第15話◇これが身体の動かしかた?
晩ごはん食べてフェスとお喋りして、お部屋に戻る。私の部屋にしていいって。嬉しいけど、いいのかなー。稼げない貧乏探索者が使う格安の宿、通称『うまごや』で生活してたから、豪華なお部屋にちょっと尻込みしちゃう。でも素敵なお風呂にふかふかベッドはいいよね。貴族のお嬢様ってこんなん?
よし、お風呂入って、寝よ。
「うふ、ミルちゃーん」
「マティア、ストーップ! ハウス!」
「きゃん!」
なんでお風呂ってなるとはしゃぐのこのメイドさんは? もー。
【何故、寝巻きに着替えない?】
「だってあのネグリジェっての、スケスケでやらしくて、肌触りがスベスベしてて落ち着かない」
【つくづく高級品に慣れてないのだの】
セキを抱いてベッドにもぐる。
「セキ、マティアがベッドに入ってきたら怒ってね」
【そうだの、だがベッドに入らず少し離れて、寝顔を見ながらハァハァするのはどうしたものか】
「それぐらいは許してくれてもいいと思いまーす」
ベッドの隣の棺桶の中から声がする。マティアはその中に入ってる。棺桶って寝心地いいのかな? マティアもこの部屋で寝泊まりして、私のお世話兼護衛をしてくれるんだって。
「エロいのと血を吸うのが無けりゃいいや。おやすみー」
翌日っ。
フェスと一緒に朝ご飯食べて、朝ご飯はサンドイッチだった。昨日のと同じお肉と野菜が入ってる。うまうま。一緒に食べるって言っても、フェスはお茶か赤いジュースでほとんど食べないんだけどね。フェスの前にもサンドイッチがあったけど、二口しか食べなくて残してた。
「ミル、お茶の時間に付き合う以外は、セキと修練に集中なさい」
「いいの? えっと、掃除とか洗濯くらいはー」
「それはうちの娘達の仕事よ。こうしてミルにはたっぷりと貸しを作ってあげる。ふふ、いずれ何で返して貰おうかしら?」
「うひぃ、できればお手柔らかに、エロくないのでお願いします」
「ワガママね。修練に邁進できる環境は作ってあげるから、ミルはセキの期待に応えてあげなさい」
【それなんだが、フェスよ。今日はフェスにも付き合ってもらいたい】
「あら?」
フェスの残したサンドイッチはもったいないので、責任を持って私のお腹に処理しました。
第2武術館へ。今日の修練開始ー!
【今回は歩みを学んでもらう】
「ししょー、素振りはいいの?」
【素振りは毎日やってもらう。まずは素振りからと考えていたが、ミルが興味を持ったようなので違うアプローチから身体の使いを見てもらおう。今日の講師はフェスだ】
「フェスししょー、お願いしまーす」
フェスを見ると扇子を開いて顔を半分隠してる。あれ、やる気ない?
「私の歩みがミルにできるとは思えないのだけど……」
【一朝一夕でできるものでは無いが、見本を見せるのに我は身体が無い。それに歩みと踊りならば、百層大冥宮で最も優雅なのはフェスをおいて他におらん。見せるにはフェスが良いであろ】
フェスは扇子を閉じてフフンと鼻たーかだか。
「歩みと踊りであれば、魔王様にもセキにも匹敵するとの自負はあるわ。セキにそこまで言われてしまうと、仕方無いわね。ミル、よく見てなさい」
機嫌良くなってフェスは歩き出す。
フェスって動きのひとつひとつが綺麗なんだよね。洗練されてるっていうの? ただ姿勢良く歩いているってだけで見蕩れちゃう。ほへー。手も足も、なんだかあるべきところにあるだけって感じなんだけど、でも他の人と何がどう違うのかってのが解んない。
「次はミルの番ね。いつもどうりに歩いてみて」
フェスが歩いた距離を私も往復する。普通に歩くと早歩きって言われたりする、私のいつもの歩き方。てってって。
「こんな感じ」
「だいたい解ったわ。ミルは自分の歩き方をどう思う?」
「フェスみたいに綺麗じゃ無いけど、普通だと思う」
「普通ね、普通。……探索者が昔より深い階層に来れないくらい弱くなったのも、あの女神のせいなのかしらね」
【フェス、それは今は置いておけ】
「そうね、ミル。セキの刀術を学ぶのなら普通と言うのはおやめなさい」
「え? それっておかしな人になれってこと?」
「普通で無いというのが、特別とか奇妙ということでは無いわ。普通なんて言葉を使うときは『自分に都合の良い並』という意味。己で計る基準が無くて、誰かの凡庸を真似するとき。誰かに自分の思う凡庸を着せたいとき。誰もが普通を望むとなれば、それは『みんなで一緒に弱い愚鈍になりましょう』というもの。ミルはセキのようになりたいのでしょう?」
「そりゃもちろん。でないとここから帰れないし」
「それだけ?」
「できたらあのときのセキみたいにモーロックをおちょくって、それで泣かしたい! モーロックのせいでずーっとお漏らしっ子扱いされたの、忘れてないんだからね!」
「だったらミルはこれからは、セキのように見て、セキのような基準を持たなければ、ね」
吸血鬼の女王様らしいなぁ。頂点から見ると普通ってそうなのか。
セキのような基準。
あのとき、セキが私の身体でモーロックと戦ってたとき。モーロックの裏拳を、
『ただの受け身だ』
で、回避して。雷の中で雨宿りと雷を避けることを、
『似たようなものであろ?』
と、言って、
『――ブレス斬り、これができればドラゴンを恐れることは無い』
うん、無茶言うな。なにその世界をナメたようなものの見方。
「そうね。セキはマティアに預けてそこに立って」
腰のセキをマティアに渡す。
「はぁ、セキ様……」
【頬を擦り寄せるな、普通に持て】
あれ、セキが普通って言った。なるほど、ヘンなことしないで、並に凡庸に持て、と。
フェスが私の胸の中央に右手を当てる。
「ミル、前に歩いてみて」
「え? 押さえられてるから、それは」
「やってみなさい」
ふぬ、うぬ、この、むー。
頭と足が出ても胸を押さえられてるから一歩も前には進めない。これで前に進むのは無理。胸を突き出して、ふんぬって押してもピクリともしない。前に出ようとしたら、ピタッて止められる。ずっと押されてるんじゃ無いけど、壁があるみたいに止められる。
「うん、無理」
「じゃあ、交代」
フェスが私の右手を取ってフェスの胸の中央に持ってく。うわ、親指がフェスのおっぱいにムニって。
「あら? ミルもこういうの好き?」
「無いっ! そっちの趣味はありません!」
【そっちの方は修練の後にせよ】
「しないよ! 後でもしない!」
「じゃ、進むわね。ちゃんと受け身取ってね」
「受け身? うわぁ!」
フェスがこっちに進んで来た! 私の手があるのに? 後ろにケンケンしてから尻餅ついてゴロゴロと2回後転する。うん?
「どう?」
「も、もう1回」
「両手でもいいわよ」
そのあと何回やっても、フェスが歩くのを止められ無かった。この第2武術館は床が固めたクッションみたいで柔らかいから、転んでもそんなに痛くない。何度も尻餅ついて倒れてしまう。両手でもダメ。
「私の方がミルより力はあるけど、どう? 力で押された感じだった?」
「なんだろ? 押されたって感じがあんまりしない。誰かが後ろから私を引っ張ってるみたいに倒れちゃう。なにコレ? 魔法?」
「魔法じゃ無いわよ。歩き方が違うのよ」
んー?
「マティア、交代して。セキは、そうね壁にかけてきなさい」
「ハイ」
マティアが私の胸の中央に手を置く。
「さ、ミル。歩いてみて」
「これでなんで前に進めるのかが解んないなー。ふぬ、くの、むー」
「それはミルがちゃんと歩いて無いからよ」
「その歩みってのが解んない」
「今のミルは頭と足だけ出てて、胸とお腹が進んで無いわね」
「だって胸が押さえられてるし」
「そうね。ちょっと例え話ね。ミルの身体がひとつの国だと思いなさい」
「身体が、国?」
フェスが私の頭を指でチョンと突く。
「ここが王様」
次に胸をチョン。ムニってならないよチョン。ふんだ。
「ここが貴族」
次は腰をチョン。
「ここが平民」
足の指をチョン。
「ここが奴隷」
頭が王様、胸が貴族、腰が平民で足の先が奴隷。
「今のミルは王様と奴隷だけが前に行こうとしてて、貴族と平民は怠けてるのよ」
「怠けてるって、動いてないってこと?」
「動いていても目的のための動き方では無いの。王様も貴族も平民も奴隷も、誰もさぼらずにひとつの目的の為に動いたら、国として凄いことができそうじゃない?」
「じゃあ、胸と腰を働かせるといいんだね。うん、ふん、ぬん? むむー?」
「今度は王様と奴隷が怠けちゃったわね」
「みんなちゃんと仕事しろー」
「仕事をさせるには、誰がどの役割をするかを把握しないとね。ミル、あなたの左の肋骨の下から二本目は、歩くときなんの仕事をしているのかしら?」
「えぇ? 左の肋骨? 下から二本目?」
「ミルの右手の親指はミルが歩くのにどんな協力をしてるのかしら?」
「右手の親指が歩くときになにしてるかって、何もしてないんじゃないかな?」
「全てのものが役割を果たしてこその優雅な歩み」
フェスが私の両手を取る。右手をフェスの胸の真ん中に、左手をフェスのお腹に。また私に歩くの止めろってことね。足を前後に開いて、ちょっと腰を落として踏ん張る。よし、来い!
「私の身体の骨の数、二百八。私の身体の筋の数、六百六十六」
ぶわっとフェスの身体が進んで迫って来る! 止めようにも押さえどころが解んない? 背中を捕まれて後ろにヒョイッて引っ張られるみたいな? さっきまでのと違う。あれは手加減してくれてたんだ。
私の身体は後ろにジャンプするみたいに飛んで、ゴロゴロと四回後転してやっと止まる。ふわぁ。
「全身全ての肉と骨が、ひとつ残らず優美に動いてこそ、真に優雅な歩みが生まれる。どう? 解ったかしら?」
なにそれ? 骨が二百八? 筋肉が六百六十六? 一個ずつ全部動かすの?
【全身の全ての部位が、それぞれの目的地へと、ありとあらゆる方向へ、異なる速度で、同時に連動して動かすことを、身体を動かすと言うのよ】
それが身体を動かすってことなら、私が今までやってた身体の動かし方って、なんなの?
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