リーマン死神の登場


 真琴が千早の横を見ると、そこには男子が立っていた。確か、隣のクラスの川崎だ。以前、千早が『携帯番号を聞かれた』と言ってた男子。結末が真逆だとわかった途端、緊張で顔が強ばりそうだったが、急いでそれを笑顔で隠す。


「千早は……その、デート?」

「えっ? あっまあ、そうだけど。なんて言うかさ……あはは? そ、そう言う真琴は?」

「……えっと、その」


 いつもなら簡単に出る軽口のはずだった。彼氏もいないのに、一人で映画に来てる。そんな自虐を言えるほど、千早とは長い。きっと彼女も快活に笑い飛ばしてくれるはずだ。

 でも。

 千早には横に彼氏がいて、自分にはいない。まざまざと見せつけられたその格差に、どうしても上手く口が回らなかった。ああ、そうかと真琴は思った。


 惨めだと言うのは、こんな気持ちなのだ。


 相手が千早じゃなかったら、ここまでの想いは溢れなかったかもしれない。普段から一緒にいるからこそ、普段から遠慮なく気持ちをぶつけ合っているからこそ、いつの間にか差をつけられていると言う事実が、真琴の胸に突き刺さる。


「……あの」

「……」


 どうしよう。言葉が上手く出てこない。取り繕った笑顔がどんどんひきつって行く。強がるのは慣れているはずなのに。自虐だって、山のように言ってきた。それなのに、今は自分を守るはずの言葉が、力が、どうしても湧いて出てこない。


 真琴が下を向き、千早と彼氏の川崎もそれを察し、嫌な空気が流れ始めた時、


「待たせたな、真琴」

「えっ?」


 声の方を振り返ると、そこには松下がポップコーンを持って立っていた。いつものダラけた格好とは違う。タイトなスキニージーンズに、長袖でグレーのシャツ。お洒落というよりは清潔感ある大学生風のファッションだ。


「友達?」


 松下は、余裕のある優しい笑みを浮かべて二人を見つめる。その瞳の奥には『合わせろ』と言う声が聞こえてきた。まるで、いつものように心の声で言っているかのように。


「……うん。斎藤千早って言うの。親友」

「えっ、えっ!? あの、失礼ですが、真琴の彼氏さんですか?」

「いや、そんなんじゃないよ。今日はたまたま映画のチケットが2枚あったから誘ってくれただけで。なっ、真琴」

「えっ……っと、うん」

「キャー、そうなの? すごいすごい」


 千早は自分のことのように喜んで、真琴に耳打ちする。途端に、一切の劣等感が消え、同時に申し訳なさが湧いてきた。まるで、自分の事のように喜んでくれる親友に、自分はなんて心が狭いのだろうと。


「めちゃくちゃカッコいい彼氏さんじゃない」

「そ、そんなんじゃないって。たまたま、知り合いで、時間があったから」


 そう言いながらも、真琴も普段見慣れない松下の方をずっと見つめていた。幽体時の和装姿でもない。駅の路上で酒を飲む、酔っ払い聴衆の秋葉系格好でもない。そこにいるのは、真琴よりも少し歳上の落ち着いた、スタイルのいい男の子だった。


「じゃ、お邪魔にならない方がいいね。真琴、また明日ね」


 千早は興奮気味に去っていった。そんな彼女を見送ることもせず、真琴は呆然と、ただ目の前の松下を見つめていた。さっきまで、幽体だったのに、なんで、いきなり現れるのか。


「現世に強く影響の及ぼす可能性がある行為は禁止されているんじゃ?」

「……君がポップコーンを供えないと意地悪を言うから、食べに来た」


 憮然とした無愛想な返事は、さっきの爽やかな笑顔を浮かべたのと同じ人物だと思えない。真琴は思わず笑ってしまった。そして、いつの間にか緊張も解けて身体も軽くなっていた。


 この死神は、こう言う人なのだ。いつもは、側にいてもなんの役にも立たないけれど。真琴が本当に困った時には、辛い時には、いつだって側に居てくれる。なんとかしてくれる。


 下を向いているときは、いつだって上を向けと言ってくれる。勇気を出せと、激を飛ばしてくれる。


「ふふっ……嘘ばっか」

「嘘じゃない。さっ、早く行こう。映画が始まるぞ」


 松下は不貞腐れたような表情を見せながら、歩いていく。その後ろを、真琴は少しだけ見つめ、やがて、ついて行った。

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