想い、その姿を自分の瞳に焼き付けるかのように。


 やがて、一言。


「……そうね……生き生きとしてた」


 ポツリと答え、やがてポロポロと頬に涙を濡らす。


「私は……あの子になにもしてやれなかった。あの子が、なにかしたいと言っても、いつもブレーキをかけることしか」

「……そんなことはないと思います」

「……」

「彼女は……嘘をつくのが下手な子でした。彼女は……相沢真琴はいつも辛そうにしてましたか?」

「……」

「俺の前にいるあの子は、そんな子でした」

「……」


 美咲はなにも言わなかった。当然だ。自分の……自分なんかの慰めが通じる訳がないのだ。


 自分なんかのちっぽけな想いに……最愛が。


 そんな中、千早が、駆け足でやってきた。


「はぁ……はぁ……美咲さん、真琴の様子は?」

「……もう、ダメかもって」

「なんで、急に……」

「ごめんねぇ。私が……悪いのよ」

「なに言ってるんですか」

「私が強い子に産んであげられなかったから。千早ちゃん……本当にごめんねぇ」

「……」


 ポロポロと流して泣き崩れる美咲を、千早は何も言わずに背中をさすっていた。感情を爆発させる彼女を見ながら、なんとか自分の感情を抑えつける千早を見ていられなかった。


 それから、同僚の看護師と仲が良さそうな男性の医者が一人来て、美咲を抱えて行った。男性の方は前に真琴が言っていた『いい人』だろうか。


 やがて、取り残された千早は松下の方を向いた。


「あなたは……真琴の彼氏さん?」

「いえ。そんなんじゃないです」

「……なんだか、実感が湧かないんですよ」

「……」

「真琴がいない教室に。ずっと……ずっと一緒だったから……」

「……」

「ねえ、真琴はどうでしたか? 私といない時の真琴がどんなだったか知りたいんです」

「……彼女は、すごく口が悪かったです」

「あはは。じゃあ、一緒だ」

「でも、なんていうか……そこに悪意はなくて。人を傷つけようとする意図はなくて」

「……」

「なんて言うか、返ってくる言葉を楽しんでいたような感じでした」

「……わかる気がします」

「どちらかと言うと、かまって欲しくて、自分のことを見て欲しくて、そうせずにはいられなかったんだと思います」

「……」

「彼女は運動ができなかったから。その分ずっと会話に飢えてたんじゃないかな。そりゃ、千早ちゃんがいてくれたけど。一人でまかなえるほど、彼女の内に眠るものは浅くなかった」

「……」

「飛び立ちたくて、飛び立ちたくて。外に出たくて、外に出たくて。彼女がずっと内に秘めていたものをどうにかしたくて。でも、どうしようもなくて。そんな持て余していた感情を、外に出せる唯一のことだったんだと思います」

「……私、戸惑ってます」

「えっ……」

「私がずっと、真琴の一番の理解者だって思ってました。そりゃ、美咲さんは母親だけど、私の方がずっと一緒で。教室では一日中ずっと一緒にいたから」

「……そうだと思います」

「でも、松下さんが。真琴のことを本当に理解してくれていて。もしかしたら、私なんかよりも全然あの子のことをわかってくれるような気がして……なんだか……嬉しくて悔しいんです」

「……きっと、あなたが真琴にくれたものは計り知れないものだったんだと思います。俺がどんなに彼女のことをわかってたとしても、俺はあの子のためにしてやれたことはほんの少しなこともなくて。きっと、そう言うことなんだと思います」

「……そんなこと言わないでください」


 千早はその場に崩れ落ちて、泣いた。


「私は真琴の苦しみなんて、これっぽっちも理解してなかった。真琴が心臓が弱いこと……あまり長く生きられないかもしれないことを知ってたはずなのに……私は能天気にあの子と一緒にいる未来を語ったりしてた……ううっ……」

「……真琴の胸の内は、真琴にしかわかりませんけど。きっと、俺とあなたの知ってるあいつは、それをあなたに伝えてるはずですよ」


 余命を知っていたあいつだから。


「……真琴、本当に死んじゃうの? 嫌だ……嫌だよ……ううううっ」

「……」


 順番なんてつけたくないくらい、お母さんと千早が好き。かつて、真琴はそう言っていた。その言葉が松下の胸の奥に、いつまでも響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る