第26話◇赤と緑のシマシマピエロ


 地下九十九層に来てから一ヶ月ぐらい?

 ご飯食べてフェスとお茶する以外は修練の日々。なんか楽しくなってきたから苦にはならないけどね。セキの話も難しいけど、私が、それどういうこと? って聞いたらいろいろ教えてくれる。私が知らないこと、気づいてないこと、そんなのが次から次に出てきて、驚くことばかり。


 でも、私がちゃんと強くなれているのかが不安だー。メイドさん達とも仲良くなれたかな。今も血は吸われたことなくて、可愛がって貰えるようになった。頭を撫でてお菓子くれるんだよね。


【あまりミルに甘いお菓子を与えるでない】

「えー? いーじゃん。その分動いてるって」


 お礼に吸血鬼メイドさんにセキの刀身を見せてあげるとうっとりしてる。だよねー、セキって美しいよねー。


【……我を見世物にして、お代はお菓子か?】

「ちょっと見せてあげるくらい、いいじゃない」


 修練は、素振り、前後振り、で、歩みと立ち方。これを毎日繰り返す。マティアとアーティも一緒にしてたり、歩くときに身体を押さえたりとか。足を掴まれて、そのまま足を出すとか、前後振りのときに膝を押さえられても動けるやり方とか。

 座ってる状態で頭を押さえられても立ち上がる身体の使い方なんてのもあって。


 刀の構え方も教えて貰った。でもいっぱいあって憶えきれない。上段、中段、下段は解るよ。でも、霞、八艘、胸刀、車、鳥居、高波、脇構え、とか。正眼の構えなんて、立て正眼、平正眼 地摺り正眼、裏正眼、青眼、星眼、清眼、晴眼っていったいいくつあるのさ。違いも良く解んないのがあるし。実践になったら解るのかな?


 第2武術館には真っ直ぐな白い線を引いて貰った。今はその線の上を歩いている。

 身体をイメージどおりに動かす。そのためにはイメージすることが大切。

 白い線の上に沿って、大きな薄いガラスの板を想像する。そのガラスは私の身体の中を通っている。身体の右半身と左半身を分けるように、頭の天辺から股間を通っている。透明な薄い薄いガラスの板。自分の身体がガラスを右と左から挟む。実際には無いものをそこに思い描いて。


 膝を曲げて伸ばさないように立つ。両手は軽く握って腰の上に。

 私のすることは線の上を真っ直ぐに歩くこと。ただそれだけ。でも、身体が横にほんの少しでも揺れたら、身体の中に通っている薄いガラスは歪んで粉々に砕けて割れる。そんなイメージ。


 足の裏、どこに体重が落ちているかを自覚しながら、裸足の足をそうっと上げて前に出す。白い線の上を右足、次にそうっと左足。ガラスが割れないように、右にも左にも身体が傾かないように。額から汗が一筋、つうっと垂れて。


「あ、」


 ガシャーン。割れたー、こなごなー。左足を地面に着いたときに身体が揺れちゃったよう。イメージの中のガラスが砕けて消える。


「あー、割れちゃった。セキ、これ難しいよ」

【だが、前より進めるようになっておるぞ】

「そっかなー」


 今日はアーティはいない。会議があるって九十二層に戻ってる。アーティは死猟兵団の団長さんでそっちの仕事があるんだって。アーティはいまだに私が近づくとビクッてなる。もうちょい仲良くなりたいんだけど。

 なので今日はマティアとセキの三人で。


【少し立ち方の復習といくか。足を肩幅に開いて立ってみよ】

「はい、ししょー」

【開いた足の右の爪先と左の爪先を線で結ぶ。右の踵と左の踵も線で結ぶ。その四角形ができる。では、ミルよ、足を動かさずに身体を揺らしてみよ】


 右に体重を寄せて、次に左に体重を寄せる。前にも、後ろにも、倒れない程度にゆーらゆらー。


「こう?」

【倒れないように、右回り左回りとやってみよ】

「ぐーるぐる。これってなんの修練?」

【どこまでが立ってられる限界か、どこからが身体が倒れるところか、それを見る。これは先程、足に描いた四角形が目安になる。この四角の中に重心があるうちは倒れない。この四角の外に重心が出ると倒れる】


「重心って、重さの中心のことだよね」

【使われる分野に置いて意味が変わるが、我らが使うにはそれで良かろ。この重心が四角の中にあれば立っていられる。相手を転ばせようというときは、相手の重心を相手の足の四角の外に出すように操作するのよ。マティア、ミルの肩を押してみよ】

「ハイ、行くよ、ミルちゃん」

「よし来い、わお、倒れる倒れる!」


 なるほど、四角形の中が私が立っていられるエリアなんだ。移動しても倒れないようにするには、移動した先に足を動かして、この四角の中に重心を入れないといけないのか。


【足を開いて腰を落とすとこの四角が広くなり、倒れにくくなる。相手を投げるというのは、相手の重心の位置を狂わせる、というのが肝要となる。四つ足の獣の方が倒れにくいのは、この四角が四つ足の先端を結んだものになり、広いからよ。比べれば二本足の方が倒れやすい。だが、先ずは己の重心というものを探ってみるのよ】


「これはまたずいぶんと基礎的なことからやってるね」

「え? 誰?」


 男の人の声がした。声のした方を見るとピエロがいる。ピエロ? 赤と緑のシマシマ模様の道化服。どちら様?


「ミルちゃん下がって!」


 マティアが私の前に立って右手を伸ばすと、その爪がシャキーンと伸びる。うわ、久しぶりにマティアの吸血鬼っぽいとこ見た。マティアがいきなり戦闘モードって、え、そんな危ない人なの?


 口を開けて笑う仮面で、顔を隠した背の高いピエロが、


「ちょっとゴメンよ」


 なんて言いながらマティアに迫る。何処から出したのか真っ白な柄の長い旗なんて手に持って。え? 白い旗?


「くっ!」


 マティアが右手の爪を突き出すけどピエロはしゃがんで、しゃがんだまま走って、走ってる? なにその気持ち悪い走りかた? え、どうやってんの? 白い大旗でマティアのお腹をトン、と押す。しゃがんだまま走り抜けて離れたところまで行って、ピョイとジャンプ。持ってた白い大旗は消えて、クルリとこちらに向き直る。ペコリと一礼。


「お仲間を呼ばれたく無いからさ、ちょっとだけ静かにしててよ、メイドちゃん」

「マティア!」

「あ、ミルちゃん、ゴメ……」


 私の見てる前で、首だけ振り向いたマティアが、石になった。


「マティア? なにこれ!」

【ミル、触るな】

「セキ! マティアが!」

【落ち着けミル。石化だ】

「これが、石化?」


 身体を石に変える状態異常、呪いのひとつ。下層には石化のブレスとか石化の邪眼とか使う魔獣がいるっていうのは、聞いたことがある。だけど、石化するところを見たのは、これが初めて。


【このまま触らずにそっとしておけ。砕けると再生させるのが手間だ】


 神殿に運ばれて解呪で石像から戻った人は、見たことがある。だからマティアもこのまま壊れないようにして、治せる人、フェスかアデプタスになんとかしてもらわないと。


「でも、吸血鬼のマティアが抵抗できないなんて」


 毒にも麻痺にも他の常態異常にも強いっていう、九十九層の吸血鬼。それがたった一回ちょっと触れられただけで。それはあのピエロが吸血鬼よりもマティアよりも格段に強い、ということ。ピエロは腰に手をあてて、身体を揺らしてこっちに来る。


「ドーモ、セキ様。お久しぶりでございまーす。ようやく挨拶に来れました。貴女の道化、唯今ここに参上」


 私は左手をセキの鞘に、右手でいつでも抜けるように柄に右手を添える。なんだこいつ。いきなり出てきて、マティアを石にするなんて。何考えてんの?

 セキが、ふう、とため息をつく。


【道化、まだそんな悪ふざけをしておるのか?】

「僕は皆々様に刺激をお配りするが仕事の道化でござい。悪ふざけ? いえいえ、これには理由がござい」

【ならばその理由をミルに説明せよ。このままでは敵にしかならぬ】

「これには実は、聞くも涙、語るも涙、かつての因果の果てがここに」

【はしゃぐな道化。しかし、来るのが遅かったの】

「いやこれでも気を使ったんですよ。でもほら、僕ってばフェスティマ女王様には嫌われてますし。迷子の仔猫ちゃん見ーせーてって言っても、来るなと冷たくしか言われないし。だけど稀な来訪者とは少しお話ししてみたく、そんなわけでありまして」


 ピエロは私に笑い顔の仮面を向ける。


「そこの可愛いお嬢ちゃん。僕と一緒にお茶しない?」


 なんだコイツ。なんかイライラする。


「マティアを戻して」

「あらま、怒ってる」

「当たり前でしょ。いきなり何してくれんの。何しに来たの」

「百層大冥宮のみんなの噂の迷い人に、ひとつご挨拶したくてまかり来しましてござい」

「いきなり友達を石にした奴と何話すっての。さっさとマティアをもとに戻して!」

「うん、戻すよ」


 ずいぶんとあっさりと。だけど本当に? それに、白い旗持つ道化、もしかして。

 ピエロは仮面に手をかけて、気障な仕草で笑い顔の仮面を外す。


「だけどその前に僕の話というか言い訳というか弁解のようなものをちょっとだけ聞いてみてよ」


 出てきた顔は何処にでもいそうな青年の顔。口許に人をバカにしたような笑みをうかべて。


「そしたらメイドちゃんを石にした理由もちゃんとあるって解って貰えるかもしれない」


 ウインクひとつして、ピエロは両手を上げて床にあぐらをかく。私も右手をセキの柄から離す。まー、私が頭にきてコイツにかかっていっても、勝てるわけ無いよね。返り討ちだよね。冷静になろう私。息を吸って肩を沈めて、息を吐きながら鳩尾の中を下に下ろして、よし、ちょっと落ち着いた。


 コイツはセキを知ってて、フェスを知ってる。前にフェスが、強引に九十九層に来るかもしれないのがいるって言ってた。今までそんなのは1度も来たこと無かったけど。

 ピエロは座ったまま大きく両手を上げる。やたらと手足が細くて長くて、人形みたい。


「ざっくりと解りやすくかいつまんでいこう。僕がね、迷い人とお話ししたいって言ってもフェスティマ女王様はダメって言うんだよね。昔に僕がお茶目したことで僕はわりと嫌われ者でね。それで今まで我慢しながら機会を窺っていたわけなのさ。珍しく大人しくして静かにして丸くなった振りをしつつ。その努力と我慢を続けること一ヶ月。もう大丈夫かしら? と油断して、本日フェスティマ女王様が九十二層に行っちゃった。はい、待ってましたよこの時を。なのでこの隙をついてここに忍び込ませて頂きました。そこのメイドちゃんにはお仕事仲間呼ばれてフェスティマ女王様を呼ばれると面倒なので、お静かに願いますと石にさせて頂いた次第。僕の用事が終われば、見事もとに戻してご覧にいれます。タネも仕掛けもございません。僕と君との約束だよ。君もサーカス場で僕と握手」


 ピエロが片手伸ばして握手したいのかワキワキさせる。態度も言うことも、ろくでもない奴としか思えない。ちょっと毒気は抜かれたけど。変なピエロ。


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