ダメ少女の日常


 9月28日。余命は残り10日を切った。午前5時。真琴は、いつも通り目が覚めた。ゆっくりと身体の節々を動かしながら、胸に手を当てて鼓動を確認する。特に問題らしきものは見当たらない。そして、死神もまた常に、いつも通り、そこにいた。


「おはよう」

「……」

「む、無視するんじゃねーよ。挨拶は人類の基本だろうが」

「死神のくせに」

「非礼通り越して不敬過ぎる!?」


 と神による人類の好感度を少し下げる結果に至ったが、松下もまたいつも通りの平常運転だ。相変わらず、怠惰な涅槃像(怠惰なおっさんが寝転んだ)ポーズを崩さずに漫画を読みながら、あくびをしながら、まるで朝を感じさせない佇まいをかましている。


 残り10日を切ったのだから、なにかしら健康に支障をきたすのかと思っていたが、アテが外れた。なんだか、死の実感自体があまり湧いてこない。


 それから、洗面台に直行して顔を洗い、入念にメイクを始める。最初はメモを見ながらぎこちなくメイクをしてきたが、今では結構手慣れてきた。朝この時間に起きるのも大分慣れてきた。


 そんな中、母の美咲が洗面台に割り込んできた。鏡を譲ってくれたのは初日だけで、今では戦国時代さながら、鏡の取り合いである。少しでも遠慮や隙を見せれば、顔面を割り込ませてくる、紛れもない強敵だ。


 そして、いつも通り百戦錬磨の母の前に、真琴は完全敗北を喫した。


 リビングに向かうと、すでにトーストのいい匂いが香ってきた。美咲は素早くサラダを切っていて皿へと盛り、牛乳をチャチャっとコップへと注ぐ。


「朝ご飯できてるから、食べちゃいなさい」

「うん……ありがと、お母さん」


 そう言いながら、食卓に座ってパンにかじり付く。母の美咲は、真琴の余命を知らない。不意に、自分がいなくなった時の食卓が頭に浮かぶ。


 夜勤で帰れない時も、美咲は朝だけは毎日欠かさずに準備をしてくれている。


 もし真琴が死んだとして。美咲は変わらずに朝ご飯の準備をするのだろうか。そうあって欲しいとは思うけど、忙しい自分のために、わざわざ一人で食べるために、これだけキチッとした朝を果たして彼女は迎えるだろうか。


 ……本当は、ずっと母といることが親孝行なんだろうな。


『そんなことはない。そもそも、余命なんて説明できるものじゃないんだから。あんまり、深く考えるな』

『……』


 念話もしてないのに、心を見透かしたように死神が声をかけてきた。聞こえてないはずだが、真琴の表情を見て読み取ったのだろうか。そして、自分の想いを言葉に出されて、なおのこと想いが溢れ出てきてしまう。


『でも、私……なんにも親孝行してない』

『……俺が親だったら、君に思い残しがないのが、一番の親孝行だって思うよ』

『……』


 松下の言葉は至極真っ当に聞こえるが、それは綺麗事のような気がした。そもそも真琴が死んだら、そんなことを誰が伝えるのか。前にそんなことを考えて、長文の手紙と曲を書いた。でも、そんなことをしたところで母が納得するとは到底思えなかった。


「真琴……どうしたの?」

「えっ?」

「泣いてて。せっかく、メイクしたのに」

「あっ……」


 慌てて袖で涙を拭う。いつの間にか、頬に雫が垂れていた。不意に巻き起こる感情が抑えられなくて、止めようとしても、どんどん涙が流れてくる。


 美咲は少し神妙な表情を浮かべたが、やがてゴシゴシと真琴の頬をハンカチで拭った。そして、自分の分のウインナーを数回、真琴の皿へと移しながら笑う。


「フラれたの? 男は世の中一人じゃないから、別になんてことないのよ。元気出して」

「……違う」

「千早ちゃんと喧嘩した? 大丈夫、あの子はあんたと違って、性格がいいからすぐ仲直りしてくれるよ」

「……ふふっ。お母さん、失礼だよ」

「事実よ。でも、あなたは私に似て顔は凄くよくて、頭もすごく賢いから、性格の悪さは要領と愛嬌でカバーしなさい。世の中ね、それさえあれば上手くいくんだから」


 そんな風に世知辛い世間の内情を暴露する母に、真琴は泣きながら笑ってしまった。そう言えば、こんな人だった。真琴が心配することなんて、おこがましかった。母は自分がいなくなった後も、強く、いつも通りに生きていく。


 母の美咲が最初から要領がよかったなんて思わない。要領がよかったら16歳で真琴を生むなんて決断はしない気がする。ずっと不器用に頑張ってきたのだ。そして、これからも不器用にがむしゃらに頑張るのだろう。


 こんな人だから、きっと上手くは生きられない人だけど。たとえ、今、いい感じな人と上手くいかなかったって、我が道を進んで強く生きて行く。自分などいなくたって。


 それは、少しだけ寂しいことだけど。


「お母さん……」

「ん?」

「大好き」


 そう言った時、美咲は真琴のおでこに手を当てた。


「あんた……本当に大丈夫? 熱はない」

「大丈夫。もう、大丈夫」


 真琴は泣きながら、笑いながら、バターを塗った食パンをかじった。

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