少女の想い


 そこに立っていたのは、松下の同僚の死神、渡会だった。あれから、美容室『701』の店には言ったが、すでに閉店していた後だった。


「あの……」

「聞こえなかった? 歌を歌って欲しいな」

「あっ、はい」


 そう答えながらアタフタと、ギターを構える。聞きたいことはいっぱいあったが、なんとなく聞きたくない気もする。それに、まさか、泣いているところに演奏を依頼されることなんてなかったから、心の整理がついていない。


 渡会はしゃがみこんで私のことをずっと待っていてくれた。


「慌てないで大丈夫だから。ゆっくりと落ちついて」

「……はい。どんな曲がお好きですか?」

「真琴ちゃん……今の気持ちに合う曲をお願いします」

「……」


 今の気持ち。


 今の……自分の気持ち。


 あの人がくれたもの。


 あの人が奪い去ったもの。


 それは、まるで走馬灯のように駆け巡って。


 真琴は歌った。


          ・・・


 やがて。


 渡会から、小さな拍手を贈られた。


「ありがとうございました」

「よかった」

「……ぜんぜんです。こんなにぐちゃぐちゃになっちゃうなんて思わなかった」

「ううん。あなたがどれだけ松下君のことを想っているのかが……わかる気がしたわ」


 渡会の優しい声。この声を聞くと、一層松下への想いが溢れてきた。今、言えなかったら永遠に松下の痕跡を辿れない。もう、自分の強がりも臆病もなんの意味もない気がした。


 ただ、あの口が悪くて、無愛想で、お節介な死神に会いたい。


「……あの、松下さんは?」

「真琴ちゃんが倒れた後、松下君は確かに心臓を取り出したわ」

「……でも、私の心臓はこの通り無事で……」

「違うの、真琴ちゃん。あの人が……松下君が取り出したのは、死神である自分の心臓だったの」

「……えっ?」


 聞いた途端に、胸の鼓動がドクンと高鳴った。真琴は途端にフワフワと浮遊しているような気持ちを味わう。


「そして、あなたにそれを分け与えたのよ」

「……」


 どうして、自分の病気が突然治ったのか。それは、奇跡だと思った。奇跡だと、片付けた。自分に都合のいい解釈をして、突然、目の前から去った松下を直視することもせず。


「めでたく、あなたの病気は治って……彼は……松下君は……」

「……もう、いないってことですか?」

「ええ」

「……」

「きっと……彼はあなたに恋をしていたのね」

「……でも、松下さんは」


 真琴は自身の胸をなでた。少なからず、そんな予想はしていた。急に健康になった身体に、疑問を抱いてなかった訳ではなかった。自分の命と引き換えに、松下が命を落とした。その事実を突きつけられて動揺も大きかったが、


 それよりも。


 この世にもういないのだと言うことが真琴の瞳を緩ませる。


 もう、二度と松下とは会えない。あの人の文句も、苦言も、言い訳も、よくわからない優しさも、永遠にそれを聞くことはない。


 松下はもう……いない。


「……もう、いないの?」

「真琴ちゃん……勘違いしないで。死神はたとえ心臓を失ったとしても、死にはしない。あなたに心臓を移植したのは、あくまで治療のため」

「えっ……」

「彼はその後、裁判にかけられた。現世に強く影響の及ぼす可能性のある行為を死神は禁じられている……あなたも知ってるわよね」

「……」


 それで言えば。松下が、無罪である可能性はない。だって、松下はいつだって真琴を助けてきた。いつだって、ここにいる真琴の脳裏に強く強く刻みつけられるほどにずっと居続けている。


「彼は以前にも同じようなことをしたことがあってね。再犯で情状酌量の余地もなし。私も、なんの弁明もしなかった。結果……彼は最も重い罪を背負った」

「……そんな。あの人は私を助けてくれました! あの人は私を助けてくれたんです! いろいろなものをくれました! なんで、神なのに……それが悪いことだって言うなら……私はもう神様を信じません!」


 真琴は取り乱しながら叫んだ。渡会は少しだけその様子を眺めて、少しだけ微笑みながら真琴の肩に優しく手を添えた。


「……彼は死神という存在を抹消された」

「……」

「そして、その身は神とは似て否なる穢れた存在に身を堕とされた」

「……え? それって悪魔になったってことですか?」


 真琴は渡会の方を向いた。悪魔でもなんでもいい。どんな姿でも構わない。


 ただ、もう一度、会いたい。


 だが、そんな想いを打ち砕くように渡会は首を大きく横に振る。


「悪魔は我々神に敵対する存在。わざわざ、敵を増やすバカはいないでしょう? もっと、矮小で、無能で、愚かで、醜い存在」

「……もしかして」

「ええ。彼は人間として、この下界に堕とされた。それが、神が彼に下した罪よ」

「……それじゃ」

「あっ……そう言えば、この先にある公園で似た人がいるっている噂を聞いたことがあるわね。あくまで、噂だけど」

「……っ」


 気がつけば、走りだしていた。


「はぁ……はぁ……」


 自分の気持ちに素直になるっていうのはなんて難しいことなんだろうか。意地、見栄、恐怖、不安……そんなものがいろいろとのしかかって邪魔をする。本当にやりたいことを、あきらめてしまうくらいに。心の底から会いたいという想いもあきらめてしまうほどに。


 それは、何度だって松下さんが言ってたことだ。それじゃあ、ダメなんだって、自分の気持ちに正直になれって、何度も何度も。激しく勘違いの可能性もあるけど、何度も何度も……




 

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