ダメ少女の変身


              *


『おい。起きろ』

「……」

『おい! 起きろ!』

「わっ……なんだ、松下さんか」

『ふ、ふざけるんじゃない。すぐに起きて支度しなさい!』

「z ZZ……」

『わかりやすい狸寝入りを決め込むんじゃない! だいたい、誰のためにやってると思ってるんだ!? 君のためだぞ? それ、わかって寝てるのか?』

「寝てるので、わかりません」

『寝てないじゃん!?』


 午前5時30分。鳴り続けるアラームと共に、死神の小言も鳴り続ける。真琴は耳を塞ぎながら、洗面台に直行して鏡の前の自分を睨みつける。そして、美容師の渡会から貰ったメモを見ながら、入念に手入れとメイクを施し始めた。


『やり過ぎるなよ、ケバくなるから』

「ちょっと、うるさいから黙ってもらえません?」

『て、てめー』


 と低血圧の真琴は、松下のお小言を雑に封じながら、右往左往しながら、やっとメイクを完成させた。うん、そんなに濃くはない。初めてにしては上出来だと言えるのではないだろうか。それから、髪を櫛で解いて、ドライヤーで形を整える。


「真琴。あんた、なにをやってるの?」


 そんな中、鏡を独占されていたことに気づいた母が、目をまん丸くしながら娘を見る。別に悪いことをしている訳ではないのだが、なんとなくバツが悪く、思わず口ごもってしまう。


「なにをって、セットしてるだけなんだけど」

「熱はない……よね」

「し、失礼千万」

「あはは、嘘嘘。そっか、あんたもそう言う年頃になったかー」

「そんなんじゃないって、うるさいなぁ」


 どことなく嬉しそうな母に、恥ずかしい想いを抱きつつも、真琴はぞんざいに言葉を払いのける。その、『私わかってます感』が鬱陶しい。そもそも、わかってるなら、そんな気持ちを見越して黙って暖かく見守って欲しいものだ。


「じゃ、私は先に食事の支度してるから、ごゆっくり」

「も、もうすぐ終わるってば」


 そんな真琴の照れ隠しもまったく聞かずに、母はキッチンへと向かう。


『いいお母さんじゃないか』

「ウザっ!」


 できてきた朝ご飯は無駄に、不必要に豪華だった。いつもは目玉焼きにトーストだけなのだが、目玉焼きにはベーコンが添えられ、加えてサラダ、デザートのシュークリームまであった。


「な、なにかイベントと勘違いしてない? なにもないよ、言っとくけど」


 と言いながら、真琴はベーコンにかじりつく。


「はいはい」

「ぐっ……それって、全然わかってない『はい』じゃない! いつもは自分が『はい、は一回』って言うくせに」

「落ち着け落ち着け」

「くっ……性格最悪」


 と見事にその流儀を受け継いでる真琴は、もう知らんぷりして、朝食を手早く済ます。母は、しばらくニコニコしながら見ていたが、やがて、からかうのに飽きたのか、手早くメイクして仕事に出かけて行った。


『……いいお母さんじゃないか』

「ウザっ!」


 松下の上から発言に反抗の意を示した後、真琴も登校の支度を始める。いつもより早起きで、案外メイクにも時間がかからなかった。なんとなく自分の部屋でギターを弾いてたが、妙に鏡の方が気になる。


『気になるんなら、もっと真っ直ぐ見ればいいのに』

「べ、別に気になってません……ちょっと濃すぎたかなぁと思っただけで」

『そんなことはないと思うぞ。それよりも薄かったらわからないし、なによりもやり直ししてる時間はないだろう?』

「……まあ、そうなんですけど」

『どちらにしろ、やり直ししたかったらもう少し早く起きるんだな』

「ぐっ……イジワル」

『どの口がいうの!?』


 と松下に多重人格疑念を抱かれたところで、家を出た。駅に到着すると、なんだか見られてるようで落ち着かない。早いところ、千早と合流できないかと願ったが、合流したらしたでからかわれると思うので、もうどうすればいいのか謎だった。


『自意識過剰』

『な、なんですって!?』

『いいから、いつも通りにしてろよ。芸能人でも歩いてない限り、どれだけ可愛くったって、通行人が君に注目するなんてことはない』

『くっ……わかってますよそんなこと』


 真琴が苛立たし気に松下を睨んだ時、ちょうど目線の先にクラスメートの牧野がいた。


「っと……あれ、もしかして相沢?」

「……うん。おはよう」

「えっ、マジで? どうしたの? 今日は凄い……その、可愛いじゃん」


 牧野が信じられないような表情を浮かべている。そんな表情を見て、真琴は密かに心のガッツポーズを繰り出した。そして、少し得意げに髪がないおでこをさすった。


「えっ、そう? ちょっと、知り合いの美容師さんに髪切って貰って」


 今まではルックスに自信がなかったので、前髪はかなり長めだった。ダサいだなんだと言われても、素顔を晒すよりはマシだと思って。


「うん……似合うよその髪型。あっ、そう言えば携帯番号だけど」

「あっ、ごめん。あれは、本当に忘れて」


 とりつくシマもなく、真琴は牧野に嘘100パーセントの笑顔を浮かべる。


「いや、あの、だけど」

「本当にごめんなさい! インコの世話してみたら、可愛かったから、飼おうかどうか迷っててつい相談したくて……でも、お母さんに言ったらダメだって言われたの。だから、もう必要ないの。本当にありがとう」

「えっと……でも、俺は番号教えて欲しいなって思ってるんだけど」

「なんで? 前は断ったのに」

「……っ」


 牧野は、下を向いて沈黙する。真琴は、その光景を見て、さっきまでの嘘100パーセントの笑顔ではない、本物の笑みを浮かべた。


『プライドが女帝並みだな』

『うるさい、ほっといてください』

 

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