少女の日常(2)


 夜6時半。駅前。真琴はギターケースとリュックを抱えて、到着した。荷物を置きながら、すでに集まってくれている数人の観客にお辞儀をする。そこに、雨宮蓮がベースを持って到着した。


 ここ最近、かなりお客さんも増えてきている。毎日、演奏できるようになったことも大きいが、なによりの要因が雨宮がギタリストとして演奏してくれることだろう。


 はっきり言って雨宮は天才だ。容姿も一目につくほどのイケメンなので、女性ファンもだんだんとついてきている。たまに、そのファンから『付き合ってるんですか?』と聞かれたりもするが、お互いに友達の距離感を維持している。


「こんばんわ。今日もよろしく」

「うん。今日も元気に頑張ろう!」


 雨宮はいつもどおり笑顔で真琴を出迎えてくれる。いつも、不機嫌そうで、あんまり笑わない死神とはえらい違いだ。


 雨宮とは松下の話はしない。


 いや、真琴が松下の話をするのをやめた。ただ、それだけのことだった。松下がいなくなって最初の一週間は、なんとなくすぐに戻ってくると思っていた。でも、それ以上経って、それが二週間、三週間と経過した時に、やっと実感が湧いてきた。


 ああ、松下はもう戻ってはこないのだと。


 松下は松下の意思で真琴のもとから離れることを選んだのだから、それについて、なにかを言うのは違うような気がした。


 所詮は、死神と余命宣告者の関係。真琴にとって、それは松下がいなくなるまで考えたこともなかったが、いなくなって、初めて存在が感じられなくなった時、それが、どうしようもなくそうだったことを改めて思い知らされたような気がした。


「真琴ちゃん。じゃ、もう一曲やろうか」

「了解!」


 雨宮はそれについてなにも言わなかった。松下が急にいなくなった時にも、真琴にはなにも聞かずに、ただ頷いてくれた。雨宮が松下のことを話さなくなったのは、きっと心配してくれているからだと思う。すごく優しくて頼りになって、以前血迷ってフッてしまったことを軽く……いや、かなり後悔している。


 とにかく。


 こんないい仲間がいる。親友もいる。松下がいなくなったことで、ほとんどなんの支障もない。そもそも、ギターだって自分で弾けばいい。最初から自分で弾いてたんだから。


 演奏が終わって。


 気がつけば演奏が終わって。


 観客から拍手が降り注いだ。次の月からは、雨宮のツテでライブハウスでの演奏を予定している。夢はもう叶った。松下がいなくなって、もう一人っきりで演奏するのかと思ってたけど、案外そんなこともなかった。ちょこちょこと足を止めてくれる人もいるし、座って聞いてくれる人もいる。なによりも、雨宮がいてくれる。


「お疲れさまー!」

「お疲れさま。今日もありがとう!」

「……真琴ちゃん」

「うん?」

「大丈夫?」

「……なにが? めちゃくちゃ元気だよ? 病気も治ったし、このまま24時間歌い続けられるよ」

「……なら、いいけど」


 雨宮の言葉がズキッと胸にきたけど、真琴は構わず満面の笑みを浮かべた。自分はこれ以上ないくらい幸せで、充実した毎日を過ごせている。


「……っと。俺、これからバイトだからもう帰るね」

「はい。私はもう少し歌ってから帰りますんで」


 そう言って雨宮と別れて、真琴は再びギターを演奏してソロで歌い始めた。身体が元気になっているので、疲れなんてまったく感じない。前みたいにガミガミ言う誰かさんだっていないので、このまま夜通しでも歌っていられるのだ。


 それから、終点が近くなってきて観客が誰もいなくなって。今日は、綺麗な満月だ。冬の夜風もかなり寒い季節になってきた。ふと、気配を感じて真琴は振り向いた。そこには、猫が立っていた。


「……いるわけないか」


 猫が近づいてきたので、さっき食べていたウインナーの残りをあげた。思えば、松下も食べていた豚カツ弁当のカツを一切れあげていた。その時の猫だろうか……なんとなく、似ているような気もする。


 ふと、松下がインコになった光景がフラッシュバックして笑ってしまった。猫を見つめながら、もしかしたらと思って声をかける。


「もしかして……松下さん?」

「……」

「ふふっ……そんな訳ないか」


 ウインナーを飾りながら逃げていく猫を見つめながら、声をかけていた自分に、思わず笑ってしまった。そんな訳がないのに。松下がもうここに来ることはないのに。


 いつもの定位置に座って、曲の演奏をはじめる。歌っているときは、結構無心だ。こんな綺麗な満月の夜に、響く自分の声が心地よく震える。誰も聞いていないかもしれないけど、それはそれでいいようにも思う。自分が歌いたいから歌うのだ。きっと、それでいいんだと、あの人も言う気がしないでもない。


 松下がいなくても、平気だ。


 松下がいなくなっても、別に普通だ。


 松下なんていなくなったって、全然大丈夫なんだ。


         ・・・


 なのに……


「なんでだろ」


 こんなに胸がスースーするのは。


 張り裂けそうな痛みでもなく、押し寄せてくる悲しみでもなく、ただ胸にポッカリと穴が空いて、そこから風が吹いているような。


「……フフッ」


 きっと松下だったら。『そんなん気のせいだろ』とか、『甘ったれるな』とか厳しいことを言って……最後にはきっとよくわからない暖かさをくれる。


 それは、おかしい。


 それは、おかしくて……すこしだけ悲しい。


「……っく」


 いっそのこと、初めから会わなければ。こんな気持ちにもならなかった。松下がいなくなって、こんなにも普通に過ごせる自分も、普通に笑える自分にも出会わないで済んだ。そして……こんなにも元気なのに、ただ胸がスースーするだけで、こんな気持ちになることがあるなんて。


「……っく……ひっく……っく……ひっ……く……ひっく……」


 心がどうしようもなく空虚で、そこから風が突き抜けていく。気がつけば、そこにいてくれていたのに。いつも、そばにいてくれてたのに。


「……ひっく……くっ……松下さん……」












『松下さん……』

















 ……松下さん。


















 


 


「一曲……いいかな?」

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