ダメ人間の生活
*
「……50円みっけ」
井の頭公園周辺の自販機の下で、松下はつぶやいた。これで、合計200円集まった。今夜は寒いので、即席ラーメンでも食べてあったまろうか。
コンビニはお湯がタダだから。いや、しかし……栄養価的には、もっといいものは売っていないだろうか。松下はしばらく考えたが、とにかく寒いので、やはりラーメンにすることにした。
「しかし、ふざけているな」
3ヶ月前、松下は死神として消滅し、人間として再生した。沙汰を受けた時は、動揺した。その存在自体が消滅する罪よりも、重い罪と聞いていたので、どんな地獄に落とされるのだろうと思っていたが、まさか下界に落とされるとは想像だにしなかった。
丸裸のまま。
当然、無一文で即刻警察のお世話となった。しかし、身分を証明できるものはなく、いわゆる無戸籍状態であったので、面倒くさくなったのかカツ丼と適当なシャツとズボンを与えられて放り出された。
しかし、やはり食うものがないので、恥を忍んで、再び裸になって交番の前を彷徨くという暴挙に出たが、それを使えたのも3回。最後らへんは『いい加減にしないと撃つよ』と笑顔で言われたことが、すごく怖かった。
渡会のもとにも訪ねようとしたが、やはり死神としての能力はすべて失われていた。あちらが会おうとすれば会えるが、こちらが会おうとしても会えない。なにかとお節介を焼いてきた彼女だったが、今度のことで愛想を尽かされたのだろう。
「はぁ……」
贅沢は言わないが、もうちょっとちゃんと放り出して欲しかった。日本はゴリッゴリの戸籍社会。身分を証明できるものがなければ、働き口はかなり限られてくる。
つまり、今は井の頭公園で生活している、いわゆるホームレスというやつだ。
ハローワークに行こうと思ったって、住所不定。生まれ変わった初日から前途多難。公園に住んでる人たちはかなり優しく出迎えてくれたが、毎日空き缶集めと自販機巡りに追われる毎日。
だいたい、なんの能力も血縁もなく、ツテもコネもないのに、丸裸でコンクリートジャングルに放りだすなんて、本当に神ってのはろくでもない。むしろ、そんな奴らと同類でなくて、心の底からせいせいしている。
……死神として20年働いたんだから、退職金くらい寄越せっての。
「はぁ……」
こんな時。
松下が思い出すのは、決まって一人だ。
素直に真琴のもとに駆けつけようとも思った。なんとか戸籍も作って、まともな20歳からやり直せたらと。
でも。
どうしてもその一歩が踏み出せずにいる。真琴の心臓はもう健康だ。これから、高校を卒業したり、大学に進学したり、駅前で歌い続けて、きっとプロミュージシャンの夢だって叶えるだろう。
以前、真琴がつぶやいていたこと。もし、自分の心臓が弱くなかったら、自分はどんな毎日を、送っていたのだろうかって。それが、その願いが叶ったのだから、そんな毎日に水をさしたくはなかった。
一方で、今は住所不定の無職。収入は一日千円以内で低く安定しているし、突破口がなにも見えない。本気で明日が見えないこの状況で、真琴に会ったところで、腹を抱えて笑われるのがオチではないだろうか。
考えれば考えるほど、自分のいない未来の方が、真琴にとっては輝いていた。
彼女にとって、松下はもう完全に不要だ。死神だった時のように万能ではないのだ。いや、最初は同情して色々世話を焼いてくれるかもしれない。
でも、次第にお荷物となってしまう日が来るのではないか。
果たして今の自分が必要とされるだろうか。これから、キラキラした毎日を過ごしていくだろう彼女に、住所不定、バリバリ無職の自分なんかが。
所詮は1ヶ月程度の浅い間柄。
ただ、会いたいからって会ってどうなるもんでもない。ただ、元気な姿が見たいって、どうせ真琴のことだから、自分なんていなかったって、きっと元気でいるはずなのである。
「バカだよ……」
そんなことをつぶやいて高架下を歩きながら、屋台のおでん屋を通る。すると、屋台の大将が笑顔で暖簾をあける。すでに60歳を過ぎた高齢だが、優しい笑顔でシワができたような気のいい老人だ。
「おっ、松下君。寄ってく?」
「……いえ。あいにく、持ち合わせが」
「はっはっはっ。そんなの、いいって。今日も商売あがったりなんどから」
そう笑い飛ばして、席へと強引に座らせてくれる。以前、食い逃げ犯を捕まえてあげた以来、よく廃棄寸前のおでんを食べさせてくれる。大将も昔はホームレスだったみたいで、なにかと目をかけてくれている。
「ほい、ダイコン」
「……上手いっす」
予想以上にカラシが効いていたようで、なんだかダイコンが塩っ辛い。
「なーに、松下君。予想以上に染み付いてんだろう、このダイコンは」
「……すいません」
「まだ、ぐちぐち悩んでんのかい?」
「ぐちぐちって……」
「顔見てりゃわかるよ」
「……わからないんですよ。あの子が、本当に自分を必要としてくれてるのか」
要するに、受け入れてもらう勇気がないのだ。こんなに弱い自分だとは思わなかった。今まで、死神だった頃の万能感に頼っているつもりはなかったが、人間がこんなにも頼りなくて、不安なものだとは思わなかった。
「はっはっはっ」
「わ、笑わないでくださいよ」
「すまんすまん。あんまり可愛い悩みごとだったんで」
「からかわないでくださいよ」
「からかってないさ。俺にも、若い頃があったんだから」
「……」
「……でもさ、今になって思うんだ。あの時、あーしたけばよかった。この時、こーしとけばよかったって」
「……」
「もちろん、やらなければよかったって思うことも同じくらいあるんだけどな」
「……どっちなんですか?」
「はっはっ。まあ、でも松下君がそうやって思ってるってことはさ。その子も……きっとそうやって思ってるんじゃないのかな?」
「……ごちそうさまです」
松下はおでんを食べ終わって店を後にした。今日は綺麗な満月だった。
今頃、真琴も同じ月を見ているのだろうか。
願わくば、元気に過ごしていて欲しいと思う。やっと病気も治って、普通の女子高生のような生活が送れるんだから。自分がいなくて、笑っているところを想像するのは、
少しだけ……寂しいけれど。
そんな時。
「真琴……」
いるはずもないアイツが。
なぜか、いた。
なぜか、ここに。
なぜか、息をきらしながら。
「はぁ……はぁ……松下さん」
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