ダメ少女の計画
午後9時半。真琴が家に帰ってくると、松下はいつものように空中で浮遊していた。本当にいつも通りの仕草で、いつも通り涅槃像(寝転んだおっさん)のようなポーズで。それが、妙に鼻について心がザワつくのはなぜなのだろうか。
「どうだった?」
「……デートに誘われました」
「そりゃ、よかったじゃないか。じゃ、早速計画を練らないとな」
松下はそう言って、アウトドア用の雑誌を並べる。
「……」
「ん? どうした?」
なんとなく不満げな真琴に気づいたのか、松下は尋ねる。
「……なんでもないです。それよりも、デートですよ。どこ行けばいいんですかね?」
「どこでもいいんじゃないか?」
「いきなり投げやりな回答しないで下さいよ!」
「雨宮君がデートに誘ったんだから、普通は彼が考えるか、まあ一緒に考えるだろう。毎日、電話でもして、行きたいところに行けばいい」
「……それはそうですけど」
松下の指摘は至極真っ当だ。そして、本当に真琴の恋愛成就を願っているのも間違いなはない。それは、間違いではないけれど……それがなんだか真琴には気に喰わない。
「……じゃ、松下さんは今、なんでアウトドア雑誌を開いたんですか?」
「君があれこれ考えている間、暇だから秋の紅葉スポットを見て旅気分に浸ろうとしていた」
「究極の暇人!?」
ダメだこの死神は。真琴は早々に見切りをつけて、なんとなく自分もアウトドア雑誌を読み始める。だが、しばらくすると飽き始めて、松下の開いているページをチラ見する。
「わぁ、綺麗な紅葉。私、京都行きたーい」
「ちょ……なんで、俺の雑誌を盗み見する? 自分のを見なさい、自分のを」
「なに言ってるんですか! これは、私のなけなしのお小遣いをはたいて買った私の雑誌です。私の所有物です。それを盗み見しているのは、むしろあなたの方です。松下さん!」
真琴はビシッとバシッと指差す。
「……いや、まあそうか。確かに。ごめんな」
「あなたは泥棒です!」
「す、すまんて」
「泥棒」
「……」
「この、死神」
「あー! 謝ってるじゃないかしつこいな! それに、さりげなく死神を罵詈雑言ワードに入れるんじゃない!」
「逆ギレですか!? そんなの、謝ってるうちには入りません。いいですか? 私が怒っているうちは、徹頭徹尾、誠心誠意謝罪し続けなさい! どれだけ罵倒されたとしても! それが真の謝罪です!」
「おい、君、ヤバいぞ。JKにして女帝の腹づもりをしている」
と松下にドン引きされたところで、2人で並びながら雑誌を見る。
「……ちなみに、なんで、京都に行きたいんだ?」
「ほら、私、修学旅行に行けなかったじゃないですか。羨ましかったんですよねー。夜店で買った変なグッズとか。映画村とか。あと、京都の街並みとか」
特に小学校の頃の修学旅行は特別だった。旅行の2週間前から、みんなでどこに行こうか話していて、それがすごく楽しそうだったことを覚えている。
行った後も、撮った写真を広げてワイワイとグループで語り合って。この期間、私はひとりで図書館に行って、漫画『日本の歴史』を全巻読破した。おかげで歴史は満点を取ることができたが、全然嬉しくなかった。
「小学校も京都で、中学校も京都だったんです。『もう、飽きた』なんて言ってた子もいたけど……私はそれがすごく羨ましくて」
「……」
千早は申し訳なさそうにしてたけど、真琴は逆にそれが申し訳なかったりもした。気を遣わせることも、気を遣うこともなく、いつか好きな場所に行ってみたい。そんな風に、何度となく願ったことか。
「……じゃ、雨宮君に提案してみたらいいんじゃないか?」
「あはは。初デートで京都ですか? ないですって」
そんなものは、恋愛初心者の真琴にだってわかる。最初は近場で、それこそ映画とか動物園とか。お金のない高校生だったら、なおのことそんな感じだろう。
無理して母に小遣いをねだるのも気がひける。自分の命がもう残り少ないと言えば、もしかしたら出してくれるのかもしれないが、その時の美咲の表情を想像するだけでもゾッとする。
欲を言えば、奈良の大仏も、京都の清水寺も太秦映画村も、神戸の中華街も異人館も、岡山のオルゴール館も行ってみたかった。だけど、自分にはそれが我儘だってわかってる。
「いいんですよ。もう、あんまり時間がないんだし。これ以上望んだら、バチが当たりますよ」
「……神様をなめるな。それぐらい望んだって、バチなんて当たらない」
松下はそんな風につぶやいて、しばらくその雑誌の京都特集のページを見つめ続けていた。
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