第45話◇撤退してよ!


 大きな屋敷の二階の奥に突入。私の後ろには手足を斬られて転がる兵士達。苦悶と悲痛の声。ケガをさせた兵士を盾に、障害物に、後ろから攻めにくいように邪魔になるようにして。一番奥の扉を切り開く。

 その向こうから突いてくる槍を二つ、屈んで走り抜ける。抜けながら左のひとりの足首を左手で引っ掛けて転がしながら。

 奥まで駆けて、豪華な鎧の一番偉そうなおじさんの首にセキを突きつける。


「あなたが、ここの大将?」


 見れば青い顔で額から汗を流す、がっしりした身体のおじさん。周りにいるのもたぶんこの軍の偉い人達。大きな部屋で全部で十人。剣を抜いているけれど、切っ先が少し震えている。


「ちょっとお話、聞いて欲しいんだけど、いい?」

「お、お前は、なんだ、何者だ」

「私のことより、ベルデイの軍にルワザールから撤退して欲しいんだけど」

「できるか、そんなこと」

「どうして? けっこう酷い目にあってるのに?」

「お前がやったんだろうが……」

「その私が、撤退してってお願いしてるんだけど」


 おじさんはプルプルと震えている。怖がってるんじゃ無くて、怒って震えている。


「ルワザールを手に入れるのにこれだけの軍を動かしているのだ。百層大冥宮をベルデイが手に入れるために。ここで撤退などしては、ベルデイは他国から非難されるだけで何も得るものが無い」

「百層は誰の物でも無いんだけど、どうすれば撤退してくれるの?」


 おじさんは呆れたように鼻で笑う。


「撤退するだけの被害でも出れば話は違うが、そうで無ければ手にしたものを捨てられるものか」

「おじさんが総大将でしょ? あなたが撤退って言えばいいんじゃないの?」

「小娘ひとりに軍を荒らされて逃げ帰ったなどと、そんな話を国が認めるものか。ここで撤退したところで俺は国で処刑だろうよ。ここで死ぬか、帰って死刑になるかの違いしか無い」


「逃げればいいじゃない。そうしたら死なずに済むのに」

「軍人としてできるものか。俺の一存で撤退などできるものか」

「あなたが総大将じゃないの?」

「総大将だからこそ、国のために選べることは少ない。エスデント聖王国と戦い、敗北ともなれば逃走の理由にはなっても、それ以外では軍が健在であれば、撤退などできんわ」


「あなたと国につき合わされる兵士が、可哀想じゃない」

「国とは、軍とはそういうものだ」

「国と軍はそうでも、ここの総大将はあなたでしょ?」

「ふん、総大将だからとて、好き勝手にできるものか。お前がこの軍の兵士の半分でも斬り殺せば撤退でもできるだろうがな」

「んー、さっきからなんだかズレてない?」

【己を駒としてその決断を他人に預ける。いや、他者の判断に任せて従うに慣れすぎたと言うべきか? 責任から逃れるためにはときに死殺も致し方無し。まったく筋の通った無責任よの】

「これ、どうしようか? 総大将が逃げるって言ったら皆、逃げると思ってたけど」


 周りの人達をぐるりと見回す。剣を構えているけれど、戸惑っている。このおじさんひとり脅してもダメみたい。突きつけていたセキを下ろす。


「このままここにいて、エスデントの軍と戦うつもり? そんなに百層大冥宮が欲しい?」

「危険はあっても金銀財宝の湧く宝の山だ。エスデント聖王国はその財源で力を持った。どこの国も喉から手が出るほどに欲しがるわ」

「そこから魔物が出るとしても? 光の女神の加護が弱まり、かつての闇の軍勢が地下から出てくるかもしれないのに?」


 周りのおじさん達がザワリとする。


「お、お前は、百層大冥宮の、魔族か? 迷宮から出てきた、悪魔なのか?」

「人間だけどね。ただ、百層大冥宮を勝手に奪い合いなんてしても、あれはそこに住む人達のもので、地上の人達のものじゃ無いの」

【さて、どうするかのミルよ?】

「うーん。国の、大人の事情ってよく解んないなー」


 総大将の近くにいたおにいさんが剣を下ろして、


「デフィンドル様、撤退の指示を」

「ウラスク! 貴様!」

「地下迷宮から現れた魔物により指揮は壊滅。これで撤退としましょうや。今の状態でエスデント軍を迎え撃つことはできませんて」

「この背国者が! このまま撤退すればベルデイ王国はどうなる? ここに踏み留まって戦うしか無いだろうが!」

「どういうわけかその女悪魔は、我らの命を奪う気は無い様子。前回も今回も騒動の割りに被害は少ない。見逃してくれるうちに逃げましょうや」

「この、探索者上がりの調子者が! 指揮は壊滅? そうか! おい、女! この部屋にいる者を皆殺しにすれば指揮は壊滅して撤退するぞ! この場の全員殺してしまえ!」


 何を言い出してるの? このおじさんは?


「それはできれば最後の手段で、あんまりやりたく無いんだけど」


 どうしようか考えていると、ウラスクと呼ばれたおにいさんが周りのおじさん達に。


「全員撤退、我らが総大将デフィンドル様は百層大冥宮より現れた女悪魔に殺された。予測不能の事態に襲われたので、ルワザールを捨ててベルデイに戻る。さっさと行け」

「ウラスク! 貴様何を!」

「ふぅ、俺が上官殺しとは。軍仕えなんてしなきゃ良かったわ」


 おにいさんが剣を振り上げる。おじさんが悲鳴をあげる。尻餅ついて倒れる。倒れたおじさんに剣が振り下ろされる。


「ちょっと待って」

「おぉ?」

「なああ!?」


 ガラスの割れる音。おにいさんは鍔から先の無くなった剣を見て驚いている。斬れた剣の先は窓を割って外に飛んでいった。私がセキで斬った。

 斬られたと思った総大将のおじさんはガクガクと震えている。


「ちょっと待ってってば」

「いつ、斬った? いや、何故止めた?」

「おにいさん、ありがとう」

「は?」

「この部屋の人達を全員殺すっていう、最悪にやりたくないことをしなくて済みそうだし。でも、私がしなきゃいけないことを誰かに任せて、その人に被せたりするのもしたく無い」


 セキを構えておじさんに近づく。やだなぁ、抵抗できないのを斬るっていうのは。


「このおじさんが女悪魔に殺されたら、みんな撤退できるんだよね?」

「あ、あぁ、そういうことにするつもりだ。俺はもう、そのおっさんにはついていけん」

「だったらそれは、私がしなきゃいけないこと。おにいさんのする事じゃ無い」

「俺ぁ、そういうの慣れてんだが」

「慣れててもやりたくないこと、やらせたく無い。ベルデイを撤退させたいのは私のワガママだから」


 じり、と総大将のおじさんに近づく。おじさんは尻餅ついたまま。立ち上がらずに胡座をかく。


「お、おのれ! 悪魔め! 光の女神の加護に焼かれて滅びよ!」


 あぁ、最低の気分だ。だけどこれを人に任せちゃいけない。私が決めたこと、だから私がしなきゃいけないこと。

 セキを脇に構えてにじり寄る。ひとつ、聞いておく。


「考えは変わらない?」

「わ、我が命、我が物と思わず。俺はベルデイの騎士だ!」


 頑固なおじさんだ。ふう、なるべく痛くは無いように、苦しまないように。こんなふうに誰かを殺すだなんて。おじさんの目に私が映る。おじさんを殺そうとする私がいる。これを背負うのはイヤだなぁ。だけど、このままベルデイとエスデントが争うのもイヤだ。


「最後に言い残したいことは?」

「ベルデイに栄光あれ!」


 セキを握る手に力を入れる。胡座のまま、私を見上げて睨むおじさんの首を狙う。こんなふうにセキを使うのは、イヤだなぁ。だけど、セキを振るその前に、


【止まれ、ミル】

「なんで止めるの、セキ?」

【腹を決めた弟子を止める不粋など、師としては失格だの。我も甘くなったものよ】

「なにかいい方法思いついたんなら、早く止めて欲しかったんだけど」

【気負い過ぎて視野が狭くなったか? 殴って気絶させるということもできるがの。百層を奪い合いというバカ騒ぎをどうにかするには、もっとバカバカしい騒ぎを起こすのも手よ。ミル、アデプタスの符を】

「うん」


 右手でセキを持ったまま、左手でアデプタスの魔法符を取り出す。包んでる黒い布を歯で噛み切って中身を出す。


【我が意、我が声、遠き友へと届かせよ。果てからこの地へ、友の思いを伝え聞かせよ“遠話” ……、あー、あー、聞こえるか? 聞こえるかよ? ……、おぉ、で、準備はできておるのか? ……、では、出番よ。来い、モーロック】


 セキの声の直後。真下から突き上げる地震がルワザールの街を揺るがした。

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