リーマン死神の悩み
*
9月23日。午前2時30分。松下は美容室『701』の扉を開けた。この場所は死神のエリアであるので、自由に行き来することが可能だ。そして、そこには、いつも通り、平常運転通り、渡会優奈が恐ろしい表情をして立っていた。
「髪切りにきた」
「……どう言うつもり?」
「か、髪切りにきたって言ってんだろーが」
「ふざけないで!」
「……っ」
怖っ。ギラリと尋常じゃない眼差しが松下を襲う。これが真琴であれば、正論を暴言で返しているところだが、目の前にいる女性の死神は真面目で理路整然、いわゆる超優等生の怖い女だ。
「あなた……相沢真琴の『苦痛』を操作してるでしょ?」
「知らないな」
「それで済むわけないじゃない! この証言は、裁判での重要な証言になるのよ」
「知らない」
松下は、それでも頑なに否定する。言質さえ取られなければ、時間は稼げる。その分、罪は重くなるが、都合の悪い、目の背けたくなる事実はこの際後回した言うことで。
優奈は理解できないような……悲しいような表情をしていた。目が少し潤んでいるところを見て、松下は罪悪感に駆られて目を逸らす。
「信じられない……なんで? 現世に強く影響の及ぼす可能性のある行為を死神は禁じられている。あなたは、前回それで5年間の幽閉された。また、繰り返すつもり?」
「……彼女は死ぬよ。あと、1ヶ月も立たないうちに」
「そんなのあなたのせいじゃない!」
優奈は机を力任せにダンと叩く。途端に、バキバキっとひび割れた。人間の腕力じゃないので、感情をセーブできない時は、こんな惨事になってしまう。
松下は反射的に言い訳を考えるが、もちろん、いいものなど思い浮かぶはずもない。自分でも、なんでこんなことをしているのか。明確な回答を持っている訳じゃないから。それでも、なんとか感情を手繰り寄せ、言葉を選び、拾い上げる。
「誰のせいでもない。彼女の寿命は……運命はあらかじめ決められていた。別にそれを弄ろうとしている訳じゃない」
「誤魔化さないで! 彼女が痛みを自覚しないことで、あなたは雨宮漣と引き合わせた。あの雨宮漣が、相沢真琴の曲を聞いたのよ?」
「……」
現世におけるインフルエンサーを、渡会優奈という死神は、注意深くマークしている。雨宮漣もその一人だ。彼という類い稀な才能に、相沢真琴という天才を引き合わせたことは、運命そのものを変えてしまう危険が孕む。
「業務上過失よ? わかってる?」
「不可抗力だ」
「そんな言い訳が通用すると思う? これは、現世において影響が大き過ぎる。暗部もそろそろ気づいて動き出す可能性もある」
「……」
これに関しては、本当に不可抗力だった。ただ、真琴の痛みを消して、誤魔化して。もう少しだけ、歌を歌って欲しかった。なにも気にすることもなく、歌いたいがままの歌を。
そんな時、たまたま雨宮漣が現れた。
しかし、松下はその事実にすら唇を噛む。そもそも、ここに彼が現れること自体が神の悪戯のようなものじゃないのか。そんな奇跡のような偶然を画策した癖に、松下の行為を責めようと言うのか。
「もしかして……あなた、新沼聡君のこと、まだ気にしてるの?」
「……そんな訳ないだろう。いつの話だよ」
松下は心から否定する。確かに18年前、最初に余命宣告をしたのが、17歳の新沼聡だった。癖っ毛で、引きこもりで、でも時折見せる笑顔が眩しく、儚く、悲しげな少年だった。
「だって……状況がよく似てるわ。歳も同じだし」
「そもそも、性別が違う」
「彼も音楽をやっていた」
「性格が全然違う。聡は、素直だし、優しかった」
「彼も……同じ先天性狭心症だった」
「……共通点を探して何になる?」
そうつぶやいて、優奈から目を逸らした。確かに、初めて彼女を知った時は、聡がよぎった。だからと言って、自分はもう17年前の自分とは違う。
新沼聡が『思い残し』をなくすために、唯一願ったこと。
友達が欲しい。
それから、松下は聡を友達のように接した。暇な時間に趣味のギターを習った。彼は一生懸命、松下に教えた。聡にとって松下の初めての友達だったし、松下にとって聡は初めての友達だった。
そして、聡は一人の少女に恋をした。
同い年のクラスメートで、文化祭のコンサートホールの席が隣だった。演奏が始まる間、折り畳み椅子をギーコ、ギーコと座ったり、立ったり。そんなことをして遊んでいる彼女を見て、聡は恋に落ちた。
本当になんでそんなことで恋に落ちたのか。聡は未だにわかっていないと笑った。今まで毎日顔を合わせていたのに。
それからの聡は本当に楽しそうだった。授業中、先生の話など全く聞かないで、隙あらば彼女の顔ばかりを見つめていた。席が前後ろだったのでプリント配布のたびに胸の鼓動が高鳴っていった。
彼氏がいると知った時の聡は、残念なような、少し安心したような表情を見せていたこと。昔は理由がわからなかったが、今ではなんとなく理由がわかる。
片想いは、苦しいけど、楽だからだ。
決して成就することがない恋に、見切りをつけることもせずに、ただ想うことで人生を全うした聡には、思い残しはなかった。そして、その想いをできるだけ長く叶え続けようとして、松下は聡の身体的な苦痛を和らげた。
「ねえ、わからないの。なぜ? あなたは……なんで、自分のことを顧みずに、間もなく死んでしまう他人にそこまでするの?」
「……決まってる。楽だからだよ」
松下は自嘲気味に笑った。
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